帝国奪還作戦 その5
タロンは頭の半分を失ってもまだ生きていた。レイアとアンジュは近寄ってタロンの様子を伺う、生命活動をしている様子は見られなかったがタロンは確かに生きていた。
全身傷だらけで所々から血が溢れて流れ出ている、腕や足はあらぬ方向へ曲がり、腹が裂けて中身が飛び出ている。それなのにまだ生きている、そのことをレイアもアンジュも敵ながら不憫に思った。
「こ、ここは…?」
タロンが意識を取り戻して話し始めた。レイアとアンジュは目を丸くして顔を見合わせた後、しゃがみこんでタロンに顔を近づけた。
「ここはエイジション帝国、そのお城の地下よ」
「帝国?地下?どういうことだ…?」
「何も知らされていないんですか?」
「知らされる?何を?」
タロンの発言はいまいち要領を得なかった。記憶がないというよりも、まさに今正気を取り戻したように見えた。
「それよりも体が妙に軽い、俺は今どんな状態だ?」
その問いに答えていいものか二人は迷う、とても生きてる状態とは言えない酷い有り様だったからだ。しかし黙ってもいられなくなり、二人はタロンがどうなって今どんな状況なのかを事細かに説明した。
「…そうか、体が軽いのにはそんな理由があったんだな。お嬢さんたちには迷惑をかけたようだな、申し訳なかった。しかし俺は同時にこう言いたい、ありがとうと」
「どうしてお礼なんて…」
「俺はこうなる前、魔物の生理学的な研究を行っていた学者だった。しかしこの分野は本来研究すること自体が禁忌とされていてな、はね返り者だった俺はタブーを犯して深入りしてしまった。禁忌とされていたのにはちゃんと理由があったんだ」
魔物の生理学研究、それを禁忌としていた理由に二人も思い至る。魔物の成り立ちを研究して追うことは、すなわち魔物を創造したシェイドへと繋がるからだ。
「あなたは研究する内に知ってしまったのですね、シェイドと魔物の関係に」
「何?どうしてそのことを…」
「私たちはあなたとは違う形でそれを知ったの。冒険を通じて、四竜と出会ってその歴史を聞いてね」
「そうか…、それは難儀なことだ。知らないままでいた方がずっといいことなのに」
「それでも知ってしまったからには無視出来ない。私たちはシェイドを倒すために集まったの、戦ってシェイドの野望を終わらせるために」
レイアの言葉を聞いてタロンはふっと微笑んだ。それはタロンが初めて見せた安らぎの顔だった。
「俺はシェイドの作ったグリム・オーダーに加わった。これは自らの意志だ、そこでならより倫理観を無視した様々な研究が行えたからな、悪魔の研究にのめり込んでいった俺はシェイドに見出され竜の研究を行うことになった」
「そうそれです。疑問に思っていたのですが、シェイドは竜を研究して何をしようとしていたのですか?」
「シェイドは四竜に匹敵する力を得ようとしていた。そして自らの手で竜を抹殺し、野望に手出し出来ないようにすることを望んでいた」
「それって…」
竜たちが取る最終手段のことかと問おうとしたレイアの口を、アンジュが咄嗟に人差し指で抑えた。静かに頭を振って、話すべきではないと知らせる。レイアはアンジュの意図を察してコクコクと頷いた。
「シェイドは竜の妨害を警戒していたのですか?」
「ああ。具体的な内容までは知らないようだったが、自分の野望が達成されないような仕組みがあると考えていたようだ。絶対に邪魔立てはさせないと意気込んでいたよ」
「成る程。しかしどうして竜を研究していたあなたがウェアドラゴンの被検体となったのですか?」
「簡単な話さ、強大な竜の力、それを知り利用できる人間はシェイド一人でよかった。完全なものではなく劣化したまがいものであってもな。俺は口封じと実証実験を兼ねて、自らが研究していたウェアドラゴンにさせられたのさ。しかしこれも因果応報だ」
ウェアドラゴンの力は人の身には過ぎた力だった。自我は消失し狂気に落ちる、埋め込まれた竜の力は、死ぬことを許さずどのような状態に陥ろうとも身体を生かし続けた。
周囲のマナを取り込み続け内包した力は肥大化していく、体の構造を強制的に作り変えるという苦痛が常に続き精神を蝕み、やがてタロンはウェアドラゴンの素体という役割だけの体と成り果てた。
「老いることも死ぬことも出来ず、永遠に続く苦しみの中に囚われ続けていた。しかしどうやらお嬢さんたちのお陰でそれも終わる。俺の体に埋め込まれた竜石が砕けたようだ」
「竜石?」
「竜の力を研究して作り上げた特殊な魔石だ。それを体に取り込むことでウェアドラゴンになれる。そう簡単に破壊出来るものではないのだが、長い時が経つにつれて負荷に耐えきれず劣化していたのかもしれないな」
タロンは言葉を切るとすっと目を閉じた。レイアはタロンの体が砂粒のようなものに変わって崩壊していることに気がついた。
「どうやらここまでのようだ。今まで沢山の命に手をかけ、散々人に仇なしてきた俺が、最期に苦しみのない死を迎えることが出来るのはお嬢さんたちのお陰だ。あの世が本当にあるのか分からないが、俺はそこで自分の罪を償うよ」
二人の沈痛な面持ちを見てタロンはもう一度笑みを浮かべた。
「そんな顔しないでくれ、全部俺がまねいたことだ。そしてどんな償いをしても俺が許されることはないだろう。だけど最後に人の心を取り戻すことが出来た。俺に罪と向き合う機会をくれた。本当にありがとうお嬢さんたち、そしてごめんなさい、今まで俺がぎせ…」
タロンの謝罪の言葉は終わりまで届くことなく塵になって消えた。無数に散らばる骨の残骸の一部となり、やがて完全に消滅するのだろう。犯した罪を考えれば決していい人間ではなかったが、見てはいけないタブーに触れて、シェイドの毒牙にかかったことを思うと、やりきれない気持ちになるレイアとアンジュであった。
「感傷はここまでね、私たちにはまだやるべきことがある」
「ええ。行きましょうレイアさん」
二人は暗い地下の道をひた走る、巨悪を討ち果たし世界を守るため、仲間の元へと駆け出した。
タロンの敗北と消滅に、エルダーの側近たちはにわかに慌てふためいた。タロンは貸し与えられた戦力でも最強を誇るものであり、それを撃破されたことで自分たちが不利になったという空気が流れ始めた。
エルダーがその場にいなかったことで冷静な判断力を失い、責任をなすりつけ合いが始まり互いを罵りあった。瓦解するのは時間の問題だった。
アーデンたちは作戦実行の過程で消耗し続けている、少数で補給も見込めず、戦い続けて突き進む以外に手がない。対して帝国に潜伏するグリム・オーダーには、取れる手段も戦力も豊富にある。しかしシェイドとエルダーにおもねることに終始していたため、視野が狭くなり大局を見られるものがいなかった。
本来外れたたがを締め直す役目はエルダーが行うべきなのだが、彼もまた焦りから判断を誤り続けていた。平常時であれば冷静に対処が出来るであろうことが出来ないでいる。優秀とは言えまだ若く、経験不足からくる対応能力の低さが招いた失態であった。
父親である皇帝の威を借りれば何もかも思い通りに進んでいたのは、帝国国内が安定し秩序が保たれおり、諸侯の働きで諸外国との交流や折衝が滞らず行われていたからだった。兵士もよく訓練されており装備も豊富で、安定した武力と国力が帝国の強みであった。
この流れを分断させ帝国国内に不穏な空気を流し、足元を揺らがせ判断を鈍らせた仕掛け人は、世界中の冒険者ギルド支部に働きかけつづけたトロイと、帝国と友好関係にある国の切り崩しを行ったエイラだった。
グリム・オーダーの打破という共通の利を問いて協力を呼びかけたリュデルの苦労が実を結んだものでもある。リチャード皇帝に忠を誓い救出のために行動し続けたリュデルは、ようやくエルダーの喉元に手をかけていた。
そしてついに邂逅の時を迎える。
「やあリュデル君、城に何の用かな?それに横にいるのは誰だい?お友達かな」
「エルダー…」
怒りの色を滲ませるリュデル、アーデンは横でそれを黙って見ていた。
「言葉遣いがなっていないな、エルダー様だろ?」
「…お前を敬う心など持ち合わせていない。リチャード様を開放してもらうぞ」
リュデルは月聖剣ルナを引き抜くと、その切っ先を迷わずエルダーに向けた。エルダーもまた剣を引き抜きリュデルに向けた。鮮紅色の刀身が妖しく光った。
「やれるものならやってみるといい。君たちに私が取れるとは思わんがね」
自信たっぷりな態度で言い切るエルダー、次の瞬間、背後からの衝撃でリュデルは倒れたのだった。




