帝国奪還作戦 その1
エイジション帝国城、エルダー・エイジション執務室。扉を叩く音に「入れ」と短く言ったのは次期皇帝のエルダーだった。
「失礼致します」
「どうした?」
執務室に入ってきたのは一人の軍人、半ばエルダーの私兵と化している帝国軍の特務機関のものだった。
「やはり各国の動きに変化が見られます。表立った大きな変化ではありませんが、違和感は拭いきれません」
「またその話か。確か以前はファジメロ王国の関与を疑っていたな、確たる証拠は見つかったのか?」
「いえ…、それについてはまだ確固たるものは」
「では話にならん。その程度の情報で藪をつついてみろ、あの女に強引に食い破られかねんぞ」
エルダーが警戒しているのはファジメロ王国高官のエイラ・シルバー。時に強引ながらもしたたかで実を取る手腕をもつ、王国随一の政務官だった。
不審な動きを見せていることをエルダーも承知してはいるが、地固めもなしに追求すれば返り討ちに遭うことは目に見えていた。報告を無視しきることが出来ないことはエルダーを悩ませている。
「しかしその報告があったこと自体に問題があるのは分かっている。それに加えて更に懸念材料が加わった」
「と、申しますと?」
「各国から我らの元に、グリム・オーダーという組織についての問い合わせがきている。被害状況や活動内容などの情報提供を呼びかけてきた」
「は?グリム・オーダー?あの噂だけが独り歩きしている組織ですか?どうしてそんな組織のことを我々に…」
帝国内での情報統制はエルダーが握っている。帝国軍にはグリム・オーダーの存在すら匂わせることなく支配下に置いていた。自らの関与を隠すための措置であったが、ひた隠しにしてきたことが裏目に出ていた。
噂程度の情報を水面下で流していたものの、それ以上大きくすることはせず風化させていた。隠蔽は猜疑心を生む、すぐさまエルダーに向けられるものではないが、面倒であることに変わりはなかった。
「ご丁寧に自国での被害報告付きだ。帝国にも組織が潜伏している可能性にまで言及してくる国もある。帝国内の守りは万全だ、そのような些末な組織が入り込むようなことはありえない」
「はっ!勿論であります!」
「しかし他国に付け入る隙を作る訳にもいかない。国内の引き締めを図りグリム・オーダーの存在を徹底的に否定しなければ」
エルダーは特務の者を下がらせた後、執務室で一人ため息をついていた。シェイドにエイジション帝国をよりよい形で明け渡すために尽力してきたが、父親を傀儡にしての働きには限界を感じていた。
絶対的な権力を手にすればすべてを意のままに動かすことが出来る。皇帝の座、それを奪う頃合いかとエルダーは思った。
「ただ直系の皇子という理由だけの若造の言葉を聞かせるには、神輿から指図する方がやりやすかった。しかし今、帝国国内の組織はほぼ掌握した。意見があるものは消してしまえばいい、すでにその程度では屋台骨は揺らがない」
あの愚かな叔父のように、そう言葉を紡ぎかけエルダーは心にそっとしまい込んだ。壁に耳ありだ、誰に聞かれずとも余計な発言は避けるべきだと自分を戒めた。
「クリア」
エルダーが何もない壁に声をかけると、そこからスッと人の姿が現れた。透明化して部屋に待機していたのは、グリム・オーダーの改造人間の成功者の一人だった。
「シェイド様はなんと仰られている?」
「何も。ただあなたの思うままにせよと」
「そうか。ならお伺いを立てる必要もないな、皇帝の座、一時的ではあるが私が座らせてもらおう」
「ご随意のままに」
クリアの言葉は端的で無機質なものだった。コストをかけた改造人間の成功者がいくら強力無比であっても、面白みに欠けるとエルダーは口に出さぬまま貶した。
しかし透明化の能力は使い勝手がいいのは事実だった。命令に背くことなく従順で、自らの意志でこちらを害することも出来ないよう調整されている。便利な道具だ、潰れるまでこき使えばいい。エルダーはクリアの顔に唾を吐きかけると、上機嫌になって職務に戻った。
皇帝の座を奪い自分が頂点に立つことに浮かれるエルダー。唾を吐きかけられたクリアは、適当にそれを拭ってまた姿を消した。
エルダーが実の父であり現皇帝であるリチャードの謀殺を企てている頃、帝国奪還作戦は静かに動き始めていた。
国内外の警ら活動をしていた帝国軍兵士の何人かが唐突に姿を消した。交代の時間になっても現れない同僚の姿、兵士はすぐさま上官にその旨を報告した。
情報は次々に上のものへと伝えられ、待機していた兵士は失踪者の捜索を命じられた。ただちに行動を起こし臨時の捜索班を編成すると、現場の上官が指揮を取って捜索が開始された。
報告は当然エルダーの耳にも入ってくる。一報を聞いた時エルダーはニヤけた顔を抑えられず、邪悪な笑みを浮かべたまま「来たか」と呟いた。
その並々ならぬ邪な気配に部下は思わずたじろいだ。そんな部下の態度をよそに、エルダーは指示を飛ばした。
「不穏分子の動きで間違いない。今日動くという情報はすでに掴んでいる。お前たちは予定通り根城を叩いて羽虫共を潰せ」
「は、はっ!」
「いいか。ロールド家のものとアンバー家の道具の片方は殺さず捕らえろ。リュデル君は大切な献上品だ、丁重に扱え。アンバー家の双子のどちらかは私自らが斬首し、それを手土産にアンバー家を解体し吸収させてもらう。ついでにロールド家も手に入るのだから一石二鳥だ」
笑みを隠せぬままにエルダーは言った。指示を受けた部下は不気味な雰囲気に圧倒され、そそくさとその場を後にした。
「おい、クリア!」
「はい」
「他の改造人間の配置は済んでいるな?」
「ええ」
「よし。お前は透明化したまま私の身辺警護に当たれ、その他の護衛は下がらせる」
「その分手薄になりますがよろしいですが?」
「馬鹿め、それが狙いだ。私の警護が薄いとなれば、あいつらは怪しむか飛びつくかの二択しかない。怪しめば足は止まり、飛びつけば不可視のお前がいる。あの羽虫共の生命線は拙速だ、私を餌にして翻弄し判断力を鈍らせる。それが致命傷と知りながらも奴らは来ざるを得まいよ」
「ではそのように」
クリアの透明化はエルダーにも位置を把握することが出来ない。よって視線が向いてバレることや意識を気取られる心配がなかった。その上透明化は、視覚的に姿を消すだけではなく気配そのものも完璧に消し去ることが出来た。
自らを危険に晒すことを厭わぬ決断力に、それを逆手に取る判断力。傀儡を使っているとはいえ、帝国を牛耳るにまで至ったエルダーの能力は高い。
エルダーは壁にかけてある剣を手に取るとそれを腰に差した。いざとなれば自分から剣を取って戦うことも出来る。幼少の頃より剣術は散々叩き込まれていた。
加えてエルダーの剣はただの剣ではなかった。シェイドが作り上げ本人から直々に下賜されたものであり、エルダーの心情的にも特別な一振りであった。
「では行くぞ。のこのこと入り込んできた賊を血祭りに上げてやらねばな」
返事もなく姿を消したクリアを見てエルダーは執務室の扉を開いた。まずは父のリチャードの身の安全を確保する名目で身を隠させる、そうすればこの争乱に乗じて目撃者を作らず容易く謀殺することが出来る。
何もかも思い通りだとほくそ笑むエルダー、しかし事態はそれほど単純なものではなかった。駆けつけてきた帝国軍幹部がエルダーに報告する。
「エルダー様ッ!東側の大門が襲撃を受けております!」
「来たか。敵は何人だ?」
「一人です!!敵はたった一人で乗り込んで来ました!!我々帝国軍の兵をものともせず、門を破壊し大暴れしております!!」
たった一人の襲撃者、それを聞いたエルダーは理解が追いつかず閉口した。しかしすぐに我に返り報告を求めた。
「その敵の特徴は?」
「はっ!大柄の偉丈夫で頑強そのもの、武器は持たず奇妙な体術を用いて破壊の限りを尽くしております!」
特徴を聞いたエルダーはすぐにその人物に思い至る、カイト・ウォード、組織の生み出した改造人間であり逃亡者。これを相手取るには兵士では荷が重い。
改造人間には改造人間をぶつけなければならない。エルダーは早々に手駒の一つを切らされることになった。