土のゲノモス その1
空と白い大地だけが続く場所に飛ばされた俺たちは、山と見紛うゲノモスと対峙していた。あまりに大きすぎて対面しているようには思えなかったが、それでもようやく辿り着いた。
「よく遺跡の攻略を成し遂げたな。しかしレ・イイ遺跡の戦闘は俺様も若干引いた。四人揃っただけで強くなりすぎじゃあないかお前ら?」
「引いたって失礼な。あれが俺たちの実力だよ」
「…まあいいか。お前たちが強くて頼もしいのは俺様たちにとっても都合がいいからな」
俺はゲノモスの言う都合とはどういう意味かと疑問に思った。俺様たちと表現している所を考えると、おそらく他の竜たちのことも含めているのだろう。
しかし俺たちが強くなって竜たちに何の得があるのか分からない。そのことを聞こうとしたけれど、先にゲノモスが話し始めてしまった。
「ともあれまずは約束していた通りに印を授けよう。アーデン、右手を差し出せ」
俺は言われた通りに右手を前に差し出した。すると突然右手の甲が強い輝きを放ち始め、その眩さに目を閉じるしかなかった。輝きが収まったのを感じゆっくりと目を開けると、俺の右手の甲には竜と大地を象った橙色に輝く文様が浮かび上がっていた。
「俺様が司るのは自由だ。自由とは大いなる力を持つが同時に責任を果たさねばならない。力に溺れ自らの欲望だけを叶えようとしたものの末路をお前たちは知っているな?」
「もしかしてシェイドのことか?」
「そうだ。あの邪悪な男は秘宝の力を使い、なおも生き続け欲望の限りを果たそうとしている。命を傷つけ尊厳を侮辱し、破滅と混沌をもたらして思うがままに生きようとしている。そして残念なことに奴にはそれだけの力がある。自由に生きるだけの力がな」
ゲノモスの言葉には静かながらも怒気が込められている気がした。ゲノモスは怒っている、他の竜が見せたことのない感情だった。
「自由とは無秩序に生きることではない、この世界に存在するすべてのものたちが互いを尊重しあって始めて得られる力だ。その道のりは遠く険しい、しかし決して求めることを諦めてはならない力だ」
「ゲノモスが怒っているのはシェイドがその理から逸脱した存在だからか?」
「それも理由の一つだ。しかしもっとも愚かしいのは、奴一人の思想が再び世界に火を放ち、争いを引き起こし、それが生命を進化させると信じ切っていることだ。自らの自由のためならばどんな犠牲も厭わない傲慢さだ」
ゲノモスが言葉を続けるほどに、俺たちの足元が小さく揺れていた。それが感情の発露なのだと気がついて、ゲノモスがどれだけこの世界のことを思い慈しんでいるのかが分かった。
「アーデン、レイア、アンジュ、カイト。この世界にあるすべては自由という力を持っている。それは時に争いを生み矛盾を抱えるだろう、だからこそ考え続けなければいけない、互いの自由を守るためにどう折り合いをつけていくのか。それこそが世界の営みであり自由の力だ。決して忘れないでほしい」
その言葉の意味を真に理解できたものは俺含めて誰もいなかったと思う。だけど頭では理解できなくとも、ゲノモスの言葉は心に訴えかけてきた。それは伝わってきて俺たちの芯に溶け込んできたと思う。
「分かったよゲノモス。自由という力の重さ、刻まれた竜の印に誓って忘れない。これからずっとな」
俺の言葉に皆も頷いてみせた。ゲノモスから返答はなかったが、小刻みに揺れていた大地が静まり穏やかな雰囲気を感じた。それがゲノモスにとっての返事なのだろうと思い受け取ることにした。
「さて、俺様からの印についての話はここまでだ。話すと約束したシチテーレのことや俺様の竜域についての話をしてやろう」
「そうだった。ずっと気になっていたのよゲノモス。どうしてシチテーレはこんなに特殊な場所なの?」
我慢できなくなったのか身を乗り出してレイアが聞いた。ずっと疑問に思っていたのだろう、かくいう俺も同じ疑問を持ち続けていた。
「どうしてここを竜域にしたの?そもそも建国の話は嘘?」
「いや、すべてが嘘ではない。シチテーレは一人の心優しい農夫の努力から始まった国だ。すこしばかり見せてやろう」
そうゲノモスの声が響いた後、真っ白な地平にぽつんと一人の男性が現れた。たった一人で黙々とレンガを積み重ねている。
「シチテーレの興りは大戦争によって疲弊した後のことだ。この農夫名をシャガと言った。元々は故郷の国で田畑を耕し家族と共に仲良く生きていた男だったが、大戦争が泥沼の衰退期を迎えたころに徴兵された」
大戦争を止めようと奔走した双子の兄弟、その尽力も虚しく人々が争いを続けた頃の話だ。やがて双子の命をかけた封印によって戦争は終結に向かう。
「シャガは戦った。故郷に残してきた家族を守るために必死になって戦った。何とか生き残ってすべてが終わった後国に帰ると、そこに待っていたのは灰になった故郷の国と荒れ果てた大地だった。家族は攻め滅ぼされた時に一人残らず殺されていた」
「そんな…」
「すべてを失ったシャガは悲しみに暮れた。そしていよいよ心が壊れてしまう。ふらふらと彷徨い歩きようやく肥えて自然豊かな土地を見つけた。その場所こそシチテーレだ」
それからゲノモスはシャガについて語った。シャガは豊かな土地を見つけて涙を流した。涙などとうの昔に枯れてしまったと思っていたが、力強く生きる自然の姿を見て涙がこぼれた。
誰であろうとこの自然を傷つけてはならない。そう心に決めたシャガは外敵から自然を守るために壁を作り始めた。シャガの言う外敵とはシェイドや魔物たちだけではない、人もまたシャガの敵であった。
人は痛みを知ってなお戦い続けた。その醜さをシャガは憎んだ。たった一人で作業を続けた理由は、周りの人がシャガを笑ったからではない、シャガが周りの人を拒んだのだった。
しかし一人努力を続けるシャガのことを周りの人は放っておけなかった。始めは遠く離れた場所でシャガの真似を始める人が現れた。それぞれ離れた場所で干渉し合わないように気をつかいあった。
だが人数が増えれば上手く出来る人と出来ない人と分かれてくる、質の悪い壁を馬鹿にするものが現れた。言われたものはぐっと我慢してこらえたが、内心では悔しさで一杯だった。
そんな時だった。初めてシャガが人の輪の中に入ってきた。そして黙って壁の積み方を教えると、馬鹿にしたものに対して言った。
「君がどんなことを思おうと構わない。だけど人の気持ちを笑うことだけは許さない。どんな形であれ皆は俺に協力しようとしてくれた。俺はその気持ちだけで嬉しい。こんな単純なことでいがみ合うのはやめよう」
それからシャガは積極的に人と関わりを持つようになった。城壁の積み方を教え、もっと上手い人がいれば皆に声をかけて一緒に教えを請うた。やがてシャガの周りには人が溢れかえるようになった。
不器用で言葉少ななシャガだったが、誠実で親切、そして争いを好まない人柄に人々は惹かれていった。決して多くを語らないが、その姿勢と背中で人々を導いていった。
誰一人として作業を強制されてはいない、皆が集まってシャガを手伝い始めたのは自由意志だった。広大な国土を覆う堅牢な城壁は、一人の男の元に集まってきた人々の手によって築かれたものだった。
「シチテーレの城壁が完成した後、シャガは周りの人たちにここを国にしようと勧められた。そしてシャガをぜひ国の代表にともな。しかしシャガはそれを断った。ここは皆が安全で豊かに暮らせる場所であればいい、それだけで十分だ。そう言ってな」
シャガという人のことを思い考えた。始まりは絶望からだっただろう、それでも何かを守りたくて壁を積み始めた。自分が守れなかったものを守るために壁を。
恐らく完成するなどとは考えていなかったんじゃないかと思う。考えたくないことだが、死に場所を探しての最後の時間つぶしの行動だったのだと思う。
しかし人々が集まってきて、作業を手伝うようになった。シャガにとって最初は鬱陶しかったかもしれない、人のことを信じられなくなった彼には存在そのものに嫌悪感を抱いたかもしれない。
それでも自分を手伝い続ける人々の心に触れてシャガの心境に何か変化があったのだろう。それが何だったのか、自分の考えを言葉に出してみた。
「シャガさんは皆が自分の意志で集まってきて、誰に言われることもなく手伝い始めたから心を開けたのかな?」
「それは本人のみが知ることではあるが、俺様はアーデンのその考え方が当たっていると思うぞ。シャガは戦いを強制されてすべてを失った。ゆえに自分が勝手に始めたことに人々がついてくるなど思ってもみなかっただろうな」
「もしかしてシチテーレに明確な政府機関らしきものが存在しないのって…」
「シャガの心を受け継いでいるんだろうな。…まあ少しばかり呑気な気性が過ぎる気もするが、それもまたこの国の特徴だな」
レイアは成る程と言って肩の力を抜いた。これまでの話を聞いて反論する気もなくなったのだろう。シチテーレ建国の話を聞いて、それに水を差すのも無粋だ。俺はレイアの肩をぽんと叩いた。
「それで?俺も皆から聞いて驚いたが、ここがお前さんの竜域ってのはどういう理由だゲノモス?」
カイトの言葉で疑問の本質に戻った。シチテーレの成り立ちは分かったが、その謎については判明していない。俺たちは今一度ゲノモスの話を聞くことにした。