不思議な出会い
タ・ナナ遺跡探索において、これまで一切姿を見せなかった魔物。そんな中一匹の魔物ブラックウルフが俺たちの前に姿を現した。
しかし襲いかかってくることもなく、ただ怯えた様子で遠巻きにじっと俺たちを見ているだけだった。それを見てレイアが、そのブラックウルフに接触することを提案してきた。
俺の反対を押し切ってそれを実行したレイアは、何故か魔物であるブラックウルフに襲われることなく、逆にとても懐かれていた。駆けつけた俺とアンジュはその様子を見て当惑し、ぽかんと口を開けてただ見守るしかなかった。
ブラックウルフは手懐けられた犬のようにレイアの指示を聞いてちょこんと座った。俺は当惑したままレイアに話しかけた。
「レ、レイアさん?これは一体どういう…?」
「何よ気持ち悪い。変な口調で話しかけないでくれる?」
「おまっ!!」
どれだけ心配したかと怒鳴りそうになったタイミングで、アンジュにバッと手で口を抑えられた。じーっと見つめてくる視線が「また喧嘩になりますよ」と言外に伝えてくる。
取り敢えずではあるがブラックウルフの脅威はなさそうだ。しかしここはまだ遺跡の中、いくら魔物が出てこないとは言え喧嘩をして隙を晒す訳にはいかない。
ましてこれまでは出てこなかった魔物が実際に出てきたのだ、なおさら気をつけなければならない。アンジュが冷静で助かった。
「一体何があったんだ?」
俺はものすごく端的に聞いた。これならどう転んでも喧嘩になりようがないからだ。レイアは頷いてから説明を始めた。
「この子、理由は分からないんだけど足を怪我してたの。しかも結構ざっくりと深い切り傷で、震えていたのも怯えより痛みからだったのかも。勿論怯えもあったと思うけどね」
よく見ると後ろ足に包帯が巻かれていた。ごそごそ何をやっているのかと思ったら、手当てをしていたのか。
「だから手当てしてあげてもう怖くないよって声かけたの。そうしたら今まで感じていた不安と緊張が解けたのか一気に元気になってね、それで懐かれたって訳よ」
「魔物が人に懐くなんてことがあるんだな」
驚いてそんなことを言う俺にアンジュが声をかけてきた。
「それも確かに驚きですけど、今まで姿を見せてこなかった魔物が怪我をして現れたことの方が重要じゃありませんか?」
その指摘を受けてそれはそうだと思った。この魔物を襲った何かがいるとしたら危険だ、しかし辺りからそれらしい気配はない。それでもと俺はアンジュにレイアと魔物を任せて周りの様子を見に行くことにした。
取り敢えず危険がなさそうなことを確認すると俺はレイアたちの元に戻った。戻る途中からキャッキャとはしゃぐ声が聞こえてくる。
「何やってんだ二人して」
「あっ、こ、これはその…」
「アーデンおかえりー」
アンジュはレイアと一緒になってブラックウルフを撫でて遊んでいた。すっかり仲良しになったのか二人してブラックウルフと戯れている。
「何かいた?」
「いや、いなかったけど…」
「ご苦労さまー」
レイアはブラックウルフの触り心地がすっかり気に入ったのか、わしゃわしゃと撫でながらとろけた顔をしている。
「ったく。俺はこんなに警戒してるってのに」
「ご、ごめんなさいアーデンさん」
「それで?何か分かったか?」
俺がそう聞くとこくりと頷いてからアンジュは話し始めた。
「魔物のブラックウルフで間違いありませんが少々小柄です。気になるのはウルフ種は群れを作って行動するはずなのですが、この子の他にブラックウルフはいないようです」
「はぐれたか、それとも仲間は怪我を負わされた相手の餌食になったか…」
「どちらにせよこの子以外の魔物はいないとみていいですか?」
「ああ、ぐるっと回ってきたけどやっぱり他の魔物は出てこない。なおさらどうしてこいつだけって疑問が出てくるけどな」
レイアと戯れているブラックウルフの様子を見た。後ろ足の怪我はただ包帯をまいただけのもの、血が滲んできている。止血にもならないということは深い傷なのは間違いなさそうだ。
よく見ると嬉しそうに体を動かしていても、怪我をしている後ろ足だけはぴくりとも動いていない。これはどうしたものかと俺は頭をガシガシと掻いた。
別に魔物に恨みがある訳でもない、戦う理由があるから戦うだけで、そうでない魔物なら命を取る必要はない。レイアに懐くこいつの姿を見ていると、余計にその必要はないと思う。
しかし魔物は魔物だ、助けていいのかを悩んでしまう。ここで助けたブラックウルフがもし襲いかかってきたとして、果たしてそれを倒すことが出来るのだろうか。レイアに懐いている様子を見ていると決意が揺らいでしまいそうだ。
「レイア」
「ん?」
「そいつのことだけど」
「分かってる。肩入れしすぎるなって言いたいんでしょ?」
レイアがブラックウルフを触る手を止めてスッと立ち上がった。それに合わせるように、横になってお腹を触らせていたブラックウルフもゆっくりしんどそうに体を起こした。
「でもせめてもっと丁寧な治療をしてあげたい。自分勝手な自己満足だけど情が移っちゃった。よくないことだって分かってるけれどそうしたい」
「…他の魔物は倒すのに、こいつだけ特別扱いか?」
「そうよ。この傷を負わされた何かにまた襲われた時、逃げられるようにしてあげたい。アーデンの言いたいことは分かってる、だけどもう関わりを持ってしまったからそうしたい」
俺とレイアのやり取りをアンジュがハラハラした様子で見ていたことに気がついた。レイアの足元にいるブラックウルフも、険悪そうな雰囲気を感じ取ったのかぷるぷると震えていた。
「大丈夫だよアンジュ。これは喧嘩じゃあないから」
「え?」
「そうそう、喧嘩するならもっと派手にやるわよ。アーデンが聞きたかったのは覚悟の話よ、もしどうなったとしても責任を取るつもりはあるのかってこと」
「ええ…、そんなやり取りでしたか今の?」
寧ろそれ以外に何があるのだろうかと俺とレイアは揃って同時に首を捻った。アンジュは深くため息をついた後「喧嘩じゃなかったならいいです」とぽつりと呟いた。
タ・ナナ遺跡では魔物が出てこない。ブラックウルフは例外だったが、基本的にはこの例が守られたままだった。
だからどこで作業をしても構わないのだが、俺たちは場所を移動して何かあった時すぐに対応できそうな広間に来た。ブラックウルフは俺が抱えて移動したのだが、その最中も大人しくしていた。
手当ての知識は一通りあるものの、魔物にそれが通用するか分からない。幸いアンジュが治癒魔法を使える、話し合いながら何とか治療を試みた。
アンジュの治癒魔法のお陰で出血は止まった。しかしアンジュは苦々しい顔をしている。
「どうしたアンジュ?」
「…どうも私の治癒魔法では完全に治せそうではないですね。そもそも治癒魔法の知識はあっても、私では本職のそれには遠く及びませんから」
「そうなの?」
「ええ。内部の知識や構造、その他諸々の専門的な知識がないと治癒魔法は効きが悪いんです。場合によっては余計に悪化させてしまうこともあります。正しい知識と経験を積まないといけません」
生き物によって内蔵の形や位置、仕組みや働きが異なる。人間だってそれぞれ個人差があって、治癒師はそれらを総合的に見て治療を行う。
「加えて魔物となるともっと専門外ですから、私に出来るのは出血を止めて外傷を塞ぐことくらいですね」
試しにブラックウルフをゆっくりと歩かせてみた。無理のない範囲で慎重に、体を支えてやる。アンジュの言う通り傷は綺麗に塞がっているけれど、全然足が動いていなかった。
「やっぱり駄目でしたか、力及ばずでごめんなさい…」
「謝らないでよ。ありがとねアンジュ、血が止まっただけでも御の字よ」
レイアが言ったことに俺も同意して頷いた。しかしこのままでは自由に動き回るには困難であろう、動かない足で器用に歩きはするが、逃げるとなった時にこれでは逃げ切れない。
別の解決策が必要だなと思っていると、レイアが何か思いついたような顔でぽんと手を打った。そしてバッグから色々と道具を取り出すと、何の説明もないまま作業に没頭し始めた。
こうなると手出しも口出しも出来ないと俺とアンジュは顔を見合わせた。俺たちはレイアの作業が終わるまで、ブラックウルフの歩行練習に付き合って待った。
「出来たっ!!」
レイアはそう高らかに宣言した後、急いでブラックウルフに駆け寄った。歩行練習していた俺たちはレイアに押しのけられて、後ろからその様子を見守っていた。
カチャカチャと音をさせてレイアが何かを取り付けている、それが終わった後レイアは自信たっぷりによしと言ってからブラックウルフに話しかけた。
「クロ、歩いてみなさい。走ってもいいわよ」
レイアが取り付けたのは傷ついた足をすっぽりと覆うような器具だった。最初は足に装着されたものに違和感を覚え、戸惑いを見せたブラックウルフだった。しかし今まで動かなかった足がスッと動き、驚きに目を丸くさせていた。走り回っても何の問題もなさそうだ。
自由に動き回れる様子には勿論驚いたのだが、俺にはもっと気になることがあった。それを聞く前にレイアが話し始める。
「あれは足の動きを補助する道具よ、傷ついてろくに力が入らない足でも、少しの力だけで後はあの道具が補助してくれる。足を外側から支えるもう一本の足って所かな」
「レイア、それはいいけどクロって?」
「あの子の名前よ、ないと不便でしょ」
名付けには流石に賛同出来ないと言おうと思った。それはきっと、最後にはよくない結果が待っているからだ。
しかし嬉しそうに走り回るブラックウルフと、それを見てもっと嬉しそうな顔をするレイアを見ていたらとてもそんなことは言えなかった。
「…クロ、喜んでくれているみたいでよかったな」
「うん!急ごしらえだったからちゃんと動くか心配だったけど、これで襲われても逃げるだけの足にはなったでしょ」
走り回った後、嬉しそうに駆け寄ってきたクロの頭を俺は撫でた。思いがけない出会いと思いがけない形での魔物との交流、滅多に出来ない貴重な経験だったはずなのに、俺はどうしてか心の底から喜ぶことが出来なかった。