九尾のアンジュ
俺たちは一度シチテーレの宿屋へ戻っていた。冒険の垢を落としてさっぱりとし、美味しいご飯を大量に食べて寝た。お陰ですっかり元気を取り戻すことが出来た。
珍しくレイアが足りなくなった道具の買い出し役を引き受けた。一人で大丈夫かと心配になったが、よくよく話を聞くとリンカが一緒に行ってくれるという。
仕事の方は大丈夫かとリンカに聞くと、全然平気だと言われた。
「シチテーレを色々と案内してあげたいと思っていたんですよお。冒険者の友達なんて滅多に出来ないし、私案内は得意なんです!」
「って言ってくれてるし一緒に行くわ。私もここの部品とか見て回りたいし」
と言うやいなやさっさと二人で行ってしまった。リンカと一緒にいる時は人見知りしないみたいだし、俺もまあいいかと任せてしまうことにした。
そして今は借りた小屋でアンジュと一緒にいた。軽症だった怪我の手当てもして、体力も魔力も戻ったのかすっかり元気になっていた。
「元気になってよかったよアンジュ。はい」
俺はお茶を入れたマグカップをアンジュの前に置いた。そしてそのまま対面の椅子に腰を下ろす。
「ありがとうございます。ご心配おかけしてごめんなさい」
「いやアンジュは何も悪くないよ。というよりあのキラーエイプにはしてやられちゃったな」
「ええ、まさかあんな戦い方をしてくるとは思いませんでした」
イ・ラケ遺跡の魔物たちはどれも手強かったが、それでも自らの能力、持ち合わせた特異性を駆使して戦うものが多かった。
それがあのキラーエイプは、まるで人と同じように戦う奴らだった。作戦を立て道具を使い、罠やコミュニケーション能力を駆使してこちらを手玉に取ってきた。魔物のポテンシャルを見誤った俺たち全員の失態だ。
「ゲノモスから聞いたけど、あれは自然と適応していった形らしい。あそこにいた魔物たちは、生存競争を続けた結果ああなったってさ」
「シチテーレに来てすぐリンカさんに聞いたように、ここに冒険者はそうそう来ないと言っていたのも要因の一つでしょうね。戦う相手が人から同胞に変わった。魔物の住環境としての新しい形なのかもしれませんね」
「そう考えるとゲノモスの言った意味も分かるな、歪んだ存在とは言え魔物もこの世界を構成する一部。死と再生を繰り返すのも、似ているといえば似ているのかも」
「私たちのサイクルとはかけ離れてしまっていますけどね」
アンジュの言うサイクルとは、シェイドの悪意によって作り出された偽の秘宝のことだ。
魔物は死してマナとなり偽の秘宝に戻る、そしてまた魔物として再生される。それが武人トカゲが自らを無意味な存在と言った理由だった。
「魔物にも本当はもっと色々な可能性が秘められているんだろうな」
「それがより強調されて現れたものがイ・ラケ遺跡の魔物、取り分けキラーエイプは恐ろしかったです」
「ああ、まったくだ…」
そこで俺はカップを傾けお茶を一口飲んだ。アンジュも同様にお茶を飲む、二人で同時にほっと息を吐き出すとまったりとした空気が流れた。
「そうだ。アンジュ、あの尻尾は何だったんだ?新しい魔法?」
元々聞こうと思っていたことを思い出して聞いた。あの時ツタをどうにかするのに必死でよく見えていなかったが、アンジュから八本の尻尾が伸びていたのを見た。
「ああこれですね」
これ?と思った後、アンジュの背後からスッと八本の尻尾が現れた。びっくりして思わずお茶を吹き出しそうになった。
「え、そ、それそんな簡単に出せるの?」
「というよりもう私と結びついた魔法になってしまったみたいですね。アーデンさんはどうして魔法が杖などの触媒がないと発動出来ないのか知っていますか?」
「俺はそういう知識はさっぱりだよ」
「本当に単純に言うと難しいからです。様々な手順を踏めば杖なしでも魔法を発現させることは出来ますが、時間も手間もかかります。テオドール教授が研究していた分野ですね」
「確か原初魔法って言ってたな」
アンジュは俺の言葉に頷いた。
「例えばそこに弱い魔物がいたとします。魔法使いは当然魔法で対応しようとしますよね?まあ武器を使う人もいると思いますが、今はそれは考えないでください」
「うん分かった」
「杖を向けて初級魔法の炎弾を発動します。術式さえ頭に入っていれば詠唱も短く済み、すぐさま発動して敵を攻撃できます」
「見慣れた光景だな」
「これを杖のような触媒なしでやろうとすると、敵の目の前で炎弾という魔法を発現させるための道具を用意する必要があります。材料は様々ありますが、とにかく沢山です」
「ん?」
雲行きが怪しくなってきたな。だけど俺は取り敢えず話の続きを聞くことにした。
「そして炎弾を発現させるための術式を構築します。これは頭の中でも代用出来るのですが、杖なしでやるには実際に書いたりしなければならないでしょう。その日の気象や周りの環境、マナの濃度や利用出来る量、色々な要因を計算に入れる必要がありますね」
「んん?」
「ようやく魔法を発現させる準備が整ったら、正しい手順に繊細な作業で準備したものを…、とまあここまで言えば分かりますよね?」
俺はその言葉に頷いた。アンジュが何を言いたいのかよく分かったからだ。
どんなに弱い魔物だったとしても、目の前にいる敵が悠長にそんなことをしていたら簡単に殺すことが出来る。敵の前でそんな大きな隙を晒すことは出来ない。
「でもどうしてそんなに面倒な手順が必要なんだ?もっと簡単に出来ないの?」
「私たちはマナを取り込むことは出来てもそれを魔法に変換して出力することは出来ないんです。魔物はそれが出来るんですけどね。それを真似たのが魔法の始まりですから」
「へー、どうしてだろう」
「それを研究しているのが魔法学ですが、今のところ結論は出ていないですね。様々な仮説はありますが、どれも決め手に欠けるといったところでしょうか」
ならば俺の頭で考えても休むに似たりだろう。サンデレ魔法大学校はやっぱり難しいことを研究しているんだなくらいの感想しか出てこない。
「じゃあさ、杖があればどうしてその過程をすっとばせるんだ?」
「杖はマナを魔法に変換する触媒です。魔法使いは発動したい魔法を術式と詠唱にでマナをコントロールし、現象として発動させます。人には出来ない出力の役割を杖が担い媒するのです」
「杖は複雑な手段を一纏めにしてくれる便利道具ってこと?」
「ですね。それがないと魔法使いは魔法を使えません。例外もありますけど、基本的にはそう考えてください」
俺はなるほどなと納得しうんうんと頷いた。しかしそこまで説明を聞いた上で最初の話に戻る。
「勉強にはなったけどそれと尻尾がどう関係するの?」
「あの時私は杖が壊れてしまい魔法を安全に発動する手段を失いました。なので自分の体を触媒にして魔法を発動させたんです。要するに私自身が杖と言ったところでしょうか」
「ふむふむ」
「それにあたって今まで作り上げてきた固有魔法、ブースト、セット、バースト、キャプチャ、リリース。これらすべてを統合し、出力不足を補うために使いました」
「ほうほう」
「それを発動するための杖役が私です。本来は危険すぎて出来ない、というか死んじゃう可能性があります。膨大なマナと情報量が一気に押し寄せてきますから、パァンと水風船のように割れてしまう可能性がありました」
「もう絶対に一人で戦わせないって決めた。それで?」
「杖の役割をした時に、統合された固有魔法の新しい術式が私の内側に刻み込まれました。どう表現したものか迷いますが、敢えて言うのなら私も魔法の一部になったんです」
やっぱりよく分からなくって首を傾げる。魔法の一部にアンジュがなって、でも魔法を発動するのはアンジュで、尻尾はその時に現れる。暫し悩んで自分なりに考えたことを口にした。
「つまりこうか?ある意味あれは固有魔法アンジュってことになるってこと?」
「おお!なるほど、素晴らしい解釈ですねアーデンさん。確かにそれが一番当てはまっています。でもその名称は恥ずかしすぎるので、尾術とでも名付けましょう」
「魔法使いが魔法そのものなんて前代未聞じゃあないか?」
「勿論、前例はありません。怪我の功名ですね」
あっけらかんと言ってお茶を飲むアンジュ。そんなに軽く流せる話なのだろうかと思うが、本人がこんな感じなので俺からは何も言うことが出来ない。色々言えるだけの知識もないからだ。
大変な目にあったがアンジュが大きくパワーアップしたことは事実である。楽しそうに揺れる八本の、いや自身の尻尾も含めると九本の尻尾を見つめながら、俺はごくりとお茶を飲み干した。