VS.キラーエイプ その1
アーデンたちと分断されたアンジュは、冷静さを保つように努めた。混乱して闇雲な行動に出ればどうなるか分からない。まずは自分が冷静でいなければと自戒した。
姿を表したのは三匹のキラーエイプ、棍棒を持つ二匹とスリングショットを持つ一匹。しかしまだ潜んでいるはずだとアンジュは考えた。
アンジュの考えの通り、表に出てきたキラーエイプは謂わば囮の役目を担っていた。隠れている仲間から意識を逸らさせ、自分たちへ惹きつけるために前に出た。
見えているものと見えていないもの、どれだけ警戒しようと、どうしても見えている脅威に目は向けられてしまう。そのこともキラーエイプは分かっていた。
魔物らしからぬ戦い方を見せるキラーエイプ。アンジュは冷静に状況を見定めてはいるが、怯えは確実に体に伝わり、足はじりじりと後ろへ下がっていた。
イ・ラケ遺跡最奥を縄張りとするキラーエイプ。手強い魔物ではあるが、他の魔物を差し置いて頂点に立つような強さはなかった。ではなぜイ・ラケ遺跡では魔物の頂点に立ったのか。
それは元の体から小さくなったことと、ハンドサインによる意思疎通が関係していた。
イ・ラケ遺跡のキラーエイプは、体を小さくしたことで元のキラーエイプが持つ膂力からは遥かに劣った。代わりに茂みに潜んでも見つかりにくくなり、手も小型になったことで武器を加工する技術を得た。
持ちやすいようにして先端を重くする、ただ振り回すだけでも十分な威力が出る。当てる技術は必要ない、相手を孤立させ仲間で囲んで殴ればいい。
では相手を孤立させるにはどうするか、罠や粉塵を使って視覚や嗅覚を奪ってしまえ。それに使えそうなものはどれだと協力して探した。幸い使えそうな植物は遺跡に沢山生えていた。
そのうちにこれが使えるのではないか、これも使えるぞと、仲間にそう伝えるための方法が作り出されていった。音を出さずにある程度の意思疎通が取れるハンドサインは、茂みの影で待ち伏せて襲いかかる戦法にがっちりとハマった。
武器と道具を作り、罠を張り、仲間と連携を取ることで集団の利を得た。キラーエイプは強者しか生き残ることの出来ない遺跡奥地を、弱さを強みに変えて生き残って支配し続けてきたのだった。
キラーエイプはアーデンたちを密かに観察していた。そしてその中で真っ先に排除する相手としてアンジュを選んだ。出来ることの多さが強みになることをよく知っているキラーエイプにとって、アンジュが一番厄介な相手だった。
対アンジュを考える上でキラーエイプが取った作戦は単純なものだった。それは基本に忠実であること、スリングショットを持ったキラーエイプは、手にしていた小石を弾にして放つ。
「くっ!」
アンジュは咄嗟に魔法の障壁で小石を防御した。小石はそれに弾かれて落ちる、しかし突然アンジュの太もも裏に鈍い痛みが走った。
当たったのは同じく小石、茂みに隠れている他のキラーエイプがスリングショットで放ったものだった。アンジュは全方位を守る必要があると頭を切り替えて詠唱に入る。
しかし黙ってそれを見過ごすほどキラーエイプたちは甘くなかった。すかさず棍棒を持った二匹がアンジュへと突撃して攻撃を仕掛けてくる。アンジュは詠唱を切り替えて対処する。
『ブースト・火炎波!』
二匹をまとめて焼こうと放たれた大きく薙ぐ炎の熱波、しかし突撃してきていたキラーエイプは射程範囲入る前にピタッと止まって引き返していた。そして今度は、アンジュの脇腹を鈍痛が襲った。
キラーエイプは突撃する振りをしてアンジュの攻撃を誘ったのだった。小石によるダメージよりも、棍棒で殴りかかられた時に受けるダメージの方が大きいのは考えずとも分かることだ。だからこそ無視出来ないとキラーエイプは知っていた。
二度石礫を食らったアンジュは痛みに怯んでしまう、我慢できるとは言え痛みは痛み、恐れを誘発し足をすくませる。
それを見計らったかのように石礫による一斉攻撃が始まった。アンジュはそれに当たらないように避け、障壁で防御し、攻撃を防ごうと動き回る。だがいつもより動きは鈍かった。足や脇腹に受けたダメージの他に、一対多の恐怖、それらは焦りを生みある考えをアンジュの頭に植え付けた。
「どうしてアーデンさんたちは助けにきてくれない」「ただ黙って見ているだけなのか」「このままでは死ぬ」「早くなんとかして」
本来のアンジュであればそんな考えを持つことはない。アーデンたちの様子が分からなくとも、自分を見捨てることも、行動を起こしていないことも絶対にないと知っているからだ。
だが連携の取れた多数を相手にしている内アンジュは期待してしまう、アーデンたちがすぐに駆けつけてきて助けてくれるはずだと。しかしすぐに叶うことがない期待は、絶望に変わって心を蝕んでいく。
負の感情がアンジュの心に渦巻いた。そこから中々抜け出すことが出来ず、ダメージを負いたくないという恐怖心が邪魔をして防戦一方となっていた。
本来アンジュの高威力の魔法であれば、一帯をまとめて焼き払ってあまりある力を持っていた。守りに入るよりもダメージ覚悟で攻め続けられる方がキラーエイプにとっては厄介であり、集団と個のバランスを崩す手の一つだった。
だからキラーエイプの群れはアンジュから攻めの気概を剥ぎ取った。相手の心理を手玉に取る連携がキラーエイプたちの真髄であった。
アーデンとレイアは決して黙ってみていた訳ではない。自分たちを遮る網をどうにか排除しようと必死になっていた。
しかしツタで編まれた網はどうにも頑丈で、それが二重三重と張られていたため対処に手間取っていた。紫電の刃も中々通らず、バイオレットファルコンの射撃も打ち破るまでには至らない。
それもそのはずキラーエイプたちにとって強者との戦いをする時、分断という作戦は死守すべき生命線だった。それに使う網は、試行錯誤が重ねられていて、これまで戦って打ち倒してきた魔物の素材を使って補強されている。
いずれ除去されてしまうという確信がキラーエイプたちにはあった。アーデンもレイアも自分たちより遥かに強い相手だと分かっていた。まずは一人、全力で仕留めなければ勝ち目がないことを理解していた。
キラーエイプたちの作戦は今のところ上手くハマっている。しかし実の所内心では焦りがあった。できるだけ早くアンジュを仕留めなければと手を尽くしていた。
だがアンジュも二人に負けず劣らずの強者である、いくつもの死線をくぐり抜けてきた冒険者だ、中々決定打を与えることが出来ずにいた。
戦いの均衡を打ち破るため、アーデンとレイアそしてキラーエイプたちは必死だった。そしてついにその均衡が傾く時がきた。
一匹のキラーエイプが放った石礫が、アンジュの持つ杖に命中した。杖は折れて使い物にならなくなった。勝負の天秤はキラーエイプへと傾いた。
魔法使いにとって杖は命の次に大切なものと言ってもいい。人が魔法を使うには杖のようなマナを媒介する道具が必要だった。形は様々ではあるが、杖が一般的なものだった。
それがない状態で魔法を使うことは出来ないことではなかった。しかしとても危険で、常に力の暴走というリスクがついてまわることになる。少しでも調整を間違えると体内のマナが活性化し、魔法が別の形で発現する危険があった。
例えば炎の魔法であれば、マナが炎になり体の内から燃え上がる。水の魔法であれば、体内に生成された水が溜まっていき、やがて体が水風船のように膨らんで破裂する。
戦いという極限状態の中で魔法を使うために繊細な作業を行うのは不可能だった。術式を構築し、杖に代わる触媒を用意し、発動に至るまでの詠唱を間違えず途切れることもなく完璧に行う。一々そんなことをしていては戦いにはならない。
過去に一度魔力の暴走を経験しているアンジュにとって、それがどれだけ危険なことなのかを身を以て知っている。杖を失い絶体絶命のピンチに陥ったアンジュ、アーデンたちが助けに入れるまでまだまだ時間がかかった。




