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水の心

 リュウジンを追いかけたカイトは寂れた小屋がぽつんと建つ広場に出た。


「なんだこのボロ屋」

「失敬じゃのう。儂の家になんてこと言うんじゃ」


 いつの間にかカイトの背後にいたリュウジンが不機嫌そうにぼやいた。


「これがあんたの家だって?」

「何じゃ、想像より立派だったか?」

「逆だ逆!あんた高名な武道家とかじゃあないのかよ」

「そんなこと言ったか儂?」

「だって俺を強くしてくれるって話だったろ!?」

「それと儂が武道家かどうかは関係ないじゃろが。儂はただの爺じゃよ」


 カイトはその言葉にがっくりと肩を落とした。本当はどんなにすごい人物だったという展開を予想していたので、その期待との酷い落差に落ち込む。


「っていやいやいや。ただの爺さんが俺に力比べで勝つ訳ないだろ、あまりにあっさり言うから信じかけたぜ、本当はめっちゃすごい武道家なんだよな?」

「なんじゃしつこいのお。お主の中で強い爺は武道家って決まりでもあるのかい」

「じゃないとあの強さは説明つかないだろ?」

「阿呆、儂がお主に勝ったのは腕相撲だけじゃろが。もし仮に本気でやりあったとして、儂がお主に勝てる可能性など万に一つもないわい」


 リュウジンは呆れてため息をついた。そしてゆっくりと広場の中央へと足を運ぶ、曲がった背中がしゃんと伸びて肩幅ほどに足を広げて立った。


「しかし勝てないまでも今のお主に負けることはないわい。それを証明してやるからかかってこい、遠慮はいらん全力でええぞ」

「…正気かリュウ爺?」

「つべこべ言うな、ほれほれ」


 リュウジンは手をくいくいと煽ってカイトを挑発した。その態度にカイトは少し苛立ちを覚えて拳を握りしめた。


「どうなっても知らねえぞリュウ爺」


 拳を振り上げたカイトは地面を蹴り上げると爆発的な速度でリュウジンへ突っ込んでいった。土煙が舞い、それをロックビルズの風がふっと吹き消した。




 目にも止まらぬ速さのパンチを繰り出すカイト、しかし完全に捉えたと思ったその拳は、半身に足を引いたリュウジンに避けられた。


 リュウジンはカイトの腕を掴むと、突進の勢いを利用して腕を引き空中へ投げ飛ばした。投げ飛ばされたカイトは宙でぽかんと口を開けて驚いた。着地してすぐにもう一度リュウジンへと殴りかかる。


 一発では駄目だとカイトはラッシュに切り替える。だが繰り出される連続パンチもすべてリュウジンに見切られていた。殆どその場から動くことなく少しずつ身を捻って紙一重で躱す。


 リュウジンは一発のパンチを躱してカイトの懐へと潜り込む、そしてカイトの膝の裏を狙って右足のかかとで軽く蹴り払う、ガクッと姿勢を崩したカイトの背中を左足で踏みつけて地面に叩き落とした。


 その後カイトは何度も立ち上がっては攻撃を仕掛けるものの、投げ飛ばされ宙を舞い、引き倒され地に伏せ、小突かれて尻もちをついた。土埃にまみれたカイトとは対照的に、リュウジンは綺麗な身のままだった。動き回るカイトと違い、その場から殆ど動いていなかった。


 カイトは始めの内、攻撃が当たらないからいいようにやられるのだと思っていた。しかしリュウジンはカイトの拳を何度か受け止めていた。攻撃を受け止められて勢いをそがれると、みぞおちにリュウジンの肘が突き刺さった。


 リュウジンの打撃はカイトのような力強さはない。しかし一撃一撃が鋭く、刺されているかのような痛みを受ける。しかも的確に急所をついていた。軽やかに見える打撃が何よりも重く、しかもリュウジンはカイトとは違いその場を動くことなく繰り出している。


 結局カイトは一方的にボコボコにされて地面に大の字になって倒れた。息が切れて呼吸を荒げるカイトに対してリュウジンは一つ大きく息を吐き出しただけだった。


「ハァハァ…、何が俺に勝てないだよリュウ爺。俺ぁぼろぼろじゃあねえかよ」

「阿呆め。あれだけ急所に打撃を加えたというにピンピンしとるじゃあないか。お主を殺し切る力はもう儂にはないわい、だから勝てないといったのじゃ」

「あぁ?リュウ爺てめえ俺のこと殺す気だったのかよ」


 カイトの質問は冗談交じりの何気ないものだった。しかし常に朗らかな雰囲気を身にまとうリュウジンが、キッと冷めきった目と表情で乱暴に吐き捨てた。


「当たり前じゃろうが。お主は生きるか死ぬかの世界に身を置いておる、こちらもそれ相応の覚悟をもって臨むが礼儀」


 リュウジンは地面に転がるカイトの胸ぐらを掴んで軽々と持ち上げた。


「お主に足りないものはいくつかあるが、一番足りないものは危機感じゃ。常在戦場。生きることは戦いじゃ、そしてお主が生きるためにはお主の敵を殺さなければならん。殺さねば死ぬ、しかしそれはお主ではない。お主の側におる仲間がじゃ」

「し、死ぬのは俺じゃない?」

「そうじゃ。お主の事情はまったく知らんが、どういう訳かお主は人並み外れた身体能力に生命力を持っておる。先ほどお主が軽症で済んでいた儂の打撃も、他の人ならばすでに死んでいておかしくない」


 持ち上げられていたカイトは、また地面に投げ捨てられた。ドサッと倒れ込んでリュウジンを見上げる。


「お主が守り抜けねば仲間が死ぬ。そしてお主は一人ぼっちで枯れてゆく。どれだけ強かろうと最後は一人だ」


 リュウジンの言葉には感情がこもっていた。その感情がいったいどういうものなのかカイトには伺い知れない、しかしどこか淋しげな目をしていたことだけは見て取れた。




 先ほどまでの冷たい雰囲気がパッと消えて、リュウジンはいつもの調子に戻った。


「ま、爺のややこしい説教はここまでじゃ。悪かったの、年甲斐もなくムキになってしまったわい」

「…いや、そんなことねえよリュウ爺。ありがとよ。俺ぁ皆を守りたい、だから強くなりたいと思っていた。だけどこりゃあ少し違っていた」


 カイトは体にぐっと力をいれて立ち上がる。


「俺ぁ事情があって元から強い、これ以上ないってくらい強く作られた。俺が目指すべきは仲間を守るために強くなるじゃない。俺ぁきっと人を、仲間を守るほど強くなれるんだ。だからよリュウ爺、俺にその方法を教えてくれ」

「…守るほどに強くなれるか。良い答えじゃな。よかろ、お主が劇的に変われる方法を教えてやろう」


 リュウジンはカイトに姿勢の指導を始めた。足は開きすぎず半身に構え、拳は固く握らず軽く握る、体から力を抜いてリラックスさせた。


「よいか、戦うから構えるのではない、いつでも戦えるように構えを覚えるのじゃ。思考と体を固くしてはならない、心を幸せの水で満たすのじゃ」

「幸せの水?」

「恐怖や危険は体が覚えておる、しかしそれに囚われていては力が入るばかりで抜けていかん。幸福な思い出の湧き水で心を潤すのじゃ、さすれば力は自然と抜ける」

「幸福な思い出…」


 カイトは自然と目を閉じた。思い浮かぶのは友の顔、自らを生かし育ててくれた仲間たちの笑顔、人として生きろと背中を押してくれた生みの親の願い。


 そしてどこまでも広がる大海原の景色を思い出していた。吹き抜ける潮風、照りつける太陽。時にはゆりかごのように優しく揺すり、時には猛々しく荒れて大波を立てる。苦難の運命を背負うカイトは、海に自分を重ねて見ていた。


 カイトの心が水で満たされていく、緊張感が消えて体から力が抜けていった。カイトが目を開くと景色がまったく違って見えた。


「なんだこりゃ?」


 視界がいつもよりはっきりとしている。そしてよく見えるだけではない、普段は目にも止まらないような木の葉の動き、風の通り道、自然の息遣いを全身で感じるようだった。


「どうじゃ?よおく見えるじゃろ。それだけじゃあない、感覚も鋭くなっておるはずじゃ」

「あ、ああ。見える、それに感じる」

「それこそが水の心。お主の集中力を高め、同時に心の安定を保つものじゃ」

「水の心…」


 リュウジンは言葉もなくカイトの死角から鋭い一撃を放つ、完全に見えていない場所からの攻撃を、カイトは最低限の動きで完璧の防御して振り払った。そのまま流れるように体が動いてぐるりと身を捻りパンチを繰り出す。


 拳はリュウジンの目の前で寸止めされた。カイトが自分の意思で止めた。拳を引かなければそのままリュウジンの頭を打ち砕いていただろう。リュウジンはカイトと対峙して初めて冷や汗が額を伝った。


「…儂が言うのもなんじゃが、恐ろしい完成度じゃな」

「これが俺に必要だったものか」

「ああ、お主の圧倒的な力を持ってすれば小手先の技など不要じゃ。むしろその力に囚われない心持ちこそが肝要、どう動くべきかは自然と導き出されるじゃろうて」


 そう言うとリュウジンはカイトの前に立って最初の時と同じように構えた。


「かと言って技が不要という訳でもない。組手してやるから体で覚えい。しかしお主は手を抜けよ?儂死んじゃうから」

「何だよ弱気だなリュウ爺」

「やかましいわ。爺をいたわれ」

「ははっ」


 カイトは楽しそうに笑うともう一度構える。リュウジンは組手が始まる前にカイトに聞いた。


「もう一度聞いておこうかの。お主は何者じゃ?」


 リュウジンの問いかけにカイトは自信をもって答えた。


「俺はカイト・ウォード。仲間を守るために生きると決めた男だ」

「そうか。よき答えじゃのカイト」


 言葉が切れると二人の拳が交差した。師から水の心を教わったカイトは、いきいきとその表情を輝かせた。

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