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心象風景

 アンジュはサラマンドラと共に竜域で瞑想を続けていた。時の流れから隔絶されている竜域ではどれだけ時間が経とうとも元の世界では少しも時は進まない。


 目を閉じているはずのアンジュの視界には、ろうそくのような小さな火があった。それはサラマンドラが瞑想を助けるために見せているもので、火に意識を集中させている内にアンジュの意識はぷつっと途切れた。




 目を開いたアンジュは景観の変化に戸惑った。見覚えのある建物、リモの木、そして子どもたちが遊ぶ広場、そこはどう見ても自分がかつていた孤児院だった。


「これが…」

「ようやく成功したようだな」


 右手近くから声が聞こえてきたアンジュは、手を前に出し手のひらを広げた。その上にボッと音を立てて炎が灯る。


「ここが私の心象風景ですか」

「ああ。アンジュという存在の原点とも言える場だ」


 自らの原点が孤児院であることには納得していた。しかしアンジュには気がかりなことがあった。


 それは孤児院に誰もいないことだった。自分の知る孤児院はいつも活気に溢れていて子どもたちの笑い声や、それをたしなめる大人の声、そして労働に励み共に汗を流した家族の姿があった。


 目の前のそれは静かすぎた。姿形が同じでも、アンジュにはまったく違う場所のように見えた。


「ここに誰もいないのは心象風景特有のものですか?」

「いいや。人と人の心とは繋がり合うものだ。それが例え現実のものでない心の風景だとしても、そこに人がいることは何もおかしい話ではない」

「それは私の心は誰とも繋がっていないということですか?」

「分からぬ。しかし気配はある。まずは歩いてまわってみることだ」


 アンジュはサラマンドラに言われた通り孤児院を歩いてまわってみた。すべて見慣れた景色でアンジュは郷愁にかられる、壁につけた傷やいたずら書きをした机、大人数が寝るために並んだベッド、すべてを鮮明に覚えていた。


 ただし似ているのは側ばかりで中身は似ても似つかない。共に学び共に遊んだ家族たちの姿がなければ、孤児院もただの箱にすぎないとアンジュは思った。


「寂しい場所…」


 アンジュはそう呟いた。一度もその場所をそんな風に思ったことはない、苦い思い出こそあれど嫌いになったことはない。それなのに歩を進めるたびに嫌悪感に近い感情がアンジュの心に湧いた。


 孤児院の書庫の扉を開けた。埃っぽくて明かりが差さず暗い、手のひらに浮かぶサラマンドラの炎の明かりを頼りにアンジュは進んだ。


 そしてとうとうアンジュはそこで初めて人を見つけた。小さな体に似つかわしくない大きく分厚い本を広げ、それを懸命に見つめる子どもの姿だった。アンジュにはそれが誰なのかすぐに分かった。


「あれは私ですね」

「そうだ、幼いお前の姿だ。そして魔法の才能を開花させた瞬間でもある」

「…でもそのせいで私はミシェルを傷つけた」


 アンジュは言葉の語気を強めた。そこには憎しみの色が混ざっていた。


 ミシェルと仲直りし、過去のことを受け入れたはずだった。それでも目の前にその時の自分が現れると毒づかずにはいられなかった。もう誰にもどうすることも出来ない過去の出来事だというのに割り切ることは出来なかった。


「自分が憎いかアンジュよ」

「…」

「答えられずともよい。何が正しかったのかなど誰にも決められやしないのだからな」

「…正直」

「うん?」

「憎くないと言えば嘘になります。だけど私は魔法について学ぶことが楽しかった。未知の世界に足を踏み入れた時には心が躍った。魔法使いだけが操ることの出来る現象を再現出来た時には飛び跳ねて喜びました」


 アンジュは話しながら幼い自分の前に回り込んだ。魔導書の字を小さな指でなぞりながら読む自分の顔は心底楽しそうで、キラキラと目を輝かせていた。


「私は純粋に魔法を学ぶことを楽しんでいたんです。その気持ちは否定出来ない、いや否定しちゃいけない。色々なことがあって忘れてしまっていたけれど、私は魔法を学ぶことに喜びを感じ至上に思っていた。私はいつの間にかこの気持ちをここに閉じ込めてしまっていたんですね」

「魔法という力は人々が積み重ねてきた叡智の結実だ、みだりに使ってはならないが過度に恐れてもいけない。危険なものもあるからこそ知ることをやめてはならないのだ」


 サラマンドラの言葉にアンジュは頷いた。やっと自分の心象風景に他の人が誰もいなかった理由に気がついた。


「私はここで誰も傷つけたくないという夢を見ていたんですね」

「それは決して間違った願いではない」

「でもそれが枷になっていた」

「そうだ。しかしそれは魔法に限った話ではない。どんなものであれ傷つくものはいる、どれだけ注意を払おうともな。しかし心の触れ合いなくして叡智の発展はありえない。恐れず進めアンジュ、間違うこともあるかもしれないが、周りにはそれを止めてくれる友がいるはずだ」


 アンジュは書庫の扉がギィと音を鳴らしたのに気がついた。閉めたはずの扉が開いている、そちらに目を向けてもう一度幼い頃の自分に目を戻すと、すでに幼いアンジュは消えていた。


 扉を開けて外に出る。暗い部屋の中から出た直後に眩しい太陽の光、アンジュは手で影を作って目を覆った。


 明かりに目が慣れてくると視界が鮮明になっていく、そしてそこには自分の知っている孤児院の姿があった。


 子どもたちは飛び跳ねて遊び回りはしゃぐ声を上げている、少し大人びてきた子は勉学に勤しんだり、肩を寄せ合い他愛のない話で盛り上がっていた。リモの木を丁寧に育てる子の姿もあれば、大人に混ざって厨房で料理を学ぶ子の姿もある。


 テオドール教授は院長と話をしている。その足元には幼いアンジュの姿があった。父に甘えるかのように教授の足を抱きかかえている。


 そして子どもたちに囲まれて明るい笑顔を振りまいているミシェルの姿もあった。その顔は幸せに満ちていて不幸な様子など微塵も感じさせなかった。


「サラマンドラ、今なら言えます。確かにここが私の原点です」

「素晴らしい景色だなアンジュ」

「ふふっそうでしょう?本物を見たらきっとあなたも気に入りますよ」

「…そいつは素敵なことだ」


 サラマンドラの炎が揺らいだ。アンジュは若干の間が気になったが、視界の端に見えた人に気移りした。そしてとても安らかな笑顔を浮かべる。


「ああ、やっぱり皆もここにいるんですね」


 それはアーデンたちの姿だった。子どもたちを何人も一斉に抱えあげるカイト、おもちゃを作って子どもたちに遊び方を教えるレイア、子どもの手を引いて一緒に駆け回るアーデン、冒険の旅で出会ったアンジュのかけがえのない友の姿だった。


 その光景を目に焼き付けたアンジュは、静かに目を閉じた。穏やかな気持ちが心と体を包み込み、やがて意識が途切れた。




 アンジュが目を開くと心象風景から竜域に戻っていた。暗く殺風景な空間に炎が揺れている。


「どうだアンジュ、殻は破れたか?」

「ええ、それはもう十分過ぎるくらいに」


 そう言うとアンジュは詠唱を始めた。手のひらの上に集まるマナは渦巻く炎に変わり、上級魔法の業火炎弾が生成された。手を握り込んで炎を消すとアンジュはサラマンドラに話しかけた。


「私を守るための殻はもう必要ありません。だって今度は私が皆を守るから」

「もう心配いらぬようだ。とてもいい顔をするようになったなアンジュ」

「あなたのお陰ですサラマンドラ、ありがとうございます」

「アンジュよ、賢者の道を歩む者よ、過酷な運命に負けず仲間と共にその道を進むのだ。世界にどのような真実があったとしても迷うな、仲間を信じて進み続けろ」


 サラマンドラがアンジュにそう告げると、竜域が徐々に明るくなり始めた。そしてアンジュは体が強く引っ張られるのを感じた。外へ出されようとしているのだと分かるとアンジュは最後に声を張り上げた。


「サラマンドラ!本当にありがとう!私絶対にこの力で皆を守ります。そしていつか世界の真実を、伝説の地へ仲間と一緒にたどり着いてみせます!」


 引っ張る力が強くなりすぎて声が届いたのかアンジュには分からなかった。しかし最後に見えたサラマンドラの炎は、今までより一際大きく燃え上がっていた。


 竜域から戻ったアンジュはロックビルズの公園で目を覚ました。吹き抜ける風がアンジュの髪を揺らし風鳴き岩の音が鳴る。髪をかきあげたアンジュは遠くの空を見つめ故郷に思いを馳せるのだった。

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