全員の仇敵
モニカさんから話の主導権がオーギュストさんに変わった。雰囲気こそ変わらないものの、少しばかり暗い面持ちになった。
「私は元々帝国内でも少々特殊な立場にあってね、身分は重くとも立場は軽かったから兄上に任せて色々と好きにやらせてもらっていた。そんな中、誰も気に留めることのなかったモニカ君の報告書を目にしたんだ」
「大まかに言えばグリム・オーダーという組織が動いているというものです」
「誰もがそんな話は荒唐無稽だと吐き捨てた。しかし私は興味を持った。だから個人としてモニカ君に接触したんだ」
オーギュストさんはモニカさんに事の詳細を聞くと、その危険性を察知すると同時に、シェイドと名乗る首魁が本物であった場合の帝国の混乱を危惧した。
本物であったとしても、ゴーマゲオから完全に独立したエイジション帝国が揺らぐことはそうそうない。しかしそれを利用しようと良からぬことを考えるものが出ないとは限らない。
「権力とは難儀なものでね、時にどれだけ愚かな選択であってもさせてしまう魔力がある。古の皇帝など持ち上がることのない神輿であっても担ぎたくなるものはいる」
「あの化け物が他人に担げるとは思えませんけど」
「まったくアーデン君の言う通りだよ。結局危惧していたことは現実に起きていた。それも水面下でね」
シェイドはエイジション帝国の権力中枢の中にじっくりと食い込んでいた。表立っての活動は一切せず、自らの存在と力をちらつかせることで欲望という心の隙間を埋めていた。
「私は詳細を調べ始めた。兄上に被害が及ぶ前に不穏な芽は摘み取らねばならない、しかしこの動きはすでに読まれていた」
「それが…」
「兄上の嫡男エルダーだ。とても優秀な子でね、文武に優れ政治にも長けている、神童と呼ばれるのに相応しい子だった。どう取り入ったのか分からないが、シェイドはエルダーに目をつけ落とした」
オーギュストさんは遠い目をして語り始めた。
調べを進める内にエイジション帝国内での不穏分子を見つけていたオーギュスト、シェイドが行き渡らせた毒をどう取り除くかを考えていた。
大きく目立った動きはないがとても範囲が広い、浄化するにも時間と労力がかかるだろうと踏んでいた。そして自分だけの力では足りないということも分かっていた。
協力者が必要という結論に至ったオーギュストは、信頼できる人の選別を進めた。その中で何人かの有力貴族への接触があった。ロールド家もその内の一つである。
矢面に立ち国を背負う兄の力になりたい、そんな気持ちがオーギュストにはあり、それが原動力となって足を進めた。
そんな折、とある機会でオーギュストの元にエルダーが訪れた。叔父として甥を可愛がっていたオーギュストはエルダーのことを快く迎え入れて歓迎した。妻もエルダーを信頼していたし、子供たちもよく懐いていた。
オーギュストは兄に近い存在であるエルダーには極力情報を漏らさないように注意していた。巻き込んでしまえば帝国の根幹に危険が及ぶ可能性がある、それだけは絶対に避けたかった。
しかしエルダーはオーギュストが動きを見せていることを知っていた。そして父の名前を出して不安を煽るような説得をしてきた。オーギュストは動きが漏れていること、そして兄に心配をかけたくないという気持ちから活動の内容を話してしまった。
それを聞いたエルダーは満足そうに頷いて言い放った。
「やはりあなたでしたか、優秀なのも考えものですね」
何をと聞く余裕はなかった。エルダーがパチンと指を弾いた瞬間屋敷から火の手が上がる。それに気を取られたオーギュストは、自らに迫る凶刃に気がつくことが出来なかった。
腹に鈍い衝撃が走り血が滲む、エルダーの仕業だと刺されてなお信じられなかった。しかし悪魔のような冷笑を浮かべエルダーは刃を抜き取る。傷口から血が出るのを必死で手で抑えた。
遠のく意識に落ちるまぶた。エルダーが立ち去るのを見て死を覚悟した。ごうごうと燃え盛る家の中、大怪我を負ったオーギュストの死は間近だった。
ここで死ぬわけにはいかない。オーギュストは歯を食いしばると怪我を抑えながら二階の窓から飛び降りた。そこで死んでもおかしくなかったが運が味方をしてオーギュストは少々の怪我ですみ生きていた。
全身に走る激痛に意識を持っていかれないようによろよろと歩き始める。しかしどうにかその場から離れることしか出来なかった。家に残してきた家族を心配する余裕もなく、オーギュストは意識を失った。
見慣れぬ天井を見上げて目を覚ます。オーギュストは生きていた。全身大怪我を負っていたが、治療が施されて生きながらえた。
彼を助けたのは他ならぬロールド家、つまりはリュデルの父親であった。協力を持ちかけられてからロールド家は独自に調査を進めており、多くの情報をもつオーギュストのことを監視していた。グリム・オーダーの当事者であった場合のことを考えてのことだった。
そのお陰でオーギュスト家で起きた出来事をいち早く察知することができた。未然に防ぐことはできなかったものの、オーギュストのことを救出することだけは出来た。こうして九死に一生を得たのである。
「療養中に家族全員の死亡を知らされた。そして私の死亡も発表されたと聞き、生きていることが知られればすぐにでも消しにかかってくるだろうと思った。私はロールド家の協力を得て自分を死んだことにし、裏では密かにモニカ君に接触を図った」
「オーギュスト様から事の顛末を聞いた私は、グリム・オーダーの危険性を甘く見積もっていたことを痛感しました。私は旧ゴーマゲオ領の監視を強めるために必死で成果を上げ、ワード家と皇帝陛下へ働きかけをし、なんとか今の地位に就くことができました」
「ここに身を寄せたのはシェイドの動向を把握するという理由と、帝国から距離も遠く監視の目も少ないというものだ。それに灯台下暗しと言うだろう?」
言っていることは分からないでもないが、オーギュストさんの並外れた胆力には脱帽した。ここは謂わばグリム・オーダーの支配下といってもいい場所だ、見つかればどんな目に遭うか想像したくもない。
「随分と思い切りましたね」
アンジュがそう言うとオーギュストさんが頷いた。
「常識が通用しない相手だからな、こちらも常識にとらわれていてはならない。相手がまさかと思う発想が必要だった」
「それに帝国からも離れ過ぎない場所がいいと」
「その通り。逃げることだけに終始して遠く離れた場所に落ちては意味がない、兄上は今もエルダーによって傀儡とされているのだからな。監視と情報収集、ここならどちらも滞りなく都合がいい」
なるほど確かにと思った。危険を冒してでも留まる覚悟が必要だったということか、シェイドを相手にしてやりすぎでは足りないだろうと感じていた。
それと俺は、ずっと黙っているリュデルのことが気になった。リュデルの役割は一体何なのだろうと。考えたところで答えが出るわけもない、俺は思い切って聞いてみることにした。
「あの、リュデルはどう関わってくるのですか?」
俺から名前が出たことでリュデルの肩はびくっと震えた。
「リュデル君には秘宝確保のために動いてもらっている。シェイドに先んじることができればこれ以上のことはないからね」
「表向きには皇帝陛下へ秘宝を献上するために冒険者活動をしているということになっています。実態は私たちと協力して動いてもらっています。実働隊担当といった所でしょうか」
「そうですか…」
リュデルは多くの使命としがらみの中で冒険に臨んでいたんだなと思う。そしてそれは、俺の冒険観とはまったく違っていて窮屈に思えてしまう。
彼の本心はどう思っているのだろう、そんなことをふと考えた。冒険を楽しんでいるようにも見えるのは本当のように思える。しかし時には仲間すら欺いて目的のために動く。リュデルは自分のための冒険ができているのだろうかと勝手ながら不安に思う。
「今回のこと、本当に申し訳ないと思っている。君たちを巻き込んでしまったのは完全に私たちの落ち度だ。安い首ではあるが、どうかこれで許してもらえないだろうか」
オーギュストさんはそう言い深々と頭を下げた。それに倣ってモニカさんも頭を下げる、俺たちは顔を見合わせて頷くと言った。
「顔を上げてください。事情は分かりましたし、伝説の地を追い続ける限り俺たちも当事者です。協力できることは協力させてください」
「シェイドは私たちのこともターゲットに定めているようでした。遅かれ早かれ接触があったと思います」
「それに俺の存在もあるしな。今までちょっかいかけられなかったのが不思議でもある」
俺たちは彼らを許した。それにいがみ合うよりも手を取り合ってグリム・オーダーに対処した方がよほどいい。相手の力は強大で未知数、そして俺たちは情報を殆ど持っていないがオーギュストさんたちは違う。
グリム・オーダーから実際に脅かされ、その脅威を打破するために動いている。俺たちの目的と合致こそしないが、最終的に脅威を退けなければならないということは一緒だ。
「その代わり、流石に次からは隠し事はなしにしてください。事情があるのは分かりましたけど共有してほしいです」
「勿論そうさせてもらう。それとあれは私の指示だった。リュデル君とモニカ君を責めないでくれ、この通りだ」
こうして俺たちは、帝国に迫る魔の手を退けるために戦うオーギュストさんと協力関係を結ぶこととなった。
シェイド・ゴーマゲオ、この事件で多くの因縁を作って残した。いつか必ず清算させてやる。俺は決意を新たにした。