皇帝の弟
拠点に戻った俺たちを迎えたのはモニカさんだった。いつになく神妙な面持ちをしていて、気を失っているレイアたちを見て更に眉を顰めた。
「こちらへどうぞ」
朝になったというのにモニカさんは俺たちを地下へと通した。いいのだろうかと逡巡するが、少しでもよい環境で休ませてやりたいと思い厚意に甘んじることにした。
「モニカさん、地下を使っても大丈夫なんですか?」
それでもと思い俺が聞くとモニカさんは振り向くことなく頷いた。
「ええ。寧ろ上では駄目です」
「駄目?」
「まずは御三方の治療を、話はそれからにしましょう」
何だか様子が変だと思いながらも俺はレイアをベッドまで運んだ。体を優しく横たえさせると、手を掴んでギュッと握りしめた。
「ごめんレイア。考えが甘かった。ごめんな」
今回の事態は予測はつかなかったけれどあまりに無防備だったのは間違いない。そのせいでレイアを危険な目に遭わせてしまった。それが情けなくて苦しかった。
「アーデンさん…」
「アンジュもごめんな。怖い思いさせちゃって」
「いえ、私もどこか楽観視していました。相手のことをよく知りもしないのに、二人の刺客を退けたことで相手を甘く見積もってしまった。私たち皆の責任です」
両手をギュッと握りしめてアンジュがそう言った。俺はそんな彼女の頭を優しく撫でて礼を伝えた。
「アー坊、アンジー、坊ちゃまとモニカさんが呼んでるぞ」
「分かった。すぐ行く」
ひょいと顔を覗かせたカイトに返事をすると、俺はもう一度レイアの手を握りしめてから立ち上がった。そしてアンジュと一緒にリュデルたちの元へ向かった。
「お待ちしておりました。どうぞ席に」
モニカさんの隣にリュデルが座っていた。しかしその顔は浮かないどころか深く沈みきっている。いつもの様子と違うのはモニカさんだけでなくリュデルもだった。
そのしおらしい姿はいつもの大人びた様子ではなく、初めて同い年なんだなと思わせた。冒険者としての経歴の長さとか、立場や振る舞い方でそんな気はしなかったけれど、リュデルを初めて身近な存在に感じた。
「アーデン様そして仲間の皆様、私はまずあなたたちに謝罪しなければなりません」
モニカさん、やけに物々しい言い方をするなと思っていると深々と頭を下げて衝撃の事実を告げてきた。
「実は私はグリム・オーダーの首魁が誰かを知っていました。そしてその目的もです」
「は?」
俺は思わず間抜けな声を上げてしまった。どういうことかさっぱり分からない。しかし隣に座っていたカイトがモニカさんを睨みつけて言った。
「その上で黙っていたってのかい?」
「そういうことになります」
「…私たちは死にかけたんですよ。それだけじゃあない、レイアさんはもっと怖い目に…」
アンジュもいつになく低い声で責めるようにそう言った。憤りを露わにしていて肩を震わせている。カイトも険しい顔をしたままだった。
「本当に申し訳ありません。シェイドがそのおぞましい目的を果たすためにどう動くのかを見極める必要があったのです。有する戦力についても調べる必要がありました」
「そのために利用したってことだな?」
「…はい」
カイトは拳をダンッと机に打ち付けた。俺は咄嗟に止めに入る。
「やめろよカイト」
「いいや、やめないね。裏切られるのもいい。坊ちゃまがこっちを利用してたってのも分かっていた。しかしそのせいでお嬢が危険な目に遭ったのは許せない。グリム・オーダーの危険性を知っていたならなおさらだ」
俺は言葉に詰まった。カイトはグリム・オーダーの関係者であり被害者だ、どれだけ非道な行いを平気でしてくるのかを分かっていた。怒って当然のことだと思う。
「待ってくれ、責めるのなら僕だけにしてほしい」
リュデルのその言葉に頭を振ったのはアンジュだった。
「そうはいきません。リュデルさんがどう関わっていたのか知りませんが、必要な情報は共有するべきだったのではありませんか?これが謝って許されることですか?」
「それは…」
力なくうなだれるリュデルの姿は痛々しかった。それに同情心がなかった訳ではない、だけどそれ以上に俺は二人を止めないといけなかった。
「二人共もうやめよう。責めた所でどうしようもないし、俺たちだって悪いってのは二人も分かっているだろ?」
結局俺たちの問題点は迂闊だったことだ。いつものような気持ちで冒険に臨み、どうにかなると思っていた。多少危険な目に遭ったとしてもなんとかなるだろうと思い込んでいた。
グリム・オーダーの陰謀なんて対岸の火事だと考えていた。まさか自分たちも陰謀の一部に組み込まれているとは思いもしなかった。
「グリム・オーダーが危険なことを分かっていて俺たちは手を貸した。そりゃ事情を知らされていなかったことは確かに腹立たしいけど、探らなかったのは怠慢だろ?」
アンジュもカイトも同じことを思っていたのだと思う、俺の言葉を聞いて閉口し乗り出した身を引っ込めた。怒りはどちらかと言うと自分たちに向かっていたのかもしれない。
「だけどここまで巻き込まれたんだ。理由は全部教えてくれるんですよね?」
「ええ勿論です。しかしその前にご紹介したいお方がいます。よろしいでしょうか?」
「紹介したい人?誰ですか?」
「私だ」
部屋の奥、陰からやってきたのは壮年の男性であった。まったく覚えのない顔だったが、まとう雰囲気や風格のある佇まい、どこか威厳を感じさせる顔つきに只者ではないと思わされる。
「このお方は現エイジション帝国皇帝の弟君であらせられるオーギュスト様です」
「なっ!?」
とんでもない人が出てきて思わず言葉を失った。偉いとかそんな次元の話ではない、本当に立場の違う雲の上の人が現れるとは思ってもみなかった。
その人の登場にカイトはピンと来ていないようだったが、アンジュは大層驚いていた。その尋常じゃない様子に俺は思わず話しかけた。
「どうしたアンジュ?」
「いや、だって、そんなこと。あ、ありえないですよ」
「気持ちは分かるけど本人を前にしてちょっと…」
「違うんです!私も詳しくは知らないのですが、テオドール教授が話しをしている時耳にしたことがあります。皇帝の弟は亡くなっているはずなんです!!」
それはにわかには信じがたい発言だった。しかしもっと信じられない発言が本人から飛び出した。
「その通りだ。私は表向きは死んだこととなっている。実際殺されかけたから間違いとも言えないな。死を偽装して生き延びているのだよ」
「死っ…?へ?え?」
「混乱するのも無理はないか。私も最初は混乱したものだよ。目的のためやむを得ないとはいえ、自分が死んでいると受け入れるのは中々難しいものだった」
そういう事を言いたい訳ではないのだが、オーギュストさん?はうんうんと頷きながら何やら納得している。
「オーギュスト様、アーデン様がおっしゃりたいのはそういう意味ではないかと」
「む、そうなのか?」
「あー、えっと…、まあそうですね」
「そうか。勝手に納得して話を進めてすまなかった。私はどうもそのようなきらいがあるようでな、モニカにはよく注意されるのだよ」
モニカさんは見えないように頭を抱えている、確かにこの人のフォローをするのは骨が折れそうだ。でも話していて悪い印象を持つような人ではなかった。
「えーっと、色々聞きたいことはあるのですが。まずは自己紹介ですよね。俺はアーデン・ブラックと言います。アーデンと呼んでください」
俺はそう言うと頭を下げた。挨拶はコミュニケーションの基本だ。
「これは丁寧にありがとう。モニカからの紹介もあったが私はオーギュスト、今はもうなんの立場もないから気軽に呼んでくれていい」
「さ、流石にそれは…」
「堅苦しいのは私も好かない。せめて君たちは肩肘張らずに接して欲しい」
額面通りに受け取っていいのかとは思うが、このままでは話しが進まないだろうと思い俺は頷いた。
「じゃあよろしくお願いします。オーギュストさん」
「ああ、よろしくアーデン君。お仲間の皆様もよろしく」
オーギュストさんの方から手を差し伸べてきてまた面食らった。これは取らない訳にはいかないので俺たちは全員手を取って握手を交わした。
突然現れたエイジション帝国皇帝の実弟、話がどう転がるのか分からなくなってきたが、どうやら前進しそうではありそうだと俺たちは思っていた。