父が残した切り札
おぞましい事実ともはや人とは呼べない化け物である亡国の皇帝シェイド。グリム・オーダーの首魁を前にしたアーデンたちは、語られる事実に衝撃を受けながらも人質を奪還する機会を伺っていた。
しかしシェイドにもルーカスにも死角はない。どこをどうしようともアーデンたちから手を出した瞬間にレイアたちは殺される、それが分かって動けずにいた。
どうにもならない現状を前にしてアーデンたちは窮地に立たされていた。
「さて楽しい語らいもそろそろお開きとしようか。吾輩の要求は貴様らのもつ竜の印だ。それをこちらに譲渡してもらおうか」
シェイドはいよいよ要求を突きつけてきた。そしてその要求は、ゴルカとカーラが告げた曖昧な要求とは違い、明確かつ致命的なものであった。
「伝説の地を目指し竜を追う気概をもつ冒険者はもはや絞られた。夢見る非力な小僧と偽りの帝国の犬だけだ。火と水は小僧が、風と土は犬が持っているな?」
シェイドはアーデンとリュデルを指さした。二人は思わず互いの顔を見やった。アーデンはリュデルがすでに風と土の竜の印を持っていたことを知らなかった。リュデルはそれを意図的に隠していたということになる。築きかけていた信頼が揺らいだ。
「さあ吾輩に竜の印をよこせ。さもなくば貴様らの大切な仲間は死ぬ」
今まで動きのなかったルーカスが手を上げてぐっと拳を握りしめた。その瞬間、レイアたちのか細くひねり出したような悲鳴が耳に届いてきた。首を締めつけられていて声を出すのもやっとであった。
「貴様らが迷えば迷うほど死は近づいてくる。決断は早くするがいい、むざむざと仲間を失いたくなければなあ!!」
高らかに笑い声を上げるシェイドの顔は享楽に満ちていた。絶望の表情を浮かべるアーデンたちを心底笑いものにしていて、自らの思うままがままにできる状況を楽しんでいた。
四竜の印がシェイドに渡れば、伝説の地にある秘宝が再び彼のものとなることを意味する。そうなった場合に起こりうる惨劇は想像に難くない。語って聞かされたことがすべて事実であることは肌で感じ取っていた。
だが印を渡さなければシェイドはなんの躊躇もなくレイアたちを殺す。更に言うなら、渡したうえでレイアたちが無事開放される見込みも保証もない。欲望の赴くままに無惨に殺そうとしても不思議ではなかった。
どうしようもない絶体絶命の危機。この先の展望に誰もが希望を見いだせなくなっていた。何もかもあきらめる他ない、アーデンには自分の冒険はここで終わるのかという考えが頭をよぎった。
そんな時懐に仕舞っていた父の手記が唐突に熱を帯び始めた。やけどしそうになるほどの熱に思わずアーデンは手記を取り出して地面に放る。すると勝手にページがパラパラとめくられていき、手記からまばゆい輝きが放たれた。
その場にいた全員が目を開けていられない輝きだった。それはシェイドもルーカスも例外ではない。一体何が起こったのか、それを確認する前のアーデンに懐かしい声が聞こえてきた。
「ようアーデン。本当にここで冒険を終わりにするつもりか?逆転の手はいつだって諦めない者の手にやってくるものだぜ」
輝きの中にいたその人物は、偉大な冒険者ブラック・シルバーその人であった。
突然の出来事にアーデンはぽかんと口を開けていた。父の手記から現れた父、しかしアーデンの知る姿とは少し異なっていた。
記憶にある父の姿の面影はあれど、目の前にいるブラックは若々しい姿をしていた。間違いなく父親だと分かるけれど、同時に間違いなく本人そのものではないとも分かった。
「と、父さんだけど…本物じゃあないよね?」
「そうだな、本物のブラック・シルバーじゃあない。俺はなんというか、うーんと、説明が面倒だから簡単に言うが、一度きりお前のことを助けてやれる父さんの保険ってやつだ。お前の冒険はお前だけのものだからなるべく出てくる気はなかったんだけどな」
ブラックは少し困ったようにアーデンに笑いかけた後、ギロリと鋭い目つきでシェイドたちの方を見た。
「そこの死にぞこない相手にいいようにやられるってのは面白くないだろ?だから手助けに来た」
「ブラック・シルバー!相変わらず忌々しい男だ!」
「死にぞこないの老いぼれに言われたかねえなあ。いいからとっととレイアちゃんとお嬢ちゃんたちを離しな。今ならげんこつで許してやるよ」
「ほざけ、貴様の好きにはさせんわ」
シェイドはルーカスに視線を送った。それは処刑の合図だった。ルーカスはこくりと頷くと指示を実行しようとした。
「させねえよジジイ」
その動きより速くブラックは動いていた。目にも止まらぬ速さで接近すると同時に、愛用の鞭をビュッとしならせて飛ばす。
鞭の先端がルーカスの手と顔を叩いた。怯むルーカスは眼鏡が顔から落ちる、すぐさま反撃に転じようとしたが、ブラックの狙いはそれだけではなかった。
ルーカスの右目にナイフが突き刺さった。鞭による攻撃に隠しながらブラックは同時にナイフを投擲していた。それが眼球を捉えたのだ。
「ガアアアァァァァッッ!!!」
「アーデンッ!今だ!!」
痛みで叫び声を上げるルーカスに接近しながらブラックがアーデンに呼びかけた。その意図に気がついたアーデンはファンタジアロッドを展開し二つに割ると、片方をリュデルに渡した。
「お前なら使える!」
レイアたちの拘束が解けていた。アーデンはロッドを伸ばしてレイアの体をしっかりと掴んだ。ロッドを渡されたリュデルも、アーデンと同じように刀身を伸ばしてメメルとフルルの体を掴む。
「カイトッ!手伝ってくれ!」
「任せな坊ちゃま!」
アーデンとリュデルはレイアたちを同時に引き寄せた。アーデンはレイアを抱きとめ、リュデルはメメルを、カイトはフルルをがっしりと受け止めた。三人は気を失っていたが大きな怪我はなかった。
「救出成功だな!後は父さんがやっておくから逃げなさい」
声をかけようか迷うアーデンだったが、迷いを晴らすように大きく頭を振った。
「アンジュ!手記を回収してくれ」
「もうしました!」
「流石!撤退するぞ!」
そしてもう振り返ることなく走り出した。父を信じてアーデンはひた走った。ノ・シレ遺跡を出てもその走りは止まることはなかった。
残ったブラックはルーカスに刺さったナイフ目がけて飛び膝蹴りを放った。更に深く傷を抉られて、ルーカスは声にならない悲鳴を上げた。
『業火炎波!!』
シェイドはブラックに向けて灼熱の炎の魔法を放った。至近距離での上級攻撃魔法、食らえば骨まで焼き尽くす。
しかしブラックは咄嗟にルーカスの体を持ち上げて盾として使った。炎の中をルーカスの盾を使って突っ切ると、焼け焦げたルーカスをシェイドに投げつける。
シェイドはそれを手で払いのけるが、伸びてきた鞭に腕を取られた。片腕を拘束したブラックは鞭を巧みに操り、シェイドを地面に引き倒すと胸を思い切り踏みつけた。もう片腕で魔法を放とうとするが、それも手のひらをナイフで刺し貫かれて地面に縫いつけられる。
「ジジイよ、仲間相手に容赦ないな」
ブラックは黒焦げになったルーカスを顎でしゃくった。抑えつけられているシェイドは鼻で笑ってブラックに言った。
「あれが吾輩の仲間だと?あれはただの肉人形に過ぎんよ。多少出来がよかったが貴様に駄目にされた。能力を目で操っているとどこで気がついた?」
「別に気がついちゃいないさ、ただ何となく怪しそうな箇所を潰しただけだ。俺の勘はよく当たるんだよ」
「相変わらず不愉快で馬鹿げた力だ」
「ジジイも相変わらず悪趣味だな」
睨み合う二人の視線が交差する。暫しの沈黙の後、ブラックはシェイドの拘束を解いて離れた。
「本当ならこの手で殺してやりたいが、それは無理だから離してやるよジジイ。耄碌も大概にしてそろそろ大人しくしたらどうだい?」
「阿呆が。吾輩はもう一度この手に秘宝を手に入れる。どんなことがあろうがな」
「ったく、悔恨ってのは残すもんじゃあねえな。やっぱり俺が仕留めておくべきだったぜジジイ。まあそれはあいつらに任すか、これで否が応でも動きだすだろうからな」
ブラックはそう言い残すと消えた。シェイドはよろりと立ち上がると、黒焦げになったルーカスに手をかざした。
回復魔法によってルーカスの体は修復されていく、しかし右目の傷だけはシェイドの力をもってしても治らなかった。
「申し訳ありませんシェイド様」
「構わん。これは吾輩にも予想できなかった出来事である。しかし次にヘマをしたら迷わず消すから覚悟しておけ」
「はっ!して、奪い残った竜の印は如何にしますか?」
「よい。どうせここでは奪わずに小娘たちを殺すつもりであった。当初の予定通り最後まで集めさせる、奴らの存在は吾輩にとって都合がいいからな」
「かしこまりました」
そう言うとルーカスはパチンと指を弾いた。一瞬だけ明かりが消え暗黒に包まれる、すぐにまた明かりを取り戻すもシェイドとルーカスの姿はノ・シレ遺跡から消えていた。
結局最後までアーデンたちはシェイドの手のひらの上で踊らされていた。ブラックの残した切り札がなければ、レイア、メメル、フルルの命がここで失われることになっていた。
しかしそうはならなかった。僅かな希望を繋いだブラックの活躍によってグリム・オーダーの企みは阻止された。激動の夜が明け、また朝がやってくる。冒険者たちは生き延びた喜びよりも、残された絶望に打ちひしがれるのであった。