ゴブリンの男の子
「おい、お前いつからここにいたんだ」
ぶっきらぼうで遠慮のない声が飛んできた。振り返ると、森から男の子が出てきた。
赤い髪の上には茶色い皮の帽子を被っている。服を着ていないから思わず両手で目を塞いじゃった。けどよく見るとダブダブのズボンを穿いていた。裸足で外を歩いている。
「ずっと前から、ここにいたけど」
わわっ、キョトンとしているけどやんちゃそうな子。それに人間じゃない。肌は緑色だし、口の端の方からはちょこんと牙が出ている。それに耳と鼻が長くて尖っている。
(なんだか。追いかけ回してきそうで嫌そうなやつだニャ)
シロ、それって猫全体の気持ちじゃないかな。
耳を垂らして一歩下がる。気持ちを新たにしたのに、一歩目で転んじゃった気分だ。
「じゃあさ、さっきすげー水がブワーってなったのを知ってんだろ。何があったんだ? オレすげー気になるんだ」
ニコニコと無邪気に近づいてくるんだけど、笑うと歯がギザギザしているのが見えた。牙がむき出しになって怖い。黄色い瞳も興味津々って感じで輝いている。
「えっと、そのぉ」
祈るように指を組んで、視線を顔から下に落とす。すると細いんだけどしっかりした緑色の裸を見てしまう。顔がカァっと熱くなって、地面を見つめた。
「ん、あぁ。わりぃ。オレの名前はゴブドンでゴブリン族なんだ。よろしくな」
モジモジしているのを、ゴブドンは名前がわからないのだと勘違いしたみたい。
笑う口が、切り分けたメロンみたい。手を差し出してきた。緑色なのは当たり前。指は三本で爪も鋭く伸びている。ひっかかれたら間違いなく痛い。よく見ると、足の指は四本だった。鳥の足みたいに、踵に一本、前に三本伸びている。
これって、握手だよね。あのライオンみたいに恐ろしい手を握らないといけないんだよね。怖いよ。私の手、握り潰されたりしないかな。
オドオドしながらチラリとゴブドンの顔を見る。キョトンと首を傾げるも、ニコニコ笑顔で待ってくれている。
嫌だって言ったら、気分悪くなっちゃうよね。友達も作らなきゃだし。大丈夫だよね。
「は……春実です」
フルフルと怯える手を伸ばすと、ガシっと握られちゃった。ゴツゴツと筋ばっていて硬いし、三本指の握手は握れていない違和感がある。けど、ちゃんと温かかった。
「春実っていうのか。変わった名前だな。よろしく」
「よろしく、お願いします」
ブンブンと二回振ってから、手を離した。無事に握手が終わってホッとする。
「それで、春実はキャットピープルなんだよな」
「え、何それ?」
指をあごにあてて首を傾げる。しっぽなんかはハテナマークに曲がっていた。
「種族だよ。猫の耳と目としっぽ。キャットピープルの特徴じゃん」
ゴブドンがわたしの耳・目・しっぽの順番に指差して確かめる。
「違うよ。私は人間だよ」
「人間!」
ゴブドンは目が飛び出るんじゃないかってほど大きく開いた。まぬけな感じがして笑いたくなったけど、悪いからぐっと堪える。
「うん。この姿はマリーちゃんの合体魔法で、猫と合体させられちゃったんだ」
「合体魔法にマリーちゃんって……あのわがままで有名なマリー姫のことか」
口までポカンとあけているから、よけいまぬけに見える。ダメ、笑いを堪えきれない。
手で口をおおい、そっぽを向いて笑いをこぼす。ゴブドンは目を鋭くして睨んできた。
「おいおい。笑うことないだろ。誰だって驚くぜ。この辺りに人間なんていないし」
「人間、いないの?」
「ここらへんに住んでるのは魔族だからな。魔族と人間は戦ってるからありえねーの」
えー、と大声をあげる。なんだか大変な場所にいるみたい。魔族が人間の敵で、しかも魔族側の場所にいるだなんて。
「ゴブドンくんは、わたしと戦うの?」
(戦うなら全力でやるニャ)
自分の身体を抱きしめて怯えるんだけど、シロはやる気満々。どうしてケンカ腰なの。
「何でだ? 別に春実が魔族に悪さしようとしてるわけじゃないんだろ。なら戦う理由なんてないじゃん」
「そうなの。よかったぁ」
テストで難しい問題が出るって言われて、実際は簡単な問題しかなかったような感じで気が抜けた。安心したせいか、思わずペタンって地面に座り込んじゃったよ。
「それに春実は弱そうだからな。腰抜かすぐらいだし、倒す必要ない」
ゴブドンは腕を組むと、偉そうに笑った。
(こいつ、イラつくニャ)
シロほどじゃないけど、ちょっとムッとしちゃった。
「ほら、手ぇかしてやるから立てよ」
スッと差し出す手は、ぶっきらぼうなやさしさであふれている。
「ありがと」
手をつかんで起き上がらせてもらう。怖そうな魔族だけど、やさしい。
黄緑色のスカートをパンパンと払ってからゴブドンを見る。人間と違って怖いけど、愛嬌があって頼れる顔をしている。
ちょっとかっこいいような……って、わたしってば何考えているんだろ。
顔が熱くなってきた。何もない景色なのに、あっちを見たりこっちを見たりしてしまう。
「ははっ。ソワソワして変なやつだな」
能天気に笑われてしまった。けど、戸惑う気持ちは気づかれていないみたい。
「それで話を戻すけど、湖の水がドバっとなったけど、春実は何か知ってるか」
「ウンディーネに出会ったの。そこの湖の上に立ってた。水の女神なんだって」
肌がつややかで、きれいな人だったな。金のサークレットも似合っていたし。
「あのウンディーネに出会ったのか! すげーな」
水のように清らかな姿を思い浮かべていると、ゴブドンは飛び上がって驚いた。
「あれ、ゴブドンくん。どうしたの?」
「どうしたの、じゃないぜ春実。ウンディーネっていったらこの世界を創った四人の神様の一人じゃん。本当にすげーな」
ゴブドンは興奮しながら、わたしの両手をつかんだ。顔が急接近するから、心臓がバクバクしちゃうよぉ。
「ウンディーネって神様だったんだ。プレゼントもらっちゃったけど、よかったのかな」
首にかけてあるホイッスルを見ると、水色にキラリと輝いた。
「すげー。プレゼントまでもらったのか。羨ましいな。オレも神様からのプレゼントがほしいぜ。なぁ、神様。いるならオレにもプレゼントくれない」
湖に駆けよると、両手を広げておねだりする。けれども辺りはシンと静まり返っていて、何かが起こる気配なんてまったくなかった。
「……ゴブドンくん、ダメみたい。たぶんもう、どっか行っちゃたんだと思う」
(ゴブドンは選ばれなかったニャ)
「ちぇ、ざーんねーん」
ゴブドンは指を鳴らして舌打ちした。けどすぐに振り向いて笑った。
「まぁいいや。用事もないし遅いから、そろそろ帰ろうぜ。春実の家はどっちだ?」
あっ。帰り方がわからないってことは、休む場所もないんだ。パパとママとも会えない。
「わからない。わからないよぉ」
頭をブンブン横に降ると、髪がフサってゆれる。また泣きそうになったから、俯いて必死に堪える。するとポンって、頭を撫でられた。
「なんだ迷子かよ。どっちから来たかわかるか」
覗き込むように、ゴブドンの顔が近づいてくる。目を合わせて、わかんないって伝えた。
「しょーがねーな。オレん家くるか? ゴブリンの家だから洞窟の中だけど、大丈夫か」
「えっ、いいの?」
「いいぜ。かーちゃんに説明するのが手間だけど、か弱い女の子をほっとけないもんな」
ニヤリと笑う顔が凄く頼りになる。ついさっき出会ったばかりなのに、こんなにも親切にしてくれるなんて。やさしさに種族の違いなんて関係ないんだね。
(嬉しかったら突撃ニャ)
「ありがとゴブドンくん。大好きだよっ!」
「うわっ」
嬉しさでいっぱいになって、ついゴブドンに抱きついちゃった。
「ははっ、人間のクセに警戒心のないやつだな」
撫でられると、ムズかゆいのにどこか嬉しくなる。ゴロゴロとゴブドンの胸に蹲っていたんだけど、急に恥ずかしくなって身体を離した。
わたし何やっているんだろ。あんな大胆なこと、普通は考えてもしないのに、うわー。
手でほっぺたを包みこんで下を向く。顔なんて火が出るほど熱くなっている。
「変なやつだな。そろそろ行こうぜ。日が暮れる前に帰りてーし」
「あっ、うん。そうだね。行こっか」
暗くなっても外にいるなんて嫌だし、さっきのことなんてさっさと忘れて移動しなくっちゃ。って、そう簡単に忘れられたら苦労はしないよぉ。
恥ずかしさで走り回りたい気分になるけど、ゴブドンの前でそんなこともしたくない。
(走り回ればいいのにニャ)