魔族のわがまま姫
「……のドレスが汚れちゃったじゃないの! この責任はどうとるおつもり!」
近づいていくと、怒鳴り声が聞こえてきた。キーキーと高い声で、弱い者いじめでもするように一方的な感じだ。
「なんだか凄く怒ってる。行くのをやめた方がいいかもしれないね、シロ」
誰かが責められているのを見ていると、自分まで責められているように感じちゃうんだよね。怖いし、また今度でいいよね。
回れ右をして離れようとする。だけどシロはまっすぐと怒鳴り声の方へ走っていった。
「あっ、シロ。うぅ……もぉ」
内股になって身を縮める。足も震える。けれども、放っておくこともできない。怖くて仕方がないけれども進むことに決めた。早足でシロを追いかける。
「だいたいあなたは、いついかなる時でものろますぎるのですわ。お父様に言いつけて暇を出させることも……」
近づくとわたしと同じ年ぐらいの女の子が腕を組んで、大人の女性を跪かせていた。シロが大きな声で鳴く。まるでやめろって怒鳴るように。
「何よ! このマリーが大事な話をしている途中に……って、あら。猫?」
女の子、マリーは金色の髪をコウモリの飾りがついたゴムでツインテールにしていた。
髪を手で払いながら振り返る。ふわりとレモンみたいな良い匂いが漂う。目尻は気が強そうに吊り上がっていて、黄色い瞳をしている。
黒色のドレスはシュっとシンプルで、スカートは花弁が尖った花のように開いていた。足も細くてモデルみたいだ。黒いヒールは踵が高くて、大人な感じがする。
だけど何より気になるのは、肌の色が病気の人以上に青いこと。
「あっ、ごめんなさい。うちのシロが邪魔しちゃったみたいで」
謝りながら、シロを抱きかかえて観察する。
ちょこんと出た鼻に、プクっとした頬がかわいらしい。腰に手を当てて立つ姿がさまになっていて、しっかりしている。
何か起こった時にすぐに行動できそうな子だなぁ。わたしはウジウジって悩んじゃうから羨ましい。でも顔色どころか、肌の色が凄く青い。大丈夫なのかな。それと。
跪いている女性を見る。紺色のワンピースに白くてフリルのついたエプロン。頭にはエプロンと同じでフリルのついた白いカチューシャをつけている。
メイド服を着たこっちの人も気になる。頭の上で黄土色の犬の耳がペタンとしていた。スカートから伸びているしっぽも地面に垂れ下がっている。縄跳びをほったらかしにした後みたい。でも何より、怯えたように震えているのが気になる。
「人間? あなたみたいなお子ちゃまが、よくもまぁこんなところに一人でいることね」
冷たい声に見下すような視線。だけど瞼は呆れたように少し下がった。
「えっ、あっ……ごめんなさい」
わたしは思わず目を逸らした。人と目を合わせてお喋りするのが苦手だから、つい視線が下にいってしまう。心なしか、胸がちょっぴり大きく見えた。
あっ、もう育っている。羨ましいな。
「ふぅ、まぁいいわ。わたくしはマリー。お父様が魔族の街の王様で、マリーはその姫よ。敬ってもいいですわ。で、あなたの名前は」
「あっ、わたしは春実。こっちはシロ。よろしくね」
シロをマリーの方に持ち上げる。シロは挨拶するように一鳴きした。
「それで、何をしてたの?」
いろいろ聞きたいことはあったけど、メイド服の怯えている人のことが気になる。
「あぁ、シャロンのこと? マリーが心地よく遊んでいたというのに、いきなり声をかけて止めたのよ。メイドのクセに。そのせいで転んじゃって、きれいなドレスが汚れてしまったの。だからバツを与えるのですわ。ねぇ」
「ひぃぃ。ごめんなさい」
マリーは転がっている石ころでも見るように、メイドのシャロンをツンと見下した。
「酷い」
ちょっとしたことでバツを与えるなんて。お洗濯すればすぐにきれいになるのに。
「本当酷いわよね。メイドの分際でマリーのお洋服を汚すだなんて」
「マリーちゃんが酷いんだよ。ちょっとお洋服が汚れちゃったぐらい許してあげようよ」
「何よあんた。人間のクセして偉そうに。あったまきた! 春実みたいな生意気な子はこうだ! 《マリーは合わせることが好き!》」
「きゃっ、何?」
マリーがわたしに両手を向けるとボワワワンと、腕に抱いていたシロごと白い煙に包まれてしまう。
「けほけほ。シロ、大丈夫?」
煙が喉に入って息が苦しいよぉ。ちょっと注意しただけでこんなことするなんて、やっぱりマリーは酷い。シロと一緒に逃げなくちゃ……って、あれ。シロは?
腕に抱えていたシロの感覚がなくなった。煙が晴れると、やっぱりいなくなっている。
「えっ、ちょっとシロ。どこにいったの? けほけほ」
「ふふっ。いい気味。マリーにたてつくからこうなるのですわ」
慌てていると、マリーが手の甲を口元に寄せて笑う。
そんなに笑うなんてムッとしちゃうよ。でもその前にシロ……ダメ、喉がイガイガする。先に水を飲もう。
ふらふらと湖に向かう。両手を付いて水面を覗き込むと、反射してわたしの顔が映った。
「え? 何これ!」
気弱そうな垂れ目に、黒いボブカットまではよかった。けれど頭の上には白い猫耳がピンと立っている。瞳も元は黒色だったけれど、今は青くてつぶらな瞳になっていた。黒目の部分なんかはレンズみたいに縦長になっていて、まるで猫みたい。
(あれ、おかしいニャ。ボクの顔が春実ちゃんになってるニャ)
頭の中で、幼い男の子のような舌足らずな声が響く。おどろいた拍子に、スカートのお尻の方が持ち上がる感覚がした。ふり向くと、白くて長いしっぽが生えている。
「どうなってるの? 頭の声は? 猫耳にしっぽ? シロ、シロはどうなったの?」
驚きのあまり、喉のイガイガも忘れて叫んだ。両手で自分の頬を包むと、人間の耳がなくなっていることにも気づいてしまう。
「あはははっ。春実、あんたそれお似合いだわ。クヒヒッ。ダメ、笑いすぎて息が苦しい」
マリーはついに、お腹を抱えて笑い出した。目尻に涙を溜めて苦しそうに大声で笑う。
「マリーちゃん。わたしに何をしたの」
ゴクリとつばを飲んでから、そろりと振り返る。
「マリーの十八番、合体魔法で大切な猫と合体させてあげましたわ。あははっ」
「そんな、酷い。戻して、わたしを人間の身体に戻して!」
(そうだニャ。やっつけて元に戻すニャ)
マリーの肩をつかんで、ブンブンと振った。金色のツインテールもゆらゆらとゆれる。
「ちょっと、乱暴なことしないで! 洋服にしわが付くじゃないの!」
マリーが手で払って押しのけると、首にかかっていたホイッスルのひもが千切れ飛んだ。
「あっ」
ホイッスルはきれいな山なりを描いて、湖へポチャンと落ちる。
「わたしの、ホイッスル……」
「ざまぁありませんわ。人間ごときでこのマリーに……うっ」
「おばあちゃんに買ってもらった、大切なホイッスルが……ヒック……うわあぁぁん」
酷い、酷いよぉ。シロと合体してヘンテコな身体にさせられたあげくに、大切なホイッスルを湖に落とすなんて。
「……フンだ。どれもこれも生意気な春実が悪いんだから。マリーは悪くないんだから! もういい、お城に帰る。行くわよ」
マリーは跪いているメイドに声をかけて、どこかに帰っていってしまった。