第8話 また規約
翌朝。
俺は、ミラ手描きの悔しいが分かりやすい地図を片手に、家――古小屋から一番近くの冒険者ギルドを目指して歩いていた。
そう、薄々気づいてはいたのだが、これは夢ではなかった。
まぎれもない現実だった。
逃れようもない現実だった。
慈悲もない現実だった。
それを受け入れざるを得なかった時、俺は久しぶりに泣きそうになった。
だから決心した。
いや、決心せざるを得なかった。
規約に同意してしまった以上、今の俺に出来ることは地道に神器を集めつつこの世界で生きてゆくことしかないのだ――と。
何をするにも、この世界が物々交換で成立していない限り、まずは金を稼がなければならない。
家はあっても、その他に俺が持っているものといえばポケットの三百二十円くらいで、それすらもこの世界ではただの青銅や白銅にすぎない。
ここへ来る前に背負っていたリュックサックをいつの間にか没収されたので、このままではこれから生きてゆくための食料すらない状態だ。
その上ここは異世界だから、今の俺は孤立無援。
ギルドに稼げそうなクエストを紹介してもらうより仕方ない。
だから、この世界に冒険者ギルドがあるのはせめてもの救いだ。
ゲーム、ラノベ、漫画、アニメで得た知識がこんなところで役に立つことになろうとは、誰が想像しただろうか。
ミラの地図によると、俺の家はコルネリアス王国という国の領内に位置しているらしい。
こんな名前、日本にいたらまず耳する事はなかっただろう。
何も無い草地の未舗装の一本道を歩いていると、遠目にツタの絡まった城壁が見えてきた。
なるほど中心部は城壁に囲まれているようだ。
囲郭都市は教科書や漫画でしか見たことがなかったので、不本意ながらも胸が高鳴ってきた。
だが、その胸の高鳴りさえ、未舗装の凸凹道を歩いた疲れをいやすのには不十分なようだ。
まさか異世界でアスファルトの偉大さを痛感することになるなんてな。
しばらく歩いて、何やら薄汚い城壁をくぐる。
警備なんかはいないのだろうか。
町に入ると、道にはレンガやらタイルやらが整然としきつめられていて、足元がかなり楽に感じる。
――本当に、異世界だ。
町並みは中世ヨーロッパを彷彿とさせるもので、石造りの建物が林立していてる。
歩いているだけで楽しい。
見たこともないような大きな鳥が荷車を引いていて、木製の車輪がカタカタと軽快な音を響かせている。
加えて獣耳やら杖を持ってローブを羽織った魔道士らしき人やらが、町中を当たり前に歩いているのを見ると、騙されつつも本当に異世界に来たのだと実感させられる。
現実から逃避してひとしきり感動した後、地図を見ながら無事にギルドに到着した。
俺の背よりはるかに大きな木製の両開きドアに手を当てて、深呼吸する。
「ごめんくださーい」
「こそー。ギルドへー」
木のきしむ高い音をたてながらドアを押し開けると、受付のお姉さんは、覇気のない声で俺を迎えた。
ようこそくらい、はっきりと言って欲しいものだ。
これがバイトの新人だったら俺は確実に怒るぞ。
建物内に立ち入って、辺りをぐるりと見渡してみる。
まだ昼間だと言うのに、このお姉さんのみならずギルド全体が、何やら気だるげな様子だ。
ギルドっていうと、もっと活気に溢れているのを想像していた。
よく見る、新人冒険者をあざ笑う先輩冒険者っていうのも期待していたので残念だ。
入って右手の掲示板には、様々なクエストやパーティ募集の貼り紙がされていた。
「マンドラゴラの採集(できるだけたくさんお願いします)」
「食用クロッドリザードの討伐(おいしい料理をご馳走します)」
「噴水の魔女の討伐か撃退(毎晩定刻に出現します)」
……エトセトラ。
種々の依頼が一面に貼られている。
そのまままっすぐ進んで受付窓口の前に立つと、俺が来た時からずっとほおづえをついたままのお姉さんに尋ねてみる。
「あのー、すみません。お金を稼ぎたいのですが、クエストとかって……」
「そっすか。自分知らないっす」
かなり冷たくあしらわれた。
ここは本当に冒険者ギルドだよな。
来る場所を間違えたか?
新人冒険者に手厳しいギルド職員とは初耳だ。
本来は、もっと柔らかな笑顔で迎えてくれるものじゃないのか。
「こーら! なんなのその態度!」
しばらくの沈黙をやぶって、受付の奥から別のお姉さんが出てきた。
「すみません。うちの職員が粗相を……。改めまして、ようこそ! コルネリアス王国第一冒険者ギルドへ! 受付のユーリアです。本日はどのようなご用件でしょうか」
そうだ、俺が期待していたのは、何の屈託もなく発せられるこの歓迎の言葉なのだ。
決して屈託に満ちた気だるげな「ようこそーギルドへー」では無かった。
「あの、お金を稼ぎたいのですが、俺でも受けられそうな簡単なクエストとかってありますか?」
「クエストの斡旋、ですね。クエストを受けるには、まずギルドに会員登録をする必要があります。簡単な手続きですので今登録なさいますか?」
「はい、お願いします」
「それではまずこちらの規約を……」
「規約!?」
規約という言葉を聞いただけで反射的に叫んでしまった。
今の俺は多分、突発的な「規約恐怖症」に侵されている。
「は……い。……こちらも簡単なものですのでそんなに身がまえられなくても」
お姉さんが差し出す規約書を横取りするように勢いよく受け取ると、一語一句逃さないよう、隅から隅までなめまわすように規約を確認する。
「あの……お兄さん…………」
「少し待っていてください。しっかり読んでますんで」
「はあ……」
一回、二回、そして三回、紙に穴が空くほどに規約を精読した。
ミラの書いた規約とは大違いで、怪しい事は何ひとつとして書いていない事が分かった。
「すみません、おまたせしました。規約には同意で」