進化のために
「僕」と「僕ら」を、少し意図的に使い分けています。そうすることで「僕ら」を応援したかったので。
僕らは、数え切れない失敗をする
たくさんの後悔を抱えて生きてゆく
だから、僕らは、生きることに臆病だ
でも、きっと、失敗の中にも大切な鍵が隠れている
新しい世界の扉を開く鍵が
成功は、いまの世界に積み上げられる
たくさんのいのちが、それを享受する
とても素敵なことだけれど
成功という「いま」を支える力は
崩れ落ちた「いま」を立て直す力にはならない
たくさんの失敗が、その扉の前に積み上げられる
僕は、そのひとつにすぎない
いつか、時の女神に愛されたものが
積み上げられた屍の上を昇り、その鍵となり扉を開く
だから、僕の失敗は、僕らの失敗ではない
怖れてはいけない
このいのちが失敗だとしても
それもまた、僕らが選択した、連鎖のための仕組なのだから
無秩序にも思われる、たくさんの蘖の中に
次の光に葉を広げる枝が隠されているのだから
いつか、僕も振り返る
扉の向こう側のものたちが、僕らを振り返るように
そして、いまに連なる無数の扉が開かれてきたことに気づく
いのちが連なるものだということに
誰かの有益な失敗が成功と同じだけ
僕らを救ってきたことに、気づく
最初に、自分を売り渡した細胞のように
最初に、水を抜けだした魚のように
そして、重さに負けた恐竜のように
僕らは、いまを苦しみ続けるけれど
飛ぶために、高い岩場から身を投げた翼竜のように
恐れていた火を掴んで焼け爛れた猿のように
そして、悩むことを覚えた人間のように
いま、このときも、僕らは失敗を積み上げるけれど
ひとりひとりのいのちの
無駄とも思える多様性とその先に待つ挫折は
すべてが、次の扉を開くための、大いなる試練なのだから
僕は、上手く生きられないけれど
とても愚かで、たくさんの失敗を犯すけれど
それでも、僕が僕であるからこそ
生きる意味があるのだと
いま、静かに、この胸を張ろう