最終話
最終話です〜〜
後日談。
『続いて、現職の警察官がーーーーの容疑で任意同行を受けていたーーーー事件に進展です。』
小鳥の囀りに物騒なニュースが混ざった。
聞き流して食パンを齧る。サクッとした食感と甘味が口いっぱいに広がって、流れてくる暗い話題から意識を逸らしてくれる。
相変わらず世の中は物騒だ。
嫌な気持ちをミルクティーで流し込んで、幸福を噛み締めたままテレビを消した。
世界中のニュースが子犬の誕生とかになればいいのに。伸びをして時計を見ればもういい時間だった。
手早く歯を磨いて、那緒は家を出た。
あれから3週間経った。
世間はすっかり那緒を忘れて、新たな話題で持ちきりだ。組織の解体。警察上層部や国会にまで根を張っていた大規模違法組織の摘発は、退屈な日常の中では極上のスパイスのようで連日テレビを騒がせている。
特に人間が亡くなるような悲惨なニュースではなく、悪が倒されるような爽快な話題であったことが拍車をかけているのだろう。
少々騒がしいが、ケチを付けるつもりは毛頭ない。
隠れ蓑が大きければそれだけ世間の目から逸れて、那緒は日常に溶け込むことが出来るのだ。
ありがたやと世間に手を合わせる。
軟禁される口実を消してくれてありがとう。これでまた自由を謳歌できる、と那緒は拳を握った。
( 3日で退院許可降りたのに、ちょっと咳込んだくらいで2週間も延ばされたのよ。マスコミに追われるようになったら、次はまじで出られなくなる!)
苦い思い出が頭をよぎる。
本当に、本当に大変だった。
心身ともに重大な後遺症は見られないと判断された那緒は、田中来訪から3日後には退院の許可が出た。
なかなかにフレンドリーな担当医師とスポーツドリンクで喜びを分かち合った後のことだった。
ちょっと咳をしてしまったのだ。
「咳、いま咳を?風邪ですか?喉は?扁桃腺は腫れていませんか?熱は……ありませんが、一応検査を………いえ、良い機会ですから精密検査しましょう!頭から足の先まで全身余すことなく!」
咳一つで猫のように飛び上がった宇久森。ぺたぺたと額を喉をと触って異常がないことを確認するも、心配だからと那緒は人間ドックに回されたのだ。
那緒は懸命に断ろうとしたのだ。
ただ咽せただけ。別に問題ないから担当医を睨み付けるのは止めて差し上げろ、と宇久森を宥めて入院延長を回避しようと試みたのだ。
「まぁその……なんだ。健康診断が無料で受けられる券が運良く当たったとか、そんな風に思ってくれればいい」
だが「すまない」と既に手続きを終えた書類片手に息を切らし、宇久森の蛮行を静止できなかった己の不甲斐なさに唇を噛み締める田中の顔を見てしまえば口を噤まざるおえなかった。
「あ、すでに決定事項なわけね」
抗ったところで無駄に体力が削られるだけ。
学んだ那緒は諦めて両手を上げた。悟ったともいう。こうして退院は2週間後に延びた。
那緒は思う。心身共に異常がなかったからこうして自宅に戻ることが出来たのだと。もし少しでも異常があればいま頃自分は……………。
考えて背筋が寒くなった。
頭を振って嫌な想像を振り払う。
こうして家賃3万の外観お化け屋敷な我が城に無事に帰ってこれたのだ。騒いで注目を浴びて回収されるようないように気を付けなくてはならない。宇久森は未だに那緒と住むことを諦めていないのだから。
( 他人が光熱費とか支払ってるの黙認したら、同棲と見なされるってなに?もう一ヶ月分と来月分の家賃は支払われてた場合はどうしたらいいのよ。教えてgoggle先生 )
例え相手がストーカーであっても、黙認していると同棲しているとみなされるらしい。どこかで読んだ記事を思い出して「Hey!田中!ストーカーの撃退方法を教えて」と連絡をいれたのはつい先日のことだ。
ちなみに返答は「宇久森という苗字で真って名前のストーカーなら諦めてくれ。俺も自分の命は惜しい」だった。那緒は泣いた。
ひとまず返金さえすればチャラになるはずなので、殴ってでも受け取ってもらうことにした。
「おはようございます」
今後の算段を立てていれば、あっという間に会社に着いた。頭を下げた守衛さんに挨拶を返して自動ドアを潜る。那緒の働くオフィスは三階。階段を登るのは億劫なので、壁際に向かいエレベーターのボタンを押した。
「金花さんじゃね?」
「金花ってあの?」
「そうそう、この間亡くなった」
「いるじゃん。誤報だろ?」
「幽霊だって噂だよ!」
「どう見たって人間だろ。俺霊感ゼロだぞ?見えてる時点で幽霊はありえない」
「じゃあゾンビだよ!ゾンビ!」
ひそひそとされる根拠のない噂を耳が拾う。
不躾に向けられる視線を無視して、エレベーターを待つのにも数日で慣れた。鬱陶しいが、人の噂も七十五日。鎮火するまで時間はかかるだろうが、面白みがないと判断されれば静かになるだろう。
チンッと音がしてエレベーターが来た。
那緒は流れるようにボタンの前に立つと、彼らが乗る前に閉まるのボタンを押した。
ガンッと音がして扉がぶつかり開く。
「いった!」
「なっ!」
「ちょっとなんで閉めるのよ!」
「ゾンビと一緒に乗ったら噛まれてゾンビになりますけど、いいんですか?一緒のエレベーターに乗って」
文句を言われたので開くボタンを押して、扉が閉じないようにしてやる。が、乗せるかどうかは別の話だと揶揄ってやれば、くすくすと周りで笑い声がした。
彼らは顔を真っ赤にしたがなにも言わなかったし、エレベーターにも乗らなかった。
ざまあをみろ。
那緒は彼ら以外が乗り込んだのを確認すると、そっと閉まるボタンを押した。
「やったね」
「ふふっ、はい」
「見た?あの顔。真っ赤になって!」
「馬鹿みたいな噂に振り回されてるから、ああいう目に合うのよ。恥ずかしい」
「ですね」
さて、会社だがなんと復帰が認められた。
警察側から直接会社に説明があったらしい。
出勤早々に社長室に呼び出されたときは既に席が無いことを覚悟したが、杞憂に終わって本当によかった。
不慮の事故として復職扱いになるようだ。
とはいえ、死亡と報道された影響だろう。会社では「那緒は幽霊かゾンビだ」という噂が出回った。
もちろん、事実無根だ。
だが、物珍しいのか噂はなかなか無くならなかった。
最初はこそこそとしていたが、最近は大ぴらに話題に触れる者が目立つ。当事者が会社にいるからと話題の矛先が那緒に集中してしまったらしい。ゴキブリのようにこそこそと話していればいいものを……。
復帰初日に号泣しながら迎えてくれた田中先輩を見習って、大人しくしていて欲しいものだ。
エレベーターが三階で止まる。
那緒は軽く会釈をしてから降りた。
「おはようございます」
「金花!今日は平気か?」
「そう毎日事件に巻き込まれるわけないでしょう。大丈夫、問題ありませんよ」
「そうか?それならいいんだ」
挨拶をすれば、田中先輩がいの一番にやって来て安否確認をされる。あの日に己の代わりに那緒を行かせたのを相当悔やんでいるらしい。痛くないと手を振れば、ほっとした顔をして席に戻っていった。
あの顔を見ていると元凶は宇久森です、と言えないのが心苦しい。
すまねぇ、と那緒は心の中で頭を下げる。
警察側から事件について口止めされているから言えないんだ。その分は仕事で返すからなと、パソコンの電源を入れた。
************
朝起きて、仕事に行って、夜道家に帰る。
日常だ。すべてが元通りとはいかないが、概ね変わらない日常が戻ってきていた。
カツカツカツ
そう、変わらぬ
カツカツカツ
変わらぬ日常が
カツカツカツ
「いい加減にストーカーするの止めてくれないかなぁ...」
そう、本当に変わらなかった。
足を止めて後ろを振り返る。
街灯の光だけがポツポツとあるだけで、周りは暗く足元すらはっきりとは確認できない。見えるのは電柱と街灯に群がる羽虫ばかり。だが那緒はいると確信して声をかけた。電柱に向かって。
「隠れる気がないならいっそのこと声をかけて。跡をつけられるの気持ち悪いんだけど」
苛立ちを含んだ声にゆらりと電柱が動く。真っ黒な空間からまるで影のように一本の線が顔を出した。まるで影だけ分離したようだ。それはもじもじと身を捩ると、ゆっくりとした動作で光の元に姿を表した。
電柱のように高い身長。
素人でも高いと分かるスーツ。
暗がりでも陰ることのない端正な顔立ち。
闇を閉じ込めた瞳から刺さる粘着質な視線。
ストーカーが、宇久森真がそこにいた。
「昼ぶりです那緒さん」
「記憶を捏造するな。昨日ぶりだよ」
「いえ、昼ぶりですよ。自販機の前で畜生と戯れていらっしゃいましたよね」
「猫のこと畜生っていうの止めてもらえる?」
柔和な笑みを浮かべて小さく会釈する宇久森。
お猫様になんたる無礼。一生撫でさせてもらえないぞ、と那緒は顔を顰めた。
「撫でるのはお好きですか?」
「(猫を)撫でるのは好きだね」
「でしたらぜひ僕を撫でてください!365日お呼びくださればいつでも何処でも駆け付けますので!頭皮が擦り切れようとも!ぜひ!僕を、僕だけを撫でてください!」
「怖い怖い怖い」
きらきらとした瞳をしていたかと思えば、首が取れる勢いで頭を下げて頭部を差し出す宇久森。止めろそのまま迫ってくるな、と手で頭を制する。
やわい感触。ちょっといい匂いがした。悔しい。
「お高いシャンプー使ってるんだから、大事にしなさいよ」
「あ、ななな那緒さんの手がぼぼぼ僕の頭に皮膚を伝って体温がっ!」
「聴いちゃいないし、撫でろって言うくせに触れただけで照れるのなんで」
宇久森の悪癖は治らなかった。
むしろ悪化したように思える。
原因は那緒が開き直ったせいだ。
「知らない仲でもないんだし、付け回さないで直接会えばよくない?」
「え?」
「食事もするし、遊ぶし、連絡もするから関係性的には友達かな」
「え?」
「じゃあ、友達の宇久森さん。今日からよろしくね」
「え?」
関係改善のために行ったことだった。
那緒としては“友達未満で直接会えないからストーカーをする。それなら友達になればいい“という至極簡単な理由による案だった。
釣った魚に餌はやらない。
親しい間柄になってしまえば、もう機嫌を取る必要はないので価値が下がって見えるのではないかと考えたのだ。飽きれば自然と離れるだろうとも。
甘い、甘過ぎる。砂糖菓子に蜂蜜とメープルシロップをかけて追い砂糖をかけるくらいには甘い考えだった。
宇久森の執着がそんな生優しいもののはずがない。
あれは腐りかけの果実だ。ドロドロと歪で、口にすれば甘過ぎて顔を顰める類のもの。
価値が下がるなどありえない。
当然のように悪化し、隠密で行われていたストーカー行為がオープンになった。
那緒は頭を抱えた。
「なんで着いてくるの」
「心配なんです」
「何度も聴いたよ。でも大丈夫って言ったよね?」
「大丈夫に思えません」
「そんなこと言われてもなぁ」
「強姦魔が裏路地から飛び出して那緒さんを襲うかもしれないと思うと………はぁ、無理だ。想像しただけで殺意が抑えきれない」
「わたしは宇久森さんの方が心配だよ」
頭が痛い。
前科がある那緒は絶対とは言い切れない。今もこうして、ストーカー被害にあっていることを考えると強く否定できないでいた。
本当に、頭が痛い。
「だいたい一回刺されてるんだよ?監禁、人体実験、殺人未遂。これだけ連続して事件に巻き込まれてたら流石にもう無いわよ。一生分どころか来世の分まで回収した……………なんか、焦げ臭くない?」
最初に異変を感じ取ったのは鼻だった。
物が焼けるような臭いがして、鼻をスンッと啜った。魚でも焼いて焦がしたのだろうか。辺りを見渡すが香ばしい匂いは漂ってこない。
代わりに耳が騒がしさを拾った。酔っ払いが屯しているのか、家の方角が騒がしい。いやだなぁ。
歩き出そうとして腕を取られた。
「なにーーっ!」
「バケツ持て!」
「逃げろ!急げ!」
「おい、消防車はまだか!?」
那緒のすぐ横を慌ただしく数人が駆けていった。
ぶつかりそうになったのを助けてくれたらしい。お礼を言おうと顔を上げて、黒い花弁が眼前を横切った。
払い除ける。するとそれは手の甲に黒い跡を残して散ってしまった。驚いて花弁の降ってきた空を見上げると、それは後から後から降ってくるではないか。
「なに、これ」
花弁は空からではなかった。
まるで太陽のように赤く染まったアパートから、風に乗って飛散していた。嘆くようにひらひらと。
まるで種を蒔くように火種をゆらゆらと。
黒い花弁は炭だった。
家を焼いて出来た真っ黒な炭。
太陽は文字通り燃えていて、既に一階から三階までをその業火で飲み込んでいた。
アパートが燃えていた。
家賃3万の外観お化け屋敷な我が城、那緒の住処が燃えていた。
「ええぇ………」
二度あることは三度あるとはいうが、まさか家が燃えると誰が思うだろうか。
煌々と闇夜を照らすアパートを、ただ唖然と見ていることしかできなかった。衝撃のあまり頭が働かない。力が抜けてふらついた身体を、後ろにいた宇久森が支えた。
「ごめん、ありが……」
「那緒さん。また一緒にいられますね」
ありがとうと言いかけて言葉をつぐんだ。
顔を上げた途端に、遠足前日の子どもみたいな顔をした宇久森に出会ったからだ。
喉から乾いた笑い声が漏れる。
不思議と怒りは湧かなかった。
ははっ、と那緒は笑った。
笑うしか、なかった。
死にかけたら国宝級イケメンに軟禁されたんだが、まだまだ受難は続くらしい。 お終い()
残りは後書きです!
最後まで本当にありがとうございました!




