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紙の擦れる音で目を覚ました。
ゆるゆると重たい瞼を持ち上げる。
また、知らない天井だ。
蛍光灯の明かりが眩しくて、那緒は何度か瞬きを繰り返す。次第に目が慣れきた。隣に人の気配を感じで横目で確認すれば、パイプ椅子に男が座っていた。書類片手にコーヒーを飲んでいる。日常の些細な一コマだが、端正な顔の男がやると絵になるなと那緒は思った。蜜のある黒髪も陶器のような肌も、どうやら健在のようで安心した。
「………う……さ、」
随分と掠れた声が出た。
今度はいったい何日眠っていたのか想像するのも恐ろしかったが、声に反応した宇久森の方が数倍恐ろしかった。ギュルンと首が回って、一瞬で血走った黒真珠と視線が重なる。
肩が跳ねた。
強過ぎる眼光に身体を射抜かれてしまいそうで、無意識に後ろに身じろぐ。と、書類が床に散らばた。
視線が紙を追う。
あっ、と小さく驚いた声をあげた隙を突くように、宇久森が勢いよく立ち上がって跪く。ガシャンと音がして、パイプ椅子が無様に床に転がった。
左手を冷たい体温が包み込む。
「うぐ、もり……さん?」
那緒の手を握ったまま彼は答えない。
左手を両手で包み込むようにして膝をつく様は、神に祈るようにも懺悔しているようにも見えた。
相変わらず彼の行動は突飛でよく分からない。
しばらく様子を見ていたが彼は動かない。
那緒は喉の渇きを我慢できなり、右手だけで器用に身体を起こすと、水差しからコップに水を注いだ。
喉に流し込む。
その間も宇久森が動く気配はない。
再度声をかけようと口を開いたタイミングで、スライド式のドアがガラリと開いた。
入ってきたのはスーツを着た男。
「大丈夫か?大きな音がしたと報告が.......あったんだが、どういう状況だ?」
「さあ?」
走ってきたのだろう。息を乱しながら入室した男は、宇久森を視界に入れるなり戸惑ったような視線を那緒に寄越した。
那緒は苦笑いでそれに答えた。
わたしにも分かりかねます、と。
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「よかった。特殊なプレイの一貫かと思ったんだが、そうか宇久森の独断ならいいんだ。今に始まったことじゃない」
「よくない」
「他所の大学に乗り込んでストーカーしてた時代よりは数十倍マシだ」
ガシガシと乱暴に頭を掻いた男は田中と名乗った。宇久森の同級生で警察官だという。よれた紺のスーツに革靴という出立ちは、警察官というより仕事に疲れた会社員に見えた。
「それでお姫さん、身体の調子はどうだ?変なモノは検出されなかったんだが……」
「肩が痛いくらいです」
「そうか?調子悪かったら言ってくれよ。未遂とはいえモルモットにされかかったんだ。遠慮なんてしなくていいからな」
「はい」
素直に頷くと、つり目がちな目元が柔らかく下がる。目つきに反して兄貴肌のようだ。鬱陶しそうにネクタイを緩めて懐からタバコを取り出す姿はカタギには見えないが、きっと心優しい青年に違いない。
「おい、いつまで引っ付いてんだ」
容赦なく宇久森の背中を殴る田中。この手慣れている感じからして相当親しい間柄のようだ。グーで背中を強打された宇久森は小さく呻いてから、恨みがましい視線を田中に向けるとしぶしぶ那緒から手を離した。
「………吸ったら殺す」
「吸うわけねぇだろ。ここ病院だぞ」
チョコレートだ、と呆れた声で田中が答える。
白い棒状のタバコ擬きを見せつけるように噛み砕くと、納得したのか宇久森が視線を下げた。
( 常識人だ!)
那緒はきらりと目を輝かせる。
まだ出会って数分の付き合いしかないが、田中は常識的な人間だと確信する。それゆえに苦労人であることも那緒は見抜いていた。
きっと学生時代から宇久森の手綱を握らされて、振り回されてきたに違いない。
尊敬と同時に悲しくなってしまう。
「あとで馳走しますね」
「ほら、お前のせいでお姫さんに憐れまれたじゃねぇか。ふざけんなよ」
「那緒さんに意識を向けられているなんて羨ましい過ぎる。殺す」
「理不尽すぎるだろ......ったく埒があかねえ。お姫さん、体調が問題ないなら今回の一件について話したいんだがかまわねぇか?」
「今回のってあの実験室みたいな所の?」
「いや、違う。全部だ。童裊に刺されたところから、攫われたところまで全部」
やっぱりそこからなんだ。
那緒は静かに頷いた。
ついに夢を終わらせる時がきたのだ。
キリが悪いのでいったんここで切ります!
今日は短いですが、これでお終いです。
最後まで読んで下さりありがとうございました!皆様、良い夢を。




