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回顧録  作者: 柿原椿
6/12

追放事変

 三話目あたりで、男子更衣室が使用不可能だったと言っていたと思う。

 それは別に、本当に大した話じゃなくて、顧問がほぼ私室みたいに使ってたというだけの話だ。だから僕たち男子部員は、武道場の隅でいそいそと着替えざるを得なかったという、ただそれだけの話。


 さて、同じ回で、僕の在部中に顧問が変わったという話もしたと思うけれど、今日の本題はこっち。

 こっちは割と大した話だ。

 話の重さという意味でも、与えた影響という意味でも。


 教師だって間違いを犯すと、取り返しのないことをしでかしたりもする人種なんだと痛感することになったあの事件。

 僕が勝手に『追放事変』と呼んでるあの出来事について今日は話したいと思う。



 剣道部の顧問は、剣道界ではそれなりに名の通った人だったらしい。だから僕たちはいろんな地方に遠征に行ったりもしたし、他校との交流試合もそれなりにあった。


 この顧問にはある習慣があって(習慣というか悪癖というか)。

 男子更衣室が顧問の私室になっていたことはさっき言ったとおりだけど、練習が終わると、その更衣室に女子部員を連れ込むわけよ。

 男子部員は呼ばない。女子だけ。

 そして大抵鍵をかける。

 やがて出てきた女子は、五分五分くらいの割合で泣いている。


 なんてことが常習的にあったもんだから、思春期真っただ中の男子は、そりゃあ妄想しますよね。中でそういうことが行われてるんじゃないかって。そういうことと聞いてどういうことを想像するかは人によって違うだろうけど。


 長年の疑問ではあったらしい。

 でも気になってても、女子に「更衣室で何があるん?」だとか「何されてんの?」とか聞けるはずもなかったんだわ。


 だけど疑惑はどんどん深まっていって。

 練習中に、顧問が姿勢矯正だって言って、女子部員の体に触ったりするんだけど、それがどう見ても尻とか胸とかを触っているようにしか見えないときとかもあって。



 僕らが二年生の時。

 一月とか二月とかだったんじゃなかったけ。

 とにかく先輩は引退してて、僕らが最高学年になってた。

 そんなある日、部長の富田が疑惑をはっきりと口にしたんだよ。「そういうことが実際にあるんじゃないか」って。


 で、ミーティングを招集したんだよ。一年生には練習をさせて、僕たちの学年だけでのミーティング。

 多分正義感とかそういう高尚な理由じゃなくって、好奇心半分面白半分くらいのものだったんだろうけど。


 一回目のミーティングは不毛の極みだったと言う他ない。

 女子一同は何も認めようとしなかった。「何もされてない」と、その一点張り。

 特に女子部長の下倉とか副部長の春日井とか、そういうレギュラー面が頑なに否定すんのね。


 ああ言い忘れてたけど、剣道部は男女両サイドに部長一人ずつ副部長二人ずついたんだよ。富田は男子の部長ね。



 で、女子側の幹部はずっと否定し続けてたんだけどさ。


 でもそんなことなかったんだわ。何もないなんてことなかった。


 あれは二回目だったか三回目だったか。

 一人の女子部員がさめざめと泣きだしたんだよ。

「何で皆あんな人を庇うん?」

「何で嘘つくん?」

 ってさ。


 場が凍り付いたよ。

 その告白を皮切りに、「私もされた」「そういう行為があることを知ってた」なんて声が続出して。下倉たちももう隠しきれないと思ったのか、ここでようやくセクハラ行為の存在を認めた。



 そのあとは、後輩も交えたミーティングが開かれた。議題は「今後どうするか」へとシフトした。

 漠然としてるっしょ?

 でもそうならざるを得なかったんだよ。どうすればいいかもわかんなくて困惑してただけなんだから。


 ただ男子や、女子の大半の意見は一致してて、「親に訴えて、顧問を追放すべきだ」って意見を唱えたんだよ。

 だけどここでも、下倉とか春日井は拒否したんだ。

 部内でも実力があって顧問と接する機会も多かっただろうし、それなりにルックスやプロポーションも整っていたから、一番の被害を受けたであろうに。


 驚くことに彼女らは「先生がいなくなったら私たちは遠征にも試合にも行けなくなる」なんて言ってやがったんだよ。

 信じられないね。

 僕が男子だから、ではないと思う。自分の性的安全や貞操よりも、剣道で活躍することが大事だと言わんばかりの熱量とか、僕らとのズレが純粋に薄気味悪かった。


 ただでも彼女らの主張も、最初に悲鳴を上げたあの女子部員の、「こんな思いするんやったら剣道なんて始めたくなかったし、続けたくもない」という涙ながらの訴えを受けて、引っ込まざるを得なくなった。


 かくして事態は保護者会へと発展して、その結果教頭と顧問とを交えた謝罪会見を経て、顧問は自主退職することになったんだけど。

 母曰く、そこに行きつくまでに保護者の間でも喧々諤々の論争があったらしい、ということだけ知っている。

 これはまた別の機会に話せたら話そうかな。


 まあ要は教師なんてこんなもんだよねって話なんだよ。大人だって教師だって、僕らと同じで、間違うことも、それこそ道を間違えることだってあるんだよねって。人道っていう道をなあ。

 何言ってんだろうな、僕。




 余談だけど、その後顧問は自宅近くの剣道場で客員講師として招かれたらしい。風の噂で、下倉や春日井がその剣道場に足を運んでいるとも聞いた。

 僕は彼女らのことを理解できなかったし、あの顧問を今でも「悪」だと思っているけれど、少なくとも当時の彼女たちにとっては、あの顧問は自分を高めてくれる「善」として映ってたんだろうなと思う。


 正しさが人によって違うんだということを、今振り返ってみて改めて痛感したし、あの事件が彼女たちにとっては必ずしも救いではなかったかもしれないと思うと、少し複雑な気持ちだ。

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