血の月曜日事件
剣道とかさ、精神修養みたいに言われることない?
剣道に限らず、柔道とか合気道とかでもさ。心を鍛える競技です、みたいなことを言われたり。言われたことない? あ、そう。
思うんだけど、そんなん他の競技でだってそうだよねー。
テニスだろうが野球だろうが何だろうが、一生懸命練習して目標に向かって努力する姿勢だとか、仲間と苦しみや楽しさを共有する協調性や、そういうのはどんなスポーツだろうと養えるもんじゃない?
まあ何が言いたいかっていうとね?
うちの剣道部は全然健全じゃなかったってことなんだよ。問題児が数多くいたからね。
僕も悲しいことにその一人に数えられていたかもしれないけど。
今日はそのことをよく表してる、ある事件について語ろうと思う。
『血の月曜日事件』
あの出来事をこんな風に呼んでいるのは多分僕だけだし、こんな物々しい呼び方をするほどのものじゃないんだけれど。
でも実際に流血事件であったからね。因みに僕は被害者サイド。
剣道部の月曜日の朝連は校内清掃だったんだよ。
さっき言ったように精神修養のため。
その日僕は武道場内の清掃担当だったのね。
真面目に箒とかで掃き掃除をしてたんだよ。
ところで部の同期に折戸将という男子がいた。この男が典型的な問題児で、以前から他にも問題行動を起こすような奴だったんだけど。
こいつに僕は目をつけられてたんだよ。何でかは知らない。
この日も折戸にいちゃもんをつけられたんだよね。
理由は忘れた。
忘れたし思い出したくもない。
最初は口論だったわ。
最初はって言うか、口を開いて三秒くらいは。くだらない、今思い返せばくだらない言い争い。
三秒経った時には、折戸の膝が僕の顔面にめり込んでたから。
二回膝蹴りを食らったところで、顧問が来て、一旦そこで争いは終わった。
顧問の長話が終わって、皆が教室へ行こうと荷物をまとめていると、再び折戸がやってきた。僕は折戸が怖いやら訳がわからないやらで、早く逃げ出したかったけれど、逃げ出す前に捕まってしまった。
問答無用の顔面パンチ。からの膝蹴り。膝蹴り好きだな、折戸。
ここで異変に気付いた沖本直和という先輩が制止してくれた。暴れる折戸を後ろから羽交い絞めにしたんだわ。
でも直和先輩はぬるかった。頭に血がのぼって、猛獣と化した折戸の危険性を見誤ったんだな。
拘束を抜け出した折戸は、直和先輩に狙いを変えた。
左手で先輩の胸倉を掴んで、右手で顔面を殴り始めた。先輩は自分は手を出そうとせず、後退して逃げようとするんだけど、折戸は左手を決して離さなかった。
折戸は直和先輩を殴りながら武道場を一周した。比喩とか冗談じゃなくてこれはマジの話。
その間僕が何をしてたかって?
何もしてなかった。
僕だけじゃなくて、武道場にいた他のみんなも、呆然としたり、ビビッて震えたり。
顔面ぼこぼこツアーが武道場を一周したところで直和先輩が怒鳴り声をあげた。
「お前なあ! 人の顔ってもんは! 殴ってええもんちゃうんや!」
痛みで泣きじゃくりながら。
ここでようやく折戸は左手を放した。
そして僕も我に返った。
向かってくる折戸から必死に逃げて、僕はとある事情で使用不可能だった男子更衣室に飛び込んで、内側から鍵をかけた。
同期の西本や河田も一緒に逃げ込んだかな。
そこでようやく一息ついて、そこで初めて自分が流血していることに気付いた。
西本が差し出してくれたティッシュで血をぬぐうんだけど、感覚が麻痺しててどこから血が出てるのかわからなかった。顔の下半分がとにかく痛かったんだわ。
鼻血だと思ってたけど、後で鏡を見て、歯茎から出血してたんだと分かった。
その後僕は、折戸が先輩たちと戦ってる隙をついて教室に逃げ込まされた。荷物はあとで届けてもらった。
聞くところによると、折戸はその後も暴れ続け、部の先輩で生徒会長でもあった谷内先輩と、副会長だった上条先輩たちをなぎ倒した後、沖本優也部長の一本背負いで無力化されたらしい。
因みに直和先輩と優也先輩は赤の他人ね。双子とかじゃなく。
あとはお決まりのパターン。顧問や担任、生活指導部の教師や両親の介入によって、この騒動は一応の解決を見た。
一応って言ったのは、僕がその後部に少し顔を出しにくくなってしまったこととか、まあいろいろあるんだけど。
まあ世の中にはどれだけ頑張っても親しくなれない、歩み寄れない、理解できない間柄になってしまう人っていうのがいるんだねってことを、僕はこの時痛感した。
あの時何が折戸をそこまで怒らせたのかはわからないし、わかりたくもないけど、でも折戸には折戸なりに思うところがあったんだろうとは思うわけで。
折戸には折戸なりに辛いことがあって、それがあの場で爆発してしまったのかもしれない。実際彼は三年生になると不登校になってしまった。
だからといって彼がしたことが無条件で許されるわけじゃないけど。
その後、彼がどういった進路をたどったのかは知らない。おそらく二度と会うことは無いんだろうけれど、それでも彼との間にあったことは、きっと生涯忘れられないんだろうと思う。