孤独を飼う
人間を飼ってみたい。
いつからかそんな欲求が現れて、道行く人々をそういう目で見ていた。
飼うならばこんな人が良い。美しくて、可愛らしくて、少し癖のある子がいい。
よくあるだろう、SNSなんかでペットの写真を載せる『うちの子自慢』
そういった子は大抵どこか本人にしか分からない模様だとか、性格がある。
だから、どうせ飼うならば少し癖のある子がいいな、なんて思いながら人気のない道を歩いていた。
街灯の少ない暗い道。透き通る夜空に無数の星は輝けども、地を照らす灯りはわずか。
もう終電もバスも終わった時刻の今、人通りは少ない。
白い息を吐き出し、冷たくなった指先を震えさせながら、獲物を待った。
もう目ぼしはつけてあった。
いつか見た顔に傷を負った女性だ。火傷のような傷はメイクでも隠し切れずに、いつまでも爪痕を残しているが、それをもってしても彼女は美しかった。
闇に紛れる黒い衣装で、彼女を待つ。
少しして、彼女は姿を見せた。黒いコートをきた美しい彼女。
息を押し殺し、獲物を狩る野獣のごとく身を潜めつつ、視線は外さない。
そして、横を通り過ぎていったとき、彼女の背後から私は手をかけた。
◆ ◆ ◆
ぶかぶかのトレーナー一枚に中身は下着の姿。
首輪をつけて、太い鎖で繋がれた彼女はリビングで体育座りをすると、ぼんやりと虚空を眺めている。
晒された太ももは良い肉付きをしていて、白くて傷が無くて。羨ましい気持ちを持ちながら、いつもその足を見ていた。
「さ、ご飯の時間よ」
犬用のトレーにご飯とみそ汁、そしてわずかな卵焼きを用意し、彼女に差し出す。
ペットではあるが、ちゃんと人間用のものを用意した。
勿論、彼女の健康状態を考慮しながら、メニューは変えていく。こういった健康管理も飼い主の役目だ。
それに少しでも、喜んでもらえればと、いつも出来たてのものを提供する。
出された餌に彼女は喜ぶ顔などはせず、無言で餌にありついた。
箸を使って食べる姿はとても可愛らしかった。人間なのだから、箸は使えて当然ではあるが、それがペットという観点から見るとまた別のものに見える。
こんな発見を楽しみながら、私は彼女の様子をずっと、ずぅっと見続けていた。
箸を持つ姿も、繊細そうな指も、咀嚼する口も。全部全部が、可愛らしい。
ペットが餌を食べる姿というのは種類を問わず可愛いものだ。
長い髪が口にはいらないように耳にかける姿なんて、女性らしさもあって心がときめいてしまう。
そんな様子をスマホのカメラに収める。最高の一枚が撮れるように、何枚も撮影する。
可愛らしい姿をSNSなんかで自慢したくはなるが、なんとかその自己顕示欲は納めなければならない。
ペット自慢したい気持ちはとてつもなくあるが、このペットを誰かに見せるわけにはいかない。
何回もシャッターを切る。何回も、何回も。
食べ終わった容器を重ねると、私のほうに差し出し、彼女はまた虚空を見る。
「トイレは大丈夫?」
「……」
「したくなったら言うんだよ」
「……」
返事はない。
まだこの環境に慣れていないせいかのか、それとも心の中に警戒心があるのか。
だが、餌を食べている様子を見れば少しは慣れてきたのだろうかなと思う。
食べ終えたトレーを洗うと、出勤の準備をした。
もしかしたら彼女は私の出勤している隙をみて逃げ出すかもしれない。そんな不安はあるが、ペットを飼うには金がかかる。
それも犬や金魚と違い、人間はよく食べるし維持費がかかる。
ペットを良い状態に保つためならば、多少の出費には目を瞑るしかない。そして、稼がねばならない。
それに逃げ出そうにも女性の力ではとても敵わなそうな鎖をつけている。
万が一にも逃げ出すことはないだろう。
スーツに着替えると、ぼんやりした彼女に声をかける。
「いってくるからね。いい子にして待ってるんだよ」
笑いかけても、返事はなく、表情の変化もない。
ただぼんやりと天井を見る目は虚ろで、儚くて、でも、そこに美しさがある。
鳥かごの中の鳥、もしくは標本の蝶のような。言葉にするには難しい、飼育者にしかわからないペットの醍醐味がそこにある。
玄関を出て、最後に扉の隙間から彼女を見る。
大人しい彼女は鎖に繋がれたまま、音も立てずにじっとしていた。
◆ ◆ ◆
家に帰るとリビングは悲惨な状態になっていた。
皿やコップが割れて床に散乱し、本が何冊も破られ、ソファはびしょびしょに濡れていた。
そして、部屋の隅で彼女が泣いていた。
「あららら、オイタしちゃったんだね」
散乱したものを避けながら、まず彼女の状態を確認した。
膝をかかえて顔を隠す彼女の腕には痛々しい切り傷がいくつか残っている。
血が渇いて固くなっている。そんな姿で泣いている彼女は、見ていて辛いものがある。
「怪我しちゃったんだね、今手当するからね」
周りに飛散したものをどけると、消毒液とばんそうこう、包帯を用意した。
タオルで彼女の腕を綺麗に拭き上げると、傷をケアしていく。
腫れぼったい赤い瞳が、私を睨む。顔を焼いた火傷の火のような、熱いものが目に宿っているような気がして、私は思わず見とれてしまう。
「あなた、何がしたいの」
彼女が初めて口を効いてくれた。
「何がしたいって、傷を手当したいんだよ」
「そうじゃない。私を連れ込んでどうしようっていうの」
怖がる瞳。また涙が零れている。
「どうしようって――私はね、人間を飼ってみたかったの」
「ペット? 私はあなたのペットなの?」
「えぇ。人間を飼ってみたかったの。
私ね、今までいろんなペットを飼ってきたのだけれども、人間は飼ったことがなかった。
だから、いつしか人間を飼ってみたい、なんて思って。
でも、ペットショップに行ったって、保健所にいったって人間は売っていないし、里親探してないでしょう?
だから、自分で捕まえたの」
「イカれてるんじゃないの?」
「かもしれない」
「気持ち悪い」
怒りと恐怖にまみれた瞳が私を睨めども、私は慈愛の瞳を持って彼女を見つめた。
「大丈夫。悪いようにはしないわ。健康管理も環境も全部整えてあげる。
いつだって最高の状態でいれるようにしてあげるから」
「……どうせなら、もっと綺麗な人をペットにすればいいじゃない。私の顔を見て。こんな火傷の痕があるのに、何がいいの?」
そういって、彼女は長い髪を掻きわけると、頬から額にまで広がった火傷の痕を晒した。
もうメイクもしていない彼女の顔には茶色い痕が残ると、薄れてきてはいるものの見ればわかる程度の火傷痕が姿を見せる。
その火傷のあとを、ゆびさきでなぞった。
彼女は一瞬びくりとしたけれど、それでも私は愛しいペットの顔をゆっくりと優しく、怖がらなくてもいいんだよと語り掛けるように触れた。
「その傷痕だって、素敵なの。自慢のペットなんだから、それは短所じゃなくて長所だわ」
「短所に決まってるでしょ」
「いいえ。長所よ。だって、こんな傷があれば、大衆の中からだって見分けられる、唯一無二の存在だもの」
「こんな傷!」
涙にまみれた叫びは、私に飼育されている現状よりも傷に対しての怒りに聞こえた。
うぅと嗚咽をあげながら両手で顔を隠すと、彼女は床に額をつけて泣き出す。
「こんな傷があったら誰にも愛されない。皆、私のことを後ろ指さして笑う」
「そんな酷いことをされてきたのね」
「もう嫌だった。全部嫌だった。昔からこのせいでいじめられて、会社でも笑われて」
悲痛な叫びと涙の声が部屋に広がる。
ペットのこんな姿を見るなんて、とても耐えられない。私は彼女の体を抱きしめると、背をさすり頭に頬をつけた。
手に入れたペットはこんなにも癖のある子。傷があるのは顔だけじゃない、心にも傷がある。
でも、歪んでいる私はそんなことさえも愛おしく感じてしまう。
「よしよし、辛かったね。大丈夫だよ」
「もうどうでもよかった。だから、貴女に連れ去られてからも何もしようと思えなかった。
むしろ、社会から解放された気がしたの。ここにいれば笑われることはない、いじめられることはない」
「勿論そうよ。私が貴女を護ってあげるから」
「こんな……こんな異常者が私の最初の理解者なんて。笑えるよ、私はきっと神様に見放されてるんだ」
「ごめんなさい……」
「いいよ、私にはこんな生活がきっとお似合いなんだ。私は不幸な人生を歩むように、神様に運命を決められているんだ。
おぞましい顔のまま生きて、こんな頭のおかしい奴にしか好かれない。はぁ、もう死のうかな」
「そんな、死ぬだなんて」
「はは……できっこないのにね。死のうとしたことはあっても、死にきれずに生きてたんだ。
それに今はこんな鎖を付けられて、誰かに管理される生活。もうどうでもいい。どうでもよくなったよ」
心が痛い。連れ去ったペットはここまで心を病んでいたなんて。
きっとこの傷のせいで、彼女は社会から笑われて、後ろ指刺されてきたのだろう。
愛するペットがこのような姿でいいのだろうか。
自分のペットがこんな不幸でいいのだろうか。
答えはノーだ。
「安心して。あなたを幸せにしてあげるから」
「もういいんだ。どうでもいい」
そういって、彼女は身体を横にすると、私に背をむけて眠った。
荒れ果てたリビングよりも、彼女の心は荒れまくっているのだろうと思う。
愛するペットのこんな姿は見たくない。
ペットとは自分の家族だ。家族には幸せになって欲しい。
彼女の小さく震える身体に毛布をかけると、私はリビングから抜けた。
◆ ◆ ◆
銀行にいくと、預金を全額降ろした。
それでも足り無さそうな分はキャッシングして、私は封筒に大量の万札を詰め込むと急いで家に帰った。
リビングには彼女が相変わらずふて寝している。
心は荒れに荒れていて、もうあれから話す気力もなくなっていた。
「起きて」
「……」
返事はないが、体動はある。
彼女は私のほうを死んだ魚の目で少し見ると、また視線を戻して力が抜ける。
「貴女を幸せにしてあげる」
鎖から解放した。首輪を外した。
彼女は一体何事かと首を摩りながら、私のほうを見た。まだ目は死んでいるけれども、少し驚いて瞳孔が開いている。
そして、私は彼女の前に厚くなった封筒を複数差し出した。
「これで、その傷を治しておいで」
「は?」
「中に500万入ってるわ。もう美容外科の予約もとってあるから、この後行ってきて」
「はい?」
「あなたに幸せになって欲しいの。だから、預金やら全部降ろしてきたの。
ネットで検索しまくって評判のいい整形探したの。だから、これでその傷痕を直してきて。そして、あなたの幸せな人生を歩いて」
「意味がわからない」
意味がわからない、と言いながらも、彼女の顔は困惑していて、でも涙が溢れていて今にも零れそうだった。
「ペットには幸せになって欲しい。ちゃんと綺麗な状態で生きて欲しい。そしてペット自身が充実していてほしいの」
「だからって、こんな大金」
「いいから。そして整形を受けたら、もうここには戻らなくてもいい」
「え……」
「もうあなたは自由よ」
「……いいの? 私その足で警察にいっちゃうかもしれないとか考えないの?」
「それでもいい。あなたが幸せになってくれたら」
「本当に、貴女イカれてるよ」
「それが私の愛なの」
「バカな女!」
封筒を乱暴に掴むと、鎖から解き放たれた彼女は慌ただしく部屋から出て行った。
どたどたという足音が響き、玄関の開く音がして気配が遠のいていく。
『バーカ! このイカれ女!』
外から聞こえてくる声が愛おしい。
窓から景色を見たとき、もうペットの姿はない。
これで良かったんだ。これがペットが幸せになる方法なんだ。
そう言い聞かせながら、私はその場に腰を落として立ち上がれなかった。
こんなことをしてしまったんだ、と今更ながら罪悪感のようなものが押し寄せてくる。
彼女は警察に行くだろうか。行ったとしたら私は捕まるのだろうな。しばらくは檻の中に入るのだろうな。
そしたら今度は自分がペットのような状態になるんだろうな。
意味のわからない乾いた笑いが噴き出た。
それでも、彼女が彼女の思う綺麗な姿に整形して、彼女の人生を歩いてくれたら嬉しいと思う。
人間を飼いたいという私の欲望は満たされた。
結果、ペットの幸せを願うなら、私の手の中にいるうちは幸せになれないと思った。
だから、私に出来るのはこういったことだけだ。
「あーぁ、私逮捕されるのかなぁ?」
◆ ◆ ◆
それから数か月経っても、警察がドアを叩くことはなかった。
最初は不安だったが、徐々に変わらない日常になっていたことに拍子抜けしつつ日々を送っていたある日、珍しく警察ではないものがドアを叩いた。
日曜日の朝早く、パジャマ姿で玄関を開けてみれば、そこには凛々しい顔立ちの、美しい女の人が立っていた。
「イカれ女」
「え」
「私だよ、私」
「もしかして」
その輪郭は覚えのあるものだったけど、その表情は私が今までみたなかで、一番明るかった。