漆黒をも照らす月明かりの下で 4
【序章】
深淵に飲まれる。
屋上から見下ろす地表は、15階建ての建物の屋上からというその距離の為に、月明かりと家々から漏れる明かりでは光源としては乏しいらしく、ただ闇が横たわるようにしか見えない。
見下ろす地表のその様が、徐々に闇に侵食されていくかのように思えるから、見下ろしているその景色は、深淵に飲まれていくように見えるのかもしれない。
…違うな。独り言に思わずかぶりを振る。
誰に向けたでもない、独り言をかぶりを振って否定する間抜けさに、思わず自嘲で口の端が上がり、歪む。
「どうしたの?やっぱり怖くなった?」
不安気な声は、不安気な表情を向ける久美さんから、かけられる。かぶりをふるその仕草を、躊躇いと受け取られたらしい。
「いや、そんなことはない。」
そう、覚悟は決めてきたはずだ。命を賭すと決めたのだ。
自分に言い聞かせる時点で、そんな覚悟は微塵も固まっていないのでは、再度、嘲笑されるが、目と口を堅く閉じ結ぶことで黙らせる。
「ひろくんが付き合うことなんてないんだよ。ひろくんは、何にも悪くないじゃん。」
悲しげで気遣わしげに注がれる視線。
「別に償いの為に身を投げえようなんて思ってるわけじゃない。」
「そう…」
とても納得したなんて雰囲気ではない。それはそうだろう、俺自身納得出来る言い分じゃない。償いの思いがないなんて否定出来ないしな。
それでも、この後、俺はこの罪の意識を背負い続けて生きていくことに堪えられそうにない。
そう、逃げ出すために死にたいのだ。
償いなんて高尚なことのために、死にたいわけじゃない。
すっ
俺の左手を包み込むように、久美さんが両手で握り締めてくれる。
「ありがと。」
久美さんの左手から伝わる体温に、俺の葛藤は結論もないままに、沈んでいく。自然と感謝の言葉が口を吐いた。
情けないことに、この時になって初めて心が固まった気がした。決意とかそういうことじゃなく、ぬくもりで固まる心、ほんと情けないな。
「人の手のむくもりで得る安心感なんてものは、こんな時に感じて踏み出す理由や言い訳にしていいもんじゃないんじゃない?」
「誰だっ」
誰何の声を張り上げたが、捜すまでもなく足元、屋上を囲うフェンスの向こう側に、空に足を投げ出す格好で縁に座す人物。腰掛けたお尻まで届いて広がる髪。
結局独りでは踏ん切りがつけられず、こんな時まで誰かを巻き添えにしている自分の不甲斐なさがどうしようもなく、情けなくて仕方ないから、目に飛び込もうとしているそれが深淵に見えた、きっとそれだけのことだ。
「お前達みたいな存在がいるなら、俺らを導いてくれればいいだろっ」
「前に似たようなことを言われたことがあるけどね。ボクらみたいな存在は、本来あんた達のように“今”を生きる人達に関わるべきではないと思うんだよ。」フンっ態と関わりに行っておいて、よくもいけじゃあしゃと、という小生の言葉は、なかったものとして扱われる。「ボクらはどう足掻いたところで、行き止まりだからね。成長とか可能性とか、そういうもので好転させられるあんた達は、間違いながらも答えを出していけばいい。」
「間違っているその間に犠牲になるものは、致し方ないって諦めろってことか?」
「それだって、致し方ないと諦めるか、どうにかしようとするかなんて、あんた達で決めればいいよ。」
「ふざけんなよっ、高見の見物で、勝手にしろって、本当にふざけんなよっ。」
「それもちょっと違うかな。同じ目線に立てるあんた達だからこそ、より良いものを築けるのだと思うんだけど。ボクらはこうして存在はしてるけど、あんた達と共に生きていく存在ではないから。悲しいことに。」
全然悲しそうに見えない、おどけた表情でそう言ったところで、共感は得られなさそうだがな。小生にすら分かるこうしたことに気付けぬから、アホウと呼びたくなるのだ。