前編
スライムの旦那は冷酷魔王(https://ncode.syosetu.com/n7788fp/ )のその後の物語です。
短編の方をお読みいただくと内容がよく分かると思います。
前編、中編、後編の三部作で、前編以降は22時予約投稿しています。
「…………」
普段ほとんど表情の動かない旦那様が、私を見るなり露骨に顔をしかめた。
「私です」
「いや、わかるが」
もしかしたらわからないのかなと思って自己申告してみたら、予想に反して私が私であることはわかっていたらしい。
「お前……」
いや、違うのだ。
冷静に聞いてほしい。
まず、旦那様がこんなに早く部屋へ戻ってくるとは思っていなかった。今日の公務には私を連れていけないから部屋にいるようにと言われ、では人間の形をとる練習でもするかと思ったのだ。
私だってだいぶ肉がついてきた。まだ幼女になるほどの肉はないが、それでも昔懐かしい自分の顔を思い出して、ひとまず頭だけでも作ってみるかと思ったのだ。
しかし思いのほか肉が足りなくて、耳より前までの顔しか作れなかったのは誤算だったが。まるで学生時代に粘土で作った自分の顔のようだ。
そうやって練習を初めて十五分もしない頃だろうか。あなたが帰ってきたのは。
「何故顔だけなのだ。しかも何故前面だけしかないのか理解に苦しむ」
見ての通り圧倒的に物量が足りないからだが、それを言うような空気でもなく黙る。
もっと量が増えて変身が上手になってからお披露目するつもりだったのに、この突然の帰宅で全てがパアになってしまった。
さて、どうやって言い訳をすればいいのだろうか……と、思ったものの、下手に言い訳をすると話がこじれるし、そもそもお礼を言うと言うのが私の目標だったので、見栄えは悪いが早めに伝える方がいいだろうと思い渋々口を開く。
「このような格好で申し訳ありません。実はずっとお礼が言いたくて、話ができるようになろうと思い人化の練習をしていました。ただ肉が足りないので今は不完全な姿ですが」
一瞬遠い目をした旦那様が何を考えているのか手に取るようにわかる。
しかし何かを言われる前に、私は再び口を開いた。
「私を捨てずに育ててくださり、ありがとうございます。それから何度も命も救っていただきまして、大変助かりました」
「……ああ……まあ……」
気の抜けた返事に何かおかしかったかと訝しんでいると、旦那様は小さくため息をついて私に近寄った。
「まあ、なんだ……感動的な場面なのだろうが、顔だけで言われても別のところが気になって頭に入ってこないな」
それについては本当にタイミングが悪かったとしか言いようがない。
私だって理想の感動シーンが演出できずに大変残念だ。
「まあよい。お前が余と話したいと思って努力をしたことについては評価に値する。褒美は何がいい?」
「えっ、いや……そのようなつもりでは……あ、でもよろしければ旦那様のお名前を教えて――」
いかにも支配者っぽい返しだなと面食らいつつ、未だ知らない旦那様の名前を聞こうと思った時のことだった。
大きな破壊音とともに窓ガラスが砕け散り、部屋の中に何かが飛び込んでくる。
びっくりしてそちらに目を向ければ、そこには旦那様よりもさらに二十センチほど背が高くガタイのいい男が立っていた。
「よお。久しぶりだなあ」
侵入者は旦那様に視線を向けたまま頭を振って細かいガラス片を髪の隙間から落とし、手で洋服を払う。
短い黒髪、身につけた鎧――どころか服を始め顔・体中に走る縦横無尽の傷跡。そして何より一番驚くのが、その顔が旦那様に非常によく似ているということだ。
「相変わらずだな。家出はもういいのか」
「家出じゃなくて謹慎だっつの」
「余が命じたわけではないが。わざわざ冥府の牢に入るとは酔狂だな。番が亡者の中にでもいたか」
「俺が納得できなかったんだよ。魔王の弟だから殺人罪を見逃されたって言われんのも癪だしな――で、それが兄貴の番だって?」
侵入者はゴミ以下の者に向ける目で私を睨みつける。正確に言えば“笑顔で見られている”だが、その笑顔が偽物であることは一目瞭然だ。
今の今までいない者のような態度をとっていたくせに、その視線は殺したいほど憎いといっていた。
「俺はスライムだと思っていたんだがなあ。だから見逃してやっていたのに」
「余も今朝まではスライムだったと記憶している」
ふんっと鼻で笑う旦那様に、羞恥心で顔が熱くなるのを感じる。まさか人の失敗をからかってくるような人だとは思わなかった。そんな冗談、言うような顔ではないではないか。
しかしその若干意地悪なところがいい。
「……もう少し肉付きが良くなれば人型になれます」
「馬鹿が。肉付きが良かろうが悪かろうが俺がお前を兄貴の番だと認めることはねぇよ。スライムのままだったらまだ見逃してやったものを……お前もし――ぐえっ……!!」
ゴンと鈍い音がして、侵入者は地面へと倒れ伏した。
「馬鹿はお前だ」
「痛ぇな!!」
「声がでかい」
心底鬱陶しいという表情で侵入者を睨みつける旦那様は、贔屓目に見ても格好良かった。
顔の整った人というのはどんな表情をしていても綺麗なものだ。
「――ああ、そう言えばイシュルダ」
名を呼ばれて目を向けると、旦那様がわずかに口角を上げる。
他の人から見れば不敵な笑みに見えるかもしれないが、私にはわかる。これは愛おしい妻に向ける愛のこもった笑顔であると。
そう、愛おしい妻にだ。
「余の名前を知りたいと言っていたな。良い心がけである」
「ありがとうございます」
「おい、イチャついてんじゃねーよ」
「一度しか言わぬから覚えろ」
「スライムにそんな脳ミソあるかよ」
お安い御用だ。記憶力には自信がある。
「ヨル・ランフォルトス・デ・モントリオール・ラヴォ・セグルト・アルカトル・アヴォーヌ・デゴ・メンティスカトル・デヴォルト・デヴォル・シル・ミン・ミーだ」
「ヨル、ラン……フォ……ランフォルスト……」
「ほらみろ。俺なら言えるけどな」
なるほど。無理だ。
ひとまずは頭の方だけ覚えておけば十分だろう。あとは追々覚える。
「ヨル様」
「まあいいだろう」
どうやら合格点のようだ。
旦那様がいいと言うのだからまあいいだろう。寿命が尽きるまでには覚えてみせるので、長い目で見てほしい。
「番の名前すら言えないってのはどうなんだかなあ」
「そもそも余の名前が長すぎるのだ」
しかし、そうは思っていない者が一名。
まあ、普通に考えれば正しいのはこの侵入者の方だ。
「……随分と生ぬるくなったなあ? 番ってのはそんなに良いのか? あ? 子孫すら残せないような者が魔王の番だなんて言えるのか?」
「ならばお前が王になればよい。余は王の座に興味はないのでな。お前が子を成せる番を見つければ万事解決だ。良かったな」
「――おいおい、自分のためにならない魔物の首を軽くはね飛ばしていた頃の兄貴はどこにいったんだ? 腑抜けたもんだ。王が“子孫になんか興味がない”なんて言っていいわけねぇだろうが。王に限っては繁殖能力もねぇ番なんざ意味ねぇんだよ」
全くそのとおりだ。
それについてはぐうの音も出ないし、正直いいのかどうかで言えば悪いとしか言いようがない。
旦那様――ヨル様は王だ。跡継ぎは必要なはず。
私は一夫多妻制は嫌だなどわがままは言わないので、そこはヨル様の意見を大事にしたい。つまりヨル様が跡継ぎが必要なので子孫を残せる者を娶ると言えば、私はNOとは言わないだろう。
だけどそれでも――
「いってぇ……!!」
私のために力いっぱい拳骨を落とす旦那様を見て嬉しいと思う気持ちは抑えきれず、きっと私は心の奥底では嫌だと思っているのだと思う。
「いいかスライム!!」
拳骨をくらって地面に伏していた侵入者は、勢いよく立ち上がるのと同時に私に指を突きつけ、唾を飛ばしながら怒鳴った。
「誰が許しても! この俺様がお前なんかを兄貴の番だとは認めねぇ!!」
ああ、なるほど。そういうことか。
嫉妬かと指摘するのは流石に意地悪すぎるので黙っておこう。
私もそこまで意地悪では――
「女かどうかもわからねぇなりしやがって」
「男の嫉妬は醜いですね」
よろしい。
長期戦と行こうか、義弟よ。