DVD鑑賞です(里菜子目線)
おいでませ、図書館
「休みの日だというのに申し訳ないですね、出てきてもらって」
里菜子はそう言いながら町にある唯一の図書館、山際図書館の前で牧彦を待ち構えていた。
山際公園展望台で見た時も思ったが、牧彦のどこかダボッとしたその私服姿を見ていると、フリーのラッパーみたいに見えてくる。学生服を着ている時には総合格闘技でもやっていそうに思えるのだが。
今日は日曜日。
先日の金曜日の放課後に里菜子は牧彦に言っておいた。
「日曜日、山際図書館へお越しになってください、見せたいものがあります」
牧彦はまた本か?という顔つきだったが、今回はその予想を裏切ってちょっと趣向を変えてみた。
図書館の中に入り、DVDの陳列棚から一つのパッケージを取り出す。
「今日はDVD鑑賞です」
ジャン、と口で言いながら一つのDVDのパッケージを見せる。そこには小さい女の子がボコボコの金ダライを頭にかぶり、敬礼しているジャケットがある。
「火垂るの墓…」
「そう、見た事あります?」
「小学校の授業で…見た気がする…?よく覚えてねえ」
最後に兄貴が死んだような気がすると牧彦が呟く声に、里菜子は本当にうろ覚えなんだな、と思いながら、
「じゃ、見ましょう」
と火垂るの墓のDVDパッケージを持ってDVD鑑賞の受付をしにカウンターへと向かう。
そしてふと自分の後ろを素直について来ている牧彦に気づいて、キュンとした。
素直にこんな地味な女の後ろをついて来るとか、あなた本当に不良・ヤンキーと皆に思われてる猿田牧彦ですか。
しかし里菜子はもう分かっている。
牧彦は不良・ヤンキーと周りが恐れるほど悪い人物でもないと。ただ授業にたいする素行が不良なだけで、実質的な意味でこの牧彦は不良でもヤンキーでもない。
思ったより喧嘩っ早いというわけでもなく、割と真面目に色々と考えていて、そして部活だけは休んだことが無いという部活にだけは優等生といえる人だ。
ある時に、
「今日の放課後はこんな本などいかがですか」
と言っても、
「部活あるから無理」
と即座に断っていたので、案外真面目な人なんだなと思えた。
それでも里菜子はクラスメイトらが、
「猿田、今のままじゃ来年の春の大会も出られるか分からないよ。夏休み明けから授業も度々サボってるしテストは赤点ばっかりみたいだし」
「むしろ二年生に進級できるかが問題だよね」
という話をしているのを聞いている。
だから目下の目標は猿田牧彦を二年生に進級させ、そして春の大会に出られるよう、赤点以上の点数を取らせる。これだ。
しかしまずは母国語からと本を読ませているが、いつも本ばかりだとさすがに飽きるだろう。
自分はそうでもないが、短編でも牧彦は時々辛そうな顔をしている時がある。
なので小説が原作のアニメーションを見よう、息抜きとみせかけ、こういうところから学ぶという楽しみ方もあるという事を教えるために図書館に牧彦を誘ったのだ。
そして受付からDVD-ROMとヘッドフォンを借りて、DVD鑑賞できる場所へと向かいながら火垂るの墓のパッケージを牧彦に向ける。
「これは元々、野崎昭如の書いた短編小説です」
牧彦は驚いて里菜子を見た。
「宮崎駿じゃねえの?」
「ここにも書いてある通り、スタジオジブリが制作、高畑勲による監督・脚本、そして野崎昭如が原作者です」
そうなのか…と牧彦は驚いている。
そして二人はDVDを観るための小さいテレビ画面の前にもう一つ椅子を用意して座る。一人で見るには十分なスペースだが、二人だと狭い。
むしろ牧彦が巨体なので余計狭く感じる。
「さて、観る前に野崎昭如の面白エピソードを紹介しましょうか」
そう言うと牧彦は自分の方に即座に首を動かしてくる。
学校の授業でも同じことだけど、授業の話より先生の小話や裏話の方が皆食いつくよね、と思うと里菜子はおかしくなった。
「ある学生の娘さんが学校の宿題でこんなものを出されました。『作者は火垂るの墓をどんな気持ちで書いたでしょう?』と。そしてなんと、その学生の娘さんのお父さんこそが火垂るの墓を書いた作者、野崎昭如でした」
「ラッキーじゃん」
牧彦もそんな偶然あるのかとばかりに声を弾ませて言うが、この話のオチを知っている里菜子は牧彦のそんな簡単な一言がおかしく感じる。
「だから娘さんは野崎昭如に聞きました。『どんな気持ちで書いたの?』と。…野崎昭如は何と答えたと思いますか?」
このエピソードは好きな話なので少し引っ張っておきたい。
牧彦は少し顔を動かして考え込み、
「皆を感動させようと思って書いた…?」
と里菜子に視線を戻してくる。
「ブブー、残念!」
図書館内なので小声でそう言い、指で小さくバッテンを作って里菜子は続ける。
「正解は『締め切りに追われヒィヒィ言いながら書いた』でした」
牧彦が吹き出したが、慌てて口を押さえている。
「ちなみに娘さんはそのままを書いて提出、不正解扱いされたそうです」
「ひでぇ」
牧彦は口を押さえたまま笑っている。きっと押さえないと大声で笑ってしまいそうになるんだろう。
「本人がそう言ってるのに不正解なのかよ」
笑いで声を震わせながら牧彦が言うので、里菜子も笑う。
「結局、作者の考えと、学校側が求めたい答えなんて一致しないものですよ。その時作者が何考えてたなんて、いくら考えても本人以外分からないんですから。
それだったら学校側も『作者は火垂るの墓を通じてなにを感じ取ってほしいと思ったか』くらい言ってたらもっと野崎昭如からいい言葉を引き出せたと思いますよ。
それでもヒィヒィ書いたからそんな事考えてなかったとか言うかもしれませんけど」
「…お前、問題出す側の考えだな」
少し笑いの収まった牧彦がそう言うので、
「おっと、話はこれくらいにしてさっそく観ましょう」
とDVDをデッキに入れ、再生して座り直すが、牧彦と腕と足がぶつかりそうなのであまり触れないようにと少し体を斜めにして離れる。
そしてDVDを観終わった。
「ダメ…もうこれ観るともう…」
里菜子は最初から泣くと分かっていたので、あらかじめ持っておいたティッシュで涙をぬぐい、そして小さく鼻をかんでバックの中にいつも常備してあるごみ袋代わりのコンビニの袋にティッシュを入れる。
隣の牧彦は泣いてやしないか、それだったら見ない方がいいか、と思いつつ、ソッと牧彦の顔を覗き見ると、泣いてはいないが酷く落ち込んだ顔をしていた。
世の中絶望しかない、という顔つきだ。
里菜子の視線に気づいた牧彦は、そんな沈んだ顔のまま、
「こんな話だっけ…」
と呟き、
「これが…締め切りに追われてヒィヒィ書いたレベルかよ…」
とひどく落ち込んでいる。
その気持ちはとてもよく分かる。何故ならこれは…、
「作者の野崎昭如もこれを見て、二度と見たくないと言ったらしいです」
「おぅ…」
まるで外国の人が言うような「OH…」のテンションで牧彦が言うので辛い気持ちの中にクスッとした笑いが浮かぶ。
「…っていうか、作者もこれ見たのか?このアニメ?」
「ええ。作者が昭和の戦争を体験した方なので」
「結構最近の人なんだな?」
それはこの間見せた片腕の作者、川端康成と比べて最近の人という意味なんだろうかと思いつつ、里菜子は頷く。
「ちなみに、作中におばさん居ましたね?」
「ああ」
牧彦はあのおばさんを思い出したのかわずかに顔をしかめる。
それを見ればどう思っているのか分かるものだが、
「どう思いました?」
と聞いた。
「すげえ嫌なババア」
里菜子はうんうん、と頷いてから牧彦を指さす。
「牧彦くん、あなたの思考回路はまだ子供です」
「…あぁ?」
久しぶりのドス声とイラッとした表情が表に出る。
里菜子は慌ててとりなした。
「馬鹿にしてるわけじゃないんです。ただ、子供の頃に嫌なババアと思ってたこのおばさんなんですが、大人の視点からみるとちょっと共感できるみたいなんですよ」
「どこが」
「今戦争してます。食料品などが乏しく自分たちの食べ物すら不安な状態です。それなのに育ち盛りの子供二人が家に追加されました。
食べ物は不足してるのに白い米が食べたいと言ってきます。どう思いますか?」
そう言うと牧彦は口を閉ざし、何か言い返そうにも言い返せずまた沈んだ顔になっていく。
「ね?子供から見ると同じ子供の主人公にシンクロするのでなんだこのババア、って思うんですが、大人の視点から見ると嫌なババアだと思いつつ否定できないらしいんです、むしろ共感しちゃうみたいなんです。これは子供の時に観て、大人になったらまた観たい映画ですよね」
「…ちなみに、お前はあのおばさんみてどう思うんだ?」
里菜子は少し黙り込んで、
「…これは久しぶりに見たんです。もっと子供の頃は嫌なババアと思っていたんですが…。
久しぶりにみたら家から出て行く二人を見送る時のちょっと戸惑った顔とか、行くところあるの、って声をかけるのを見ると完全に嫌な人だとは思えません」
そして牧彦を見て、かすかに顔を歪ませた。
「それでも言い方が悪いですよね、娘にも言われるくらいですから、多分もともとそういう性格の人なんですよ。そう考えると私は苦手なタイプかもしれませんね。
言ってる事は間違ってないけど言い方がきつすぎるし、感情に任せてバーッと相手の事を考えないで言っちゃう感じで」
「結局それ…嫌なおばさんだと思ってるんじゃねえの」
「あ…そうですね」
里菜子があっさり返すと、一瞬の沈黙のあと、二人はおかしそうに笑いあった。
高畑勲監督が亡くなる前にこの話を書いたのですが、まさか火垂るの墓がテレビでやるとは思いませんでした。
こんな所でいうことではないと思いますが、高畑勲さんの映画はいつも見て楽しんでいました、子供の頃から今まで楽しいアニメーションをありがとうございました。