第4章 2011年10月 チャレンジレース 第90話
第90話【福井 晴美】
昨日、電話で輪太郎に言われた。高校を卒業して競輪学校を卒業してプロデビューして、そして初勝利したら婚約してくれって言われた。私はまだ学生なのよと言ってみたけど、結婚じゃなくて婚約だからと。今までも冗談で言っていたけど、昨日の輪太郎は本気だった。
そして「明日は表彰台にムサシと立つ。そして真ん中が俺だから。勝つから」と言って電話を切った。輪太郎は、きっとロードレースが好きなんだ。ロードレースから卒業するのにこの舞台を選んでいるんだ。
会場で輪太郎たちと合流して私はほっとした。初めて会った頃、輪太郎のふてぶてしい態度は、この自信満々さはいったいなんなのよと半分呆れていた。だけど、今となっては私を安心させてくれる。変われば変わるものね。
でも、お父さんが来たときの輪太郎、さすがにビックリしてたな。これくらいはびっくりしてよね。だって、私だって緊張してるのよ。お父さんに彼氏を紹介するのって初めてなんだから。しかも年下の高校生。お父さんも緊張してると思う。お父さんは緊張をごまかすのに会場内をフラフラ歩いてる。
しばらくしてムサシ君の知り合いらしい自転車仲間のおじさん達が寄ってきた。文字通り、わらわらと寄ってきた。「ムサシ達の彼女だ、かわいいな」「なるほどなるほど。2人揃うとほんと目立つね」とか、あっと言う間に私と律ちゃんは取り囲まれて、可愛いねえとか応援してねとか付き合ってくれとかいろいろ言われて唖然としてしまった。
だけど、おじさんたちはどこか子供みたいで無邪気な感じがして、ちょっとの間だったけど楽しかった。かわいいとかきれいだねとか言われることにイヤらしさを感じることもあるけど、このオジサン達はそういうんじゃない。私達は照れまくっていたけど、褒められて嬉しい自分がいた。
嬉しがっていたら輪太郎がヤキモチ焼いたみたい。たまにはヤキモチくらい焼きなさいよ。
会場で、緊張をごまかすために会場の偵察行動?をしていたお父さんも合流して、ムサシ君のおじいちゃん達も一緒に古賀志林道に向かって登り始めた。
古賀志林道って、輪太郎から何度も聞いていたたけど。
これは自転車で登る道じゃない。私は歩いていて息が上がった。陸上をやっていて今だって体力はその辺の女子とは比較にならないくらいあるはずだし、脚力は軟弱な男子にだって負けてない。その私が歩いて登るだけで息が上がる。自転車で足を着かずに登れるのかと思うくらい。こんなところでレースをするの?
勝利さんも息が上がっている。当然だ。ムサシ君のおじいちゃんの車椅子を押してるのだから。いいよ俺が押すからとずっと言っていたけど、さすがに見るに見かねて、お父さんも私も律ちゃんも手伝った。おじいちゃんが恐縮してたけど、どうせならみんなで山頂で応援したいからみんなで手伝った。そんな風に坂道を登るのも楽しかった。
古賀志林道には、いろいろなペイントがあったり応援のノボリがあったりして、ただの坂道じゃなかった。決戦の舞台という感じ。ここを輪太郎たちが登ってくるんだと思うと、今から胸が熱くなる。山頂に着く頃には雨も上がって無事に山頂に到着した。
すると、勝利さんが山頂からちょっと手前の路上に、リュックからスプレー缶を取り出してペイントし始めた。
「時間があれば輪太郎君の分も書けたけど、ごめん、時間がなくって」
出来上がったペイントにはロードバイクに不死鳥のように羽が生えている。今にも羽を広げて飛び立ちそうな、素敵なペイントだった。時間がない中ですごいですねと言ったら、恵子さんが「これね、何度も練習してきたのよ。すぐ書けるように」
どうやって練習するのか疑問だったけど、恵子さんの呆れた様子にそれ以上聞けなかった。
そうだそうだ、いかんいかんと言って勝利さんが慌ててラジオのスイッチを入れた。
「輪太郎君たちの走るチャレンジレースも、ラジオでレースの実況するんだよ。まあ地元のAMだし、運営サイドからしたら明日へのリハーサルみたいなもんだろうけどね」
「10時になったわ」
律ちゃんが言うと、ラジオが「チャレンジレースの1組がスタートです」とアナウンスしていた。輪太郎たちのレースはこの5分後にスタートらしい。
第91話に続く




