第4章 2011年10月 チャレンジレース 第70話
第70話【宮本 健】
朝5時に起きたら予報どおり雨だった。風はなく雨がシトシトと音もなく流れ落ちてくる感じだ。輪太郎の昨日の暗示が効いているのか、雨でも嫌な感じはしない。朝起きてから気分がすでに高まっている。僕らが走る分には構わないけど応援する律ちゃん達のことを考えたら雨はやんでほしい。
荒井さんにオーダーしてもらったジャージも昨日届いた。ほんとにギリギリ。レースで530ジャージで走れるのは嬉しい。泥ハネで汚れたらスタート前にカッコ悪いので、ジャージは本番用のジャージとして持っていく。準備万端だ。いつでも行ける状態だ。どんどんテンションが上がってくる。
「今日が試合か」
じいちゃんがすでに起きていた。レースじゃなくて試合というのがじいちゃんらしい。
「そう。今日が本番。勝ちたいんだ。本気で」
「健が勝ちたいなんて言うとは、珍しいな。それくらいで丁度良いんだ。わがままなくらいで勝負の世界は丁度いいんだ」
僕としては、じいちゃんがわがままで良いなんていう方が珍しいと思う。今までさ、「人様に迷惑をかけるような人間にはなるな」とか「自分のためにやるんじゃない。人のためになることをやるんだ。そうすれば自分のためになる」みたいなことをずっと言ってたのに。僕の背中を押すために言ってくれている気がする。
「おばあちゃんには、検査の結果は伝えたの」
「ああ。言ってある。黙っていたら、あとで恨まれそうだからな。あの世でずっと恨まれたらたまらん」
確かに、知らされなかったら『なんで言ってくれなかったの』言われるだろう。辛くても言ったほうが、きっと後悔しない。
「意外と冷静だったな。女は強いな。逆にばあちゃんが先だったらダメだな。男は弱いなあ」
そう言うものなのかな。僕には分からない。僕にはまだまだ未来とか将来の時間は無限にあるように思える。
じいちゃんの余命があと半年というのはほんとにショックだけど、自分が将来いくつまで生きられるかとかそういうのは全く想像できない。僕にできることは、まずは今日のレースを全力で走ることだ。そう思っているとばあちゃんも起きてきた。
「お茶くらい淹れればいいでしょうに」
ばあちゃんはいつものようにお茶を淹れてくれた。ほっとして気分が落ち着いた。テンション上がり過ぎだったかもしれない。朝ご飯も作ってくれそうな雰囲気だったけど、僕の分は遠慮しておいた。
「今日は律ちゃん達が朝ごはん作ってきてくれるんだ」
「そりゃ羨ましいね。若いモンは良いねえ」
「なんだ、じいちゃんたちの分もあるのか? そりゃ嬉しいな」
「分からないよ、それは頼んでいないから」
僕はさすがにそれは思いつかなかった。朝ごはんはレース会場で食べるつもりだったから。何か、更にからかわれそうだったので、バイクの準備をするふりをして納屋に逃げた。もう十分準備はしてあるけど。
今日のバイクはレース仕様だ。コルナゴC50で走る。サドルバックやエアポンプは外してある。距離が短いからボトルもいらないのでボトルゲージも外す。ホイールは登りを考慮して軽量なホイールにしてある。
律ちゃんのお父さんが乗っていたバイクだ。そして、陸前高田のロードレースでは毎年登りを先頭で通過して律ちゃんの声援に応えてきたバイクだ。
僕は今日は律ちゃんの声援に応えられるかな。バイクを目の前にして、再度、ボルトの締め具合やシフトの操作具合を点検した。もう何度も確認して十分なはずだけど、バイクを目の前にしてメンテナンスをしていると落ち着く。時間が経つのを忘れてしまう。
第71話に続く




