challenging-現在進行形な僕らは 第1章 2011年8月 海と出会いと悲しみと 第7話
第7話
香川さんの気持ちを想像して胸が締め付けられた。ほんとうに胸が締め付けられるということがあるんだということを知った。香川さんのことを思うとつらくてたまらない。
僕は全然分かっていなかった。僕は自分のことだけ考えて、好きだ好きだと勝手に思いあがっていた。どうしたら良いんだ。僕は。輪太郎は明日も朝練に行くらしい。自分も行こう。ひとりじゃこれは答えが見つからない。
平日の朝練は輪太郎と2人で走ることが多い。週末にちょっと多めに乗ったので、今朝は休んでも良いくらいだけど、昨日のメールがそうさせなかった。家を出ると今朝は昨日や一昨日と違って夏なのにちょっと肌寒い。
いつものセブンイレブンに5時30分前に到着すると輪太郎はすでに先着済だった。2人でなんとなく、「ああ」とか「おお」とか言うものの、会話が続かない。何かこう朝練に身が入らなかった。いつも張り合う古賀志林道もペースがあがらず、2人で並走していた。
「あのメールにはかなり堪えたけど、俺は福井さんが気になって仕方がない。あのメールのあとだとちょっと言えない雰囲気だけど、近いうちに付き合ってくださいって言っちゃうよ。もう言ってるようなもんだからな。あとは押すだけ。香川さんのことはもしかしたら展開には関係あるかもしれないけどな。例えば、福井さんに、『私だけ恋愛って言うのも』とか言われるかもしれないし」
その可能性はある。福井さん、香川さんとルームメイトな訳で、かなり気にしてる。それでも「また会おう」というニュアンスで最後は別れたんだから福井さんと輪太郎はうまくいく可能性は高いんじゃないかな。僕だって客観的状況は良くないけど、可能性はゼロじゃない。そう思いたかった。
朝練を終えて帰宅してシャワーを浴びてから朝ごはんのテーブルについた。僕としては、朝は納豆に山盛りご飯があれば十分なんだけど、忙しいのに母さんが朝ごはんはしっかりと作ってくれる。朝走った後は、しっかり食えと輪太郎も言ってるし。今朝は茄子と油揚げの味噌汁に、鮭の切り身に納豆とほうれん草のゴマ塩ダレ和え。そこに夏野菜の漬物とか。シンプルだけど、どれもきちんとおいしい。
我が家の食事は基本的に和食だ。小学生までの頃は地味な食卓がなんだか肩身が狭かった。ハンバーグとかスパゲティとかグラタンとかが並ぶ友達の家がうらやましかった。小学校の給食で、初めて食べるメニューが続々出てきてびっくりだった。グラタンとかハヤシライスとかでさえ、給食で初めてだったから。
そうそう、ステーキとかもなかったな。
我が家の普段の食卓は、ステーキじゃなくて焼き魚とか生姜焼き。シチューじゃなくて煮物とか肉ジャガとか。タマゴ焼であって決してオムレツじゃない。けんちんウドンやそうめんであって、パスタではない。サラダじゃなくてオシンコとかお浸しとか冷ややっことか。そこにいろいろなパターンで具だくさんの季節の野菜がたっぷり入る味噌汁やけんちん汁。
今ではそういう食卓が嬉しい。我が家の味噌汁やタマゴ焼きは、フツーと言えばフツーだけど、きちんと出汁が効いていておいしさが違う。スペシャルおいしいと思う。好みって変われば変るもんだ。
いつもなら鮭と納豆でご飯2杯コースだけど、今朝はご飯1杯だけでなんだか腹いっぱい。
「あれ。珍しいんじゃないの? 夏バテ? らしくないわね」
母が聞く。確かに今まで僕は「夏バテ」をしたことがない。実際のところ、今でも夏バテっていうのが分からない。
「夏バテとかじゃないと思う。何だかね、朝練もいまひとつ調子が上がらなかったよ」
調子はイマイチだったけど、朝ごはんを食べてちょっとは気分的に復活する。
「なんだ、恋わずらいか。健もいっちょ前になったなあ」
じいちゃんが茶化す。じいちゃんは中学を卒業するまで僕にとってはめちゃくちゃ怖かった。今では、じいちゃんとでも冗談が通じるようになった。じいちゃんは、やってることは今風だ。時間がある分、スマホとかインターネットとかパソコンとかは、僕より詳しい。最近、ちょっと元気がなかったり咳が出ていたりするのが心配だけど。
じいちゃんは、僕が小学生になって剣道のスポーツ少年団に入ってからは、僕のじいちゃんと言うより強豪の剣道スポーツ少年団の鬼みたいな監督だった。僕はじいちゃんに剣道の手ほどきを受けて、小学校の頃から各学年別の大会なら県大会優勝は規定路線。関東地区でも優勝候補筆頭。いくつかの全国から集まる大会でも優勝した。そのスポーツ少年団は地元でも強かったけど、今思えばその中でも僕のレベルは突出していたと思う。僕は自分で言うのもなんだけど、関東大会優勝とか全国レベルで戦えるとかいうレベルだったから。じいちゃんも張り切る訳だ。
中学校になって部活に入った。幸い、顧問も剣道をちゃんと知っていた。部活に加えてじいちゃんの道場での稽古も厳しくなった。他の道場に出稽古に行ったりもした。これまた自分で言うのもなんだけど、強い者が上を目指して努力したら余計強くなる。僕はその頃は体が細くて体格的にはハンデもあった。だけど、間違いなく同世代のライバル以上に稽古していたと思う。
自惚れたり井の中のカワズになっちゃったりしたらオシマイだけど、その頃の自分はとことん追い込んでいた。中学生にしてはやり過ぎじゃないかと周囲は思ったそうだ。僕は先頭を走っていた。先頭を走っていたら走り続けるしかないんだ。
それは自転車を始めてから客観的に輪太郎を見ていてもよく分かる。あいつは、先頭を走っている。そして誰よりも自分を追い込んでいると思う。
そんな訳で、僕は県内なら学年別ならほぼ無敵。2年生の全中大会では3年生を負かして県大会優勝して関東大会も優勝して全国大会行きの切符をゲット。どこまでいけるかと思った全国大会は準決勝で負けて3位決定戦に回って3位。全中で2年生で3位だったら周囲に奇跡だ大活躍と言われたけど、負ければ悔しい。
中学3年生になって身長も伸びて体も大きくなり全国優勝を目指していた全中大会は、気合が入り過ぎて追い込み過ぎたのか、出稽古先で大会2週間前にアキレス腱断裂して泣く泣く諦めた。1ヶ月で退院し、もう1ヶ月松葉づえをついていて、もう1ヶ月リハビリしていた。
でも、僕はリハビリが終了しても僕は竹刀を握っていなかった。アキレス腱みたいに切れてしまったんだ。剣道を続けようという意欲が、ぷっつりと。
今は、リハビリで乗り始めた自転車が日常生活の中心になっている。僕が剣道をやめてしまったのをじいちゃんは理由を聞かない。だけど、さびしく思ってない訳はない。そう思うと、胸がチクっと痛む。
ご飯を食べていつものようにロードバイクにまたがり高校に向かう。自転車通学時のサドルの上の時間は1人で考え事をするには持ってこいの時間だ。僕は雨でもほとんど自転車通学だ。台風直撃とか路面凍結がない限り自転車で通学している。帰り道は夕練を兼ねて遠回りして帰宅する。僕の場合は、自転車通学は、通学という手段よりもそれ自体が目的になっている。
ふと、気がつくとやっぱり福井さんのことを考えてしまう自分がいる。福井さんのメールを読んでから、急に考えることが増えた。今までも僕はひとりで考え事をしている時間は多かったかもしれない。1人っ子だからかな。そして、なんだか今まで以上に考え事している時間が増えた。
香川さんは一気に家族を津波で失ってしまったんだ。
何度も思うけど。想像がつかなかった。なんでだろう。なんでなんだろうという思いが僕の胸を締め付ける。僕は香川さんに思いを伝えることが出来るんだろうか。
第8話に続く




