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第3章 2011年10月 何のために走るのか。なぜ走るのか。第65話

第65話【宮本 健】


 マックから家に帰って、風呂に入っていつもどおり宿題は片付ける。そのあとSNSで律ちゃんや晴ちゃん、輪太郎のコメントを確認する。この一週間、いろいろありすぎた。

 律ちゃんのことを考えると、どうしようなく切なくなる。全く僕は恋愛初心者だ。そして、律ちゃんのお父さんの思いを考えると、胸が熱くなる。地元を愛して家族を大事にしていて、震災に遭ってしまった。律ちゃんのお母さんやお兄さんも同じだ。


 それらが僕に生きていることの意味を考えさせる。そして、今日の輪太郎の血液占いだ。僕には自転車の才能がある? 世界を目指せだと?? 


 いろいろな事が頭を巡って眠気が飛んでいってしまった。昨日だってほとんど寝てないのに、今日はしっかり眠ろうと思ったのに。全く輪太郎のやつめ。いつもならとっくに寝る時間でも眠れず、喉が渇いたので台所に向かうと、居間に明かりがついている。


 早寝早起きな我が家では、家族がこの時間に起きてるのは珍しい。誰が起きてるのかと思うと、じいちゃんと母さんだった。そんなつもりはないけど、話が聞こえてしまう。


「結果は結果だ。手術して治る見込みがないなら仕方ない」

「だって、手術すれば少しでも長生きできるでしょう。やるべきよ」

「なあ、お前も病院とかでいろいろ見てるだろ。自分の体がどんな具合になってるかなんて、検査結果を聞かなくてももう分かる。気がついたときは遅かったってやつだ」

「おばあちゃんはどうするの? どうするのよ」

「正直に話すしかないだろ」

「私は反対よ」

「反対したって話す。逆の立場なら話してもらったほうが良い」

「そんなの自分勝手よ」


 母さんは泣き出した。どうなってるんだ。僕はその場から動けなかった。動けずにその場に立ち尽くしていると、「遅いからもう休め」と、じいちゃんが母さんに声をかけて居間から出ててきた。僕は何もできなかった。


「ムサシ、なんだ」

「いや、喉が渇いてさ」

「聞いてたか」

 聞いていたかと聞かれて、僕はどう答えれば良かったのだろう。正直に答えた。

「聞いてた。どういうこと?」

 立ち話もなんだからと、じいちゃんに居間で話を聞くことになった。

「ムサシにはまだ黙っておこうかと思ったんだがな、ムサシだってあとから知ったら、きっと怒るだろ。そうだな、今話す」


 母さんが無言で出て行った居間で、じいちゃんは僕に病院での検査結果を教えてくれた。


 肺がんだったこと。

 既に他に転移していること。

 手術をしても完治の見込みは薄いこと。

 検査結果からしたら余命半年くらいらしいこと。

 積極的に手術をしないなら最終的にはホスピスになるらしいこと。


「なあ、じいちゃんは幸せもんだ。今までの人生、辛いことも多かったがな、幸せな人生だった。そりゃ元気でもっと長生きできればもっと幸せかもしれん。でもな、長生きしたから幸せとも限らん。爺ちゃんくらい生きたら、今が幸せな人生だと思えたら、それで十分だろ」


 僕はイメージできなかった。じいちゃんがあと半年で? 信じられない。僕はガンという病気をよく知らない。不治の病なんて、現代にはそうそうないと思う。手術や効果的な薬で治るんじゃないかと思っていた。ランス・アームストロングだってガンから復活したじゃないか。しかし、じいちゃんの今の状況は、そうではないらしい。僕には信じられなかったけど、じいちゃんが自分で説明した状況は、かなり厳しいということは分かった。


「健はレースの前だろ、レースが終わったら言おうと思ったんだがな」

 レースの前か後か、僕にはどっちが良いかとかよく分からない。じいちゃんは僕は小さい頃から厳しくておっかなくて、ここ2年でようやくじいちゃんと冗談も言えるようになった。ようやくいろいろ話せるようになったと思ったのに。あと半年? どういうことだ。想像できない。


「なあ、健、真剣に好きでやりたいことがあるなら、思いっきり頑張れ。真剣に頑張る人間には、みんなが力になってくれる。自転車が好きならやってみろ。じいちゃんはな、剣道を続けられなかったことが悔しくて悔しくてたまらなかった。いい年になってからまた始めたけどな。でもな、あの時、悔しかったことは今でも忘れないんだよ」


 はあとかうんとか気の抜けた返事しかできなかった。はっきりした言葉が出てこない。この1週間はいろいろあったと思ったけど、更にダメ押しがあったとは。僕が思ったのは、なんて平凡な日常っていうのは貴重なんだなということだった。震災のあとだって日常が大切なんだと思ったけど、僕は日常の大切さを分かっていなかった。


 気持ちが潰れそうだった。ネットで『肺がん』でQ&Aを調べてみた。余命半年という状態はやっぱり厳しいらしい。期待を持てる状態ではないらしい。手術をしようにも転移していて取りきれない状態らしい。奇跡的に薬物療法が効いて『がん』が消滅することもあるらしいけど、そういう期待はあまりしない方が良いというのがネットの大多数の回答だった。


 レースなんて走っている場合かと思い始めた。

 肺がんなんて、タバコ吸ってる人がなるんじゃないの?

 なんでじいちゃんがなるんだよ。

 余命半年って、いったいどういうことだよ。


 夜中の3時。というか早朝か。眠れなくてどうしようもなくて律ちゃんにメールを打った。じいちゃんが肺がんで余命半年と宣告されたこと。心が潰れちゃいそうなこと。どうしようもなくてメールしてること。今、弱音を吐けるのは僕には律ちゃんしかいないこと。こうやって何か辛いことを伝えることができるのは、僕にとってすごく救いになること。 


 何度か躊躇したあとメールを送信した。律ちゃんは寝てるだろう。明日の朝、メールを読んで、それで負担になったら申し訳ないなと、送信したあとに勝手にうろたえた。



第66話に続く


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