第3章 2011年10月 何のために走るのか。なぜ走るのか。第56話
第56話【宮本 健】
ノートを持って部屋に戻っても輪太郎は熟睡していたので、僕はノートを見ながらパソコンを立ち上げた。ノートにはレースの開催に向けての課題が箇条書きされていて、更に詳細がいろいろと記載されていた。
「りくぜんたかたロードは、熱心な常連だった参加者が再開を熱望している」
「このところのロードバイクの人気の盛り上がりからして、再開すれば以前を超える参加者は間違いない」
「現在の市の財政状況では予算の新規の確保は望めない。市の主催というのは困難」
「NPO法人を立ち上げて主催者としていくのが現実的」
「開催費用をどうするか。市の予算が期待できない以上、財政的には厳しい。」
「以前の参加費から値上げをしないでやっていけるか」
「この不景気ではスポンサー集めも難しい」
「公道レースとして行う場合、警察との折衝を行うのはNPO法人でも問題ないか」
「ボランティアの確保と、当日の観客動員が最重要課題だ」
「ボランティアの方々には、手伝ってもらうこと以上に、イベントに参加することで満足してもらえることが大切」
「いかに参加者に満足して陸前高田市を知ってもらって帰ってもらえるか。それが次回の参加につながっていく」
「そして地元にいかに還元できるか。ボランティアやスポンサー、地域の皆さんにメリットを感じてもらうことが絶対に必要」
「今はSNSが発達している。工夫次第でPRに資金が必要はないのは最大のメリット」
「この陸前高田をPRするのには、りくぜんたかたロードレースは絶好の機会」
「遠隔地からの参加を考慮すれば宿泊客も期待できる。」
「思いを同じくするメンバーが集まれば、その力は大きい。ロードバイクが好きで陸前高田の街を好きなメンバーをどれだけ集めることができるか」
「熱心なスタッフが集まれば、絶対に再開できる」
SNSには、驚いたことに律ちゃんのお父さんのアカウントが残っていた。このノートに記載された課題は、そのままSNSの記事になっていた。当然ながら、更新は3月11日からされていない。
そこには未だにコメントが寄せられていた。地元のロードバイク仲間らしき方、以前に陸前高田ロードレースを走って、再開を楽しみにしているロードバイク乗り、職場の同僚と思われる方のコメント。
震災直後からの書き込みが続いていく。
「無事でいてください」
「生きていることを信じています」
「きっとどこかの病院にいるよね」
そういったコメントが最初の数週間、続いていた。その後、奇跡でもなければ生還はないと誰もが思い始めたのだろう。重い沈黙が続いていた。
しばらくして、地元のロードバイク仲間らしき方が、「僕らで『りくぜんたかたロードレース再開』の意思を受け継ごう』とコメントし、そこからSNSの主が行方不明なまま、律ちゃんのお父さんのSNSは「りくぜんたかたロードレース再開の要」になっていた。
お父さんが課題として挙げた項目を、ひとつずつみんながノウハウと人的ネットワークを生かして解決していこうとしていた。
僕は眼の奥がジンジンと熱くなって思わず泣けてきた。
律ちゃんのお父さんは、ほんとうに陸前高田の街が好きだったんだ。そしてロードバイクが大好きで、りくぜんたかたロードレースの再開で街起こしを考えていた。
いくら市役所職員だって言ったって、関係ない部署だったらボランティアだよな。ノートに書き留められた内容はほかにも多項目にわたって、開催に必要な内容が盛り込まれていた。僕はイベントを開催するのにこんなに苦労があるなんて知らなかった。
それを律ちゃんのお父さんたちは手弁当でやろうとしていたんだ。
7月の記事には、『今年の開催はもう難しい』『でも来年なら、きっと開催できる』『1年間、ありとあらゆる手段で再開の機運を盛り上げたい』『復興のシンボルとしてイベントとして開催できないか』との書き込みがされていた。律ちゃんのお父さんの意思は確実に受け継がれていた。
あのC50にはその思いも込められているんだ。
第57話に続く




