第3章 2011年10月 何のために走るのか。なぜ走るのか。第42話
第42話【宮本健】
トライアスロンが終わってからの輪太郎との朝練は、チャレンジレースに向けての古賀志林道の登りと、最後のゴールスプリントに向けた練習がメインになっていた。今朝も2人で追い込んで走ってクタクタだ。練習後の出し切った感覚の中で他愛もない話をしている時間が僕は好きだ。
「俺さ、誰かのためにって、本気で思って走ったことってなかったんだよ。この前のトライアスロンまで、つまり今までそんな風に思ったことってなかったんだよ。
今までさ、自分のために自分の結果のために一番になるために走ってきた訳だ。そりゃ、俺もロードレース走ってきたらさ、アシストとかチーム要素があるってことは当然分かるし、役割も果たしてきたけどな。だけどな、最後は自分のために走りたかった訳だ。アシストで終わるなんてこりごりだ。ところがびっくり。今年の夏は驚いたね」
今まで自分のためにしか走ったことが無いという輪太郎の感覚には、逆に僕にとったら新鮮な驚きだ。こいつの楽天的な自分中心な性格には毎度驚かせる。それが嫌味にならないところにもっと驚かされるんだけど。
「でもな、今回さ、律ちゃんがタスキをつないでくれて、晴美にタスキをつなごうと思った時な、えらいパワーが湧いてきたんだよ。もうモリモリと。そりゃもうモリモリとだ。途中から辛くて辛くて、でも今回は脚が壊れても構わないと思ったね」
輪太郎のらしくない言葉に僕もうなずいて、僕は言ってみた。
「自分のために走ってたら気持ちが折れたら終わりだけど。誰かのためにと思うことで、きっともっと頑張れる気がするな。誰かの役に立つというか、誰かに必要とされることがパワーの源なんじゃないの」
僕の言葉に、この頃すぐに遺伝子とかの話題を持ち出す輪太郎がひとりごとのように答える。
「確かにな、無敵に強けりゃ、ひとりでも生き残れる。それが俺の行動原理だからな。1人で無敵に強いのを目指すのは、それは変わりはないんだけどな。
でも、たぶん、それだけじゃあ大昔から現代まで生き残れなかったんだよ、俺達の大昔のご先祖様はさ。つまりさ、俺達のご先祖様はサルになる前の大昔から苦労してたんだろうな。生き残るのにさ。大昔は武器もなければ家もなくて、ちっぽけで弱くて周囲には敵が多くてさ、それが大昔では恐竜だったり猛獣だったり、ときどき大干ばつがやってきたりさ、そのうち人間同士の戦争になったりしてさ。
それで仲間で協力でもしなくちゃ、きっとひとりじゃ、生き残れなかったんだろうな。必然的に協力するしかなかったんじゃないのかな。」
ムサシは遺伝とかDNAとかの話になると止まらなくなる。今日もだ。
「誰かの役に立つとか、チームプレーでうまく行ったりした時に嬉しいと思ったり感動したりするように、自分が必要とされたときにやる気が出るように、そういう風に俺達のDNAに組み込まれちゃったんだよな、きっと。役に立つこと、必要とされることがモチベーションになるようにさ。
そして、そうじゃない奴はどっかで死ぬ確率が高かったと思うぜ。俺なんて大昔に生まれてたら、きっと独りで大きな獲物狙ってひとり占めしようと企んで、勇み足でとっくに死んじゃってる」
それは、あり得る。
「律ちゃんがさ、輪太郎を応援していて、逆に元気もらったって言ってたぞ」
「そりゃ嬉しいね。律ちゃん、可愛くなったな、恋の力か。いや、今までも可愛かったけどさ、それってちょっと遠慮気味のかわいさだったけど、あの日なんか変ったな。きっかけは、アレか。聞いたぞ、トランジションエリアでの熱い抱擁をさ」
第43話に続く




