challenging-現在進行形な僕らは 第2章 2011年9月 マロニエトライアスロン 第31話
第31話【宮本健】
「律ちゃん、しっかりして!」
福井さんが叫んだ。息継ぎが乱れてもがいている。あれだけスムーズだったのが別人のようになってる。いったい何が起こったのか。
「おい、ムサシ、どうしちゃったんだよ!」
輪太郎が聞いてくるけど、僕が分かる訳がない。思わず僕は叫んだ。
「律ちゃん!頑張れ!」
僕の声は届くか。届け。絶対に届いてくれ。何度も思い切り叫んだ。周囲が何事かと振り返ったけど、そんなこと関係ない。律ちゃん、落ち着いて。冷静になれ。大丈夫だから。
「律ちゃん、しっかりしろ!」
今度は輪太郎が叫ぶ。晴ちゃんもしっかりしてと叫ぶ。
僕らの一角だけ悲壮感のある応援だった。その応援が届いたのか。律ちゃんはなんとか落ち着いて、コースの外側で足を着いて周囲を見渡す余裕が出来たみたいだった。
良かった。ほっとした。僕らは応援しながら精いっぱい手を振った。律ちゃんが僕らを確認できたようだ。手を振り返してくれた。良かった。
大丈夫だ。ぜったいに大丈夫。スピードなら負けないから落ち着いて泳げば大丈夫だ。後は輪太郎がきっと爆走するから、律ちゃんは落ち着いて泳げば大丈夫だから。僕はそんなことを繰り返して叫んでいた気がするけど覚えていない。
その後の律ちゃんは見違えるようだった。何度か接触していたみたいだけど、慌てずスムーズに、以前より力強く泳いでいるように見えた。それでも僕らはそのあとも必死で応援した。途中で輪太郎がトランジションエリアに向かったので、福井さんと2人で応援した。福井さんが言った。
「さっき、律ちゃん、かなり慌ててどうしちゃったのかと思ったんだけど、立て直せたでしょ。あれね、きっとムサシ君の声だったから届いんたんだと思うな」
「どういうこと」
僕はいまひとつピンと来なくて聞き返した。
「普通ね、必死で泳いでいるときに応援している声なんて聞こえないと思うのよ。これだけ離れていればなおさら。でも、何か気持ちが届く時ってあると思うの。理屈じゃないのよ。ムサシ君の応援だったから律ちゃんは立て直せたと思うの」
そうなのかな。僕には分からないけど、女の子の立場からそう言ってもらえるのは嬉しかった。
1位の選手がプールサイドから上がってきた。そのまま力強くトランジションエリアに走りだして行く。少し差があいてからプールサイドから出てきたのは、何と律ちゃんだった。
すごいよ。ほんとにすごいよ。僕らはまた必死で応援した。でも、律ちゃんの足取りはかなり重そうだ。トランジションエリアまでは階段があって、その階段が曲者だ。後続の選手たちもプールから上がってきている。頑張れ。ここまで来たら頑張ってくれ。福井さんと一緒に追いかける。
律ちゃんは残りの数百mをなんとか走り切ってトランジションエリアにゴールした。最後は倒れ込んでしまったみたいだ。輪太郎がバンドを巻き替えて律ちゃんが僕らのタスキを渡すのが見えた。僕はほっとした。
リレー部門はバンドを巻き替えるだけだから、ウェットスーツを脱がないで済むので先行するソロ部門の選手よりちょっとだけ有利だ。律ちゃんが必死で泳いで稼いだタイムは無駄にならない。走りだす輪太郎とすれ違う。
輪太郎は不敵に笑って振り返ってから猛烈に加速していった。
しばらくして律ちゃんがトランジションエリアから戻ってきた。足取りはおぼつかなかったけど、涙に濡れた瞳が輝いていた。笑っていた。最高の笑顔だ。春先のパンジーみたいに満開だった。その笑顔が見たかったんだ。
第32話に続く。




