challenging-現在進行形な僕らは 第2章 2011年9月 マロニエトライアスロン 第10話
第2章 2011年9月 マロニエトライアスロン 第10話
【宮本 健】
メールした翌日の昼休みに香川さんから携帯にメールが来た。
「エントリーしたいです。私達も本番に向けてランとスイムの練習するからね」
それだけのたった1行のシンプルなメール。そのシンプルなメールを読んだ瞬間、僕はほんとうに天にも昇ってしまうくらいの有頂天具合だった。地に足が着かない。
ほんとうに人生バラ色だ。たった1行のメールで世界が変わった。
世界はすばらしいとか、大げさじゃなくてそう思える。授業の内容なんて全く頭に入らない。輪太郎にも連絡のメールをしておいた。さっそく明日の朝練で輪太郎と作戦会議だ。
いつも通り、僕らは森林公園前のセブンイレブンに早朝の5時30分に集合した。
「ああ」とか、「おお」とか、2人でやる気のなさそうな挨拶を交わすけど、今朝はそれははやる気持ちの裏返しなのはお互い分かっている。輪太郎でさえ、顔がニヤけている。
「ムサシ、よくやった。エライ。ナイスなアシストだ」
別にアシストしたつもりはないんだけどな。僕がアタックを決めたいんだけど。上から目線なのは輪太郎のいつものことだけど、きっかけは輪太郎のファーストアタックから始まった訳だから、感謝しなくてはならないのは僕も同じだ。ここから共同戦線だ。
「リレー部門のトライアスロンとしてはな、イイ線行くんじゃないかな。リレー部門なら優勝狙えるんじゃないの」
輪太郎が言うと、ほんとに優勝できそうな気がするけど、そんな簡単なものなのかな。
その日から平日の朝練は、輪太郎のバイクパートを想定して、平地での折り返しの多いコースでの減速や加速でのもがき合いや、直線でのスピード維持のトレーニングが中心になった。距離は30kmくらいといつもより短め。コース的には郊外の田んぼの中の田舎道で車が来なそうな区間で直線とカーブを混ぜてカクカクと走る感じ。今までの古賀志林道メインのトレーニングとはまた違う。
初心者対象のレースだというのに輪太郎は気合が入っている。公式のレースはすでに終わってしまっている輪太郎だけど、このタイムトライアル風の練習にはえらい熱の入りようだった。僕はゴールで張り合うどころか、途中のコーナーでの立ち上がりでついていくのでさえやっとだ。それにしても、輪太郎は強い。インターハイで優勝するということはこういうことなのか。
コーナーでの減速を最小限に抑えてギリギリのラインで抜けた後、あっという間に加速していく。後ろについていくと、スムーズに輪太郎がコーナーを抜けていくので自分も同じようにコーナーに入ろうとするけど、同じように減速して加速して同じラインを走ってるはずなのにコーナーでは膨らみそうになるし、加速ではおいていかれそうになる。
後ろについているのに着いていくだけで必死だ。コーナーリングって、自転車でもこれほどテクニックで差がつくものなのか? あの加速はなんなんだ。改めて輪太郎は怪物かと思った。
走り終わって、早朝だけどすでに30度近い気温の中で汗ダクダクになりながら、セブンイレブンでガリガリ君を食べながら休憩する。走った後のガリガリ君は最高にうまいし、走り終わってスカっとしてるんだけど、気分的に凹むこともある。
「俺、練習台にもならないんじゃないの」
自嘲気味に言ってみる。
「あのな、うぬぼれるなよ、言っとくけど、俺、日本で一番速い高校生だぜ」
ちょっと輪太郎がムッとして言った。その意図が最初は分からなかった。
「本気で勝負に持ち込まれたら、ムサシは日本で2番目に速いってことになるぞ。ムサシくらいの経験値で日本で2番目に強くなられたら、ここまで青春をささげて努力してきた俺が凹むだろ。
まあ、1人で走るよりは張り合いになるから安心しな。それにな、ムサシもまだまだだけど、オレにここまで着いてきてるだけでも十分速いから安心しろって。当日はバイクパート走るの俺だし、当日は応援とか2人のマネージャーに専念してくれ」
相変わらず慰めてるのかけなされてるのか分からない言い方だけど、確かに輪太郎を基準に考えちゃいかんな。ただ、青春をささげていたというのはどうなんだと思う。輪太郎は僕が知ってるだけでも練習の合間に女の子とは十分青春していたじゃないかと、突っ込みたくなるけど、ただのひがみに聞こえそうだからやめておいた。
それとは別に、昨日から考えていたことを輪太郎に伝えた。
「あのさ、まだ井頭公園のプールやってるだろ。今週末、コースの下見に行かないか。もちろん2人も誘ってさ」
「おおお、良いこと考えるね。マネージャーとして合格。ナイス。ムサシも香川さんのおかげで、そっちの方もやる気になったか。4人でプールか。最高だな」
「違うって。そっちってどっちだよ。コースや公園のプールの下見だよ。福井さんも香川さんもどんなコースかとかプールの具合とか分からないだろ。ぶっつけ本番て言うのは難しいだろ」
「何言ってんだよ。言い訳が見え透いてるから。コースの下見よりもさ、香川さんにサンドイッチ作ってもらってきたり、そりゃプールだからもちろんビキニかなとか想像したりする方が楽しみなくせによく言うねえ」
その通りだけどさ。まだ誘うつもりなだけで2人の都合も分からないし。それでも僕たち2人は勝手に今週末に向かって盛り上がって朝練を終えた。帰り際に輪太郎が言った。
「今度は、俺が誘うから。任せとけ。それにな、ちゃんと香川さんにサンドイッチ作ってもらえるように言っとくから」
そして、僕らは4人で一緒に週末に真岡の井頭公園で試走というか会場の下見をすることになった。輪太郎の言うとおり、それは口実でしかない。香川さんにまた会える。しかもプールだよ。そのことが僕のモチベーションを刺激した。僕も練習頑張ろう。僕はオマケみたいな立場だけど、エネルギーがモリモリと湧きだしてくる感じだ。
それ以来、お互いの練習報告みたいに4人でのやり取りが始まった。福井さんも香川さんも、「本気で走る(泳ぐ)のは久し振り。そのためのトレーニングも久し振り」と言っていた。それでも2人はなんだか楽しそうで、こちらも楽しみになる。そのうち4人のやりとりならfacebookでの書き込みがメインに
なった。それに加えて相変わらず香川さんとのパソコンでのメールでのやりとりもあって、それも僕のモチベーションを刺激してくれる。
僕はと言えば、平日は輪太郎と走って、休日の朝はいつも通り5時30分からオジサン達と走っている。この前、オジサン達に、「ムサシはこの頃ますます強くなってるな」とほめられた。「恋のチカラか?」と聞かれたので、素直に「そうです」と答えておいた。
オジサン達は、
「恋のチカラは偉大だなあ」とか
「だったらオレ達も恋すれば強くなれるかな」とか、
「それは恋とは言わずに不倫だろう」とか、
「不倫って、そう簡単に出来るもんじゃねえぞ」とか
「不倫したいっていってもさ、俺達みたいなヒマなし金なし中年のオッサンの相手してくれるお姉ちゃんなんていないって」とか、
好き勝手なことを言っていた。そういうオジサン達と朝練で走るのも楽しいんだ。
でも、今は週末に香川さんが会えることが楽しみで仕方ない。
第11話に続く