challenging-現在進行形な僕らは 第1章 2011年8月 海と出会いと悲しみと 第1話
第1章 2011年8月 海と出会いと悲しみと
第1話
想像もしていない出会いで僕らの日常は変わっていく。
リアルな日常で限界に挑戦していく僕らは、現在進行形。
【宮本 健】
今朝は輪太郎と往復200km弱の海へのツーリングなので気楽だ。普通なら自転車で200km走ると言ったら気楽じゃないかもしれない。だけど、いつもの5時30分からのオジサン達と一緒に走る朝練に比べたら、ずっと気楽に走れる。
気楽に走れる。はずだった。
僕らは朝5時に宇都宮をスタートした。宇都宮市郊外を抜け、その先の田園地帯を抜けて栃木と茨城の県境の八溝山地に差し掛かっていた。40kmを1時間30分かからないで走ってきた。走りにくい市街地を抜け、ここまで登り基調なことを考えると、まあまあのペースだ。片道100km弱なので常陸太田の海岸までは休憩を入れても4時間かかならないだろう。9時前には着くと思う。
八溝山地は何度か練習で走ったことがある。この辺りの風景はいかにも日本の里山みたいな感じで僕は好きだ。ただ、懐かしさを感じる風景の中で、震災の影響で瓦が落ちた民家にかかっているブルーシートに違和感があったりする。
3月11日の東日本大震災からは、まだ半年も経っていない。まだ震災はあちこちに影響してるんだなあと改めて思う。マスコミの情報が減ったり停電騒ぎが一段落したりしただけで、被害は被害としていまだ大きいよなあと改めて思い知らされる。そんなことも真面目に考えたりしながら走る。今日のルートは輪太郎が選んだルートだ。交通量も少なくて適度の登りが入った田舎道で走りやすい。考えてなさそうで輪太郎は考えてる。
「何でいまさら海なんだよ」
めったに車とすれ違わない八溝の山里の登り道に入って、並走しながら輪太郎に聞いた。
「プレッシャーから解放されたわけよ。しばらくオフね。オフ。たまには休ませろ。インターハイで連覇するのってさ、いくら俺が凄くても大変なわけ。しかも今年は2種目制覇だぞ。自分ひとりの問題じゃなくて学校とかさ将来とかさ、いろいろかかってくるだろ。ポイントレースで2年の時に勝って今年はマークされてても連覇しちゃう俺がすごいんだけどさ。しかも、厳しいと思ってたロードレースも優勝したし。今日はオフだよ。海だよ。女の子だよ」
オフだとかツーリングだとか言う割には、輪太郎のペースは宇都宮から結構なペースだ。登りに入って普通に会話できるギリギリまでペースが上がる。このペースで往復200km走るっていうのは、世間一般的には全くオフじゃない距離と内容だと思う。
「だったら彼女と遊んでいりゃいいだろ? 夏休みだろ。男2人で自転車乗らなくてもさ」
なんだかんだと女の子に不自由してない輪太郎に、海へのツーリングと言う名のトレーニグに付き合わされている気がして、ちょっと邪険になって言ってみる。
「ああ、この前の子か。インターハイ前にフラれたよ。かわいい子だったけどな、いつものパターンさ。自転車と私とどっちが大事なの?だってさ。そんなの自転車に決まってるじゃん。今付き合える可能性のある女の子ってさ、可能性で言えば日本中にたくさんいるけどさ、今、俺が自転車に乗ることって、今しかできないだろ。他に選択肢はない」
輪太郎の言っている理屈が正しいのかは分からないけど、そもそも、そういう選択を迫る女の子と付き合っては別れる輪太郎の選択が間違っている。
口ではふざけたことを言ってるけど、インターハイで連覇して、今年は2種目で勝っちゃうくらいだから輪太郎は強い。その意味で日本一の高校生だから強いのは当たり前。だけど僕だって昔よりは速くなったと思う。ロードバイクに乗り始めて今年で3年。輪太郎と一緒に走るようになって1年が経つ。
「あのコーナーの先、直線になっていて、切り通しが峠の頂上だ」
輪太郎がそう言ったということは、峠で勝負ということだ。輪太郎がコーナーを加速して曲がっていくのに食らいついていくと峠の頂上が100mくらい先に見えた。輪太郎が更に加速した。重力と空気抵抗に逆らって登りで加速していくのだから脚も心臓も肺もきつい。ちょっとでも気を抜いたら離される。離される訳にはいかない。脚が悲鳴を上げる。まだだ。まだ行けるはずだ。ラスト50mで勝負だ。
ラスト50m。ここからだ。サドルから腰を上げてダンシングに切り替える。目いっぱい踏み込み輪太郎を抜いた。まだだ。まだだ。あと10m。今日は最後まで粘れるか? そう思った瞬間、輪太郎にかわされた。やっぱり輪太郎は強い。ゴールまでのラスト10m、あとちょっとと思うけど、輪太郎と走っていると、その10mという距離が遥か彼方に思えてくる。
「相変わらずフォームめちゃくちゃ。ムサシはダンシングで自転車振り過ぎなんだよ。それに頂上でゴールだと思ったら負けるぞ。登り切るまで踏み込んでその先まで加速していくつもりじゃないと。登りに強いヤツって登りは頑張るけど、登り切ったところでスピード落ちるんだよ」
必死で走った後に、冷静に指摘されて凹む。
「おい。輪太郎。今日はツーリングじゃなかったのかよ」
息が上がったまま、また輪太郎に敵わなかった悔しさをごまかすように非難してみる。最近、ちょっとは良い勝負が出来るようになったから、なおさら負けて悔しい。でも負けても気持ち良い。他に何も考えず全力を無心になって出し切るのは気持ち良い。スカっとする。もやもやした何かがあっても、その瞬間は忘れられる。確かに、これは女の子とデートしてるより楽しいかもと思ってしまう自分は輪太郎と一緒か。
県境を過ぎると下り基調になり、しばらく田園地帯と郊外の幹線道路をつないで、2人でローテーションしながら走っていく。下り基調なこともあって時速40kmは軽く超える。時には50km以上になるペースだ。相変わらず輪太郎の引きは強い。平地で後ろについてドラフティングしているだけでも離されそうになる。
先頭交代をして先頭に出ると一気に空気が壁のように立ちはだかる。
「この空気抵抗の中で、あのスピードを維持してるのか」
改めて輪太郎の強さを思い知らされる。下りとか平地だから楽な訳ではなく、輪太郎に食らいついていくのはそもそも大変なのだ。
港近くになり道路の交通量も増えて、ようやく輪太郎のペースが落ちついてきた。風景を見て風を感じる余裕もでてきた。今日は思ったよりもカラっとしていて気持ち良い。
海の家が出ている海岸に着いて一息ついた。気持ち良いのとは別に、道中の「ハードな引き回しの刑」で純粋にバテ気味な僕は輪太郎に言った。
「もう海で遊ぶ気力はない。電池切れ」
僕の非難めいた訴えを聞いているのか聞いていないのか、輪太郎は海岸の砂浜近くの駐車場のフェンスに立てかけた2台のバイクをロックして海の家に向かって歩き出し、振り返りながら言った。
「汗でビショビショだ。着替えてかき氷食って、一休みしようぜ」
「かき氷ねえ。それも良いか」
汗をたっぷりかいてバテ気味の僕には、海辺で食べるかき氷は、それはそれは魅力的に思えた。今日の海はほんと夏らしさ全開だ。こうして海と青空と白い雲を見ていると疲労感を忘れてしまいそうだ。
絵本に出てきそうな風景だ。真っ青な空に白い雲と海と砂浜。
しかし、原発事故の影響なのか、8月上旬の週末だと言うのに人出が少ない。まだ9時前だからか。実は僕は今の今まで海水浴で夏に海に遊びに来た記憶がない。おおげさに言うと人生初の海水浴だ。想像するに、今の時期だとニュースとか観るとじゃんじゃん海水浴客がいる光景な気がするんだけどな。あれって有名な湘南海岸とか三浦海岸だけの話なの?
それは、さておき。まずは着替えないと。背負ってきたデイバックから海パンとタオルを取り出して着替えてからウェアとレーパンを水場で水洗いして干しておく。この時期にロードバイクに乗っていると嘘みたいに汗をかく。その汗をたっぷり吸いこんでジャージは塩を噴いている。今日の日差しなら洗ったジャージもレーパンもあっという間に乾くだろう。濡れたレーパンを履くのって、どうにも不快なんだ。
海の家のお姉さんがサービスしてくれて、かき氷のイチゴミルクの練乳がたっぷり目だったのに機嫌を良くして、僕は輪太郎が先にかき氷を食べているテーブルに向かう。
「早く食え。行くぞ」
僕がテーブルに着くなり、先にかき氷を食べ始めていた輪太郎が言いだした。
「あのね、食べるも何も、いま来たばかりだろ、輪太郎もまだ食べ終わってないだろ、ちゃんと食え。さんざん人を引き回してそれはないだろ。ちょっと休ませろ。イチゴミルク好きなんだよ」
「休んでいる場合じゃない。イチゴミルクなんてほっとけ。アタックだ」
そう断言し、輪太郎の向けた視線の先を見ると、2人がいた。僕たちより年上かな。大学生かな。
「いいか。アタックするぞ。先手必勝だ。2人で来てるみたい。どっちもかわいい。レベル高いぞ。ムサシもアシストしろよ。いや、ムサシがアタックしても良いけど、アタックするならセミロングで髪を縛っている子の方でヨロシク。俺、ショートカットの子の方が好みだから。好みと言うか、ストライクど真ん中だから。まだ人出は少ないけど、この先、ありゃ競争率高いぞ。今しかない」
勝手に輪太郎は宣言する。まだ午前9時。人出は少ないけど、駐車場の様子からは、これからもうちょっと人出も増えてきそうな気配だ。輪太郎がかき氷を食いかけにして海の家を出ていこうとする。
「は? 何それ、いわゆるナンパってヤツ?」
「ナンパでもコンパでもカンパでもなんでもいいんだよ。アタックだよ。いったい海に何しに来たんだよ」
そもそもナンパしに来るとは聞いてない。
「おいおい。今日のことだったらさ、海にツーリング行こう。一応海パン持っていこう。としか、言ってないだろう?」
僕は大勢でハシャぐのは大好きだけど、ナンパとかで初対面の女の子に声をかけるというシチュエーションには全く慣れていない。からっきし慣れていない僕をアシストにしようとしたって、そりゃ無理ってもんだ。アシストするにも経験が必要なくらい分かるだろと輪太郎の背中に言ってやりたかった。普段の僕なら輪太郎を見送ってイチゴミルクのかき氷を食べていたに違いない。
だけど、夏の空が僕の背中を押した。茨城の海になんだかリゾートっぽい風が吹いた気がした。僕はロードレースでエースがアタックするのに追走のタイミングが出遅れたアシストみたいについて行く。自分をそう例えて、つい1人で苦笑していた。思考回路が全てロードレースになってるよ。こんなんじゃ、女の子との話題に困るな。何を話せば良いのか分かんないよ。まあいいや。輪太郎に任せておけ。
2人はレジャーで海にきたという雰囲気とはちょっと違っていた。それは海の家から遠目に見ていても分かった。2人の水着は可愛くデザインされたプールサイドとか浜辺ではしゃぐ用途の水着じゃない。もっとフィットネスに向いた感じだ。
2人がビーチバレーっぽく遊んでいるのを見ていて、僕も確信した。動きが違う。ありゃアスリートだ。2人ともしなやかな動き方をしている。砂浜であんなにしなやかに動けるのはすごい。すごく魅力的。輪太郎が休んでいる場合じゃないというのはそういうことか。それが僕にとってはなおさら手ごわさを感じるんだけど、輪太郎にはそんなの関係ないのか。
第2話につづく




