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君の微笑と僕の戸惑い  作者: 英雄
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8

 

 夏休み明けの教室は騒がしい。

 クラスメートたちは皆それぞれに久しぶりに会った級友と夏の出来事を語り合っていた。

 そんな中で一人だけ、自席に頬杖をついてぼんやりと座る人物がいた。


「おい、どうしたんだよ元気ないな?」


 声をかけられて顔を上げれば、隣の席の矢島が立っていた。

 肩にカバンをかけたままのところを見ると、今来たところなのだろう。


「いや別に……大丈夫だ」


「なんだよため息までついて、大丈夫そうに見えないけどな。そういえば今日は一緒じゃないのか?」


 頭を振る様子に訝しんで矢島は、いつもなら明斗のそばにいる人物のことを尋ねる。

 名前を出さなくても誰なのかはわかっていた。

 華奢な身体つきと男子校には不釣合いな、まるで女の子のような同級生の顔が思い浮かぶ。

 矢島の言葉に明斗は目を逸らした。その表情もいつもとは違っている。

 二人の視線が交錯し、明斗はその精悍な顔を歪めて呟いた。


「あいつ、転校したんだよ」



・・・・・・・・・・・



 まどろみから逃れて開いた目に最初に入ってきたのは、見覚えのない白い壁と、寒色系の蛍光灯が釣り下がった天井だった。

 何か夢を見ていたような気もするが、その内容は目覚めとともに薄もやが散るように消えていった。

 まだはっきりしない頭を巡らせると、すぐにここが病院だと気づく。

 気を失う前のことを思い出そうとして、自分の足を真っ赤な血がつたい落ちていった光景。そして狼狽した母の姿が脳裏をよぎった。

 上体を起こしてみれば、やはりそこは自宅の部屋ではない。

 ベッドの横に収納つきサイドテーブルがあり、その上には唯人の携帯電話が置いてあった。

 部屋は10畳くらいの広さがあり、カーテンが閉められた窓と出入り口のドアの他には洗面台があるだけだった。

 そのまましばらくぼんやりしていると、ドアが開いて母の美琴が入ってきた。


「ああユイちゃん、気がついたのね」


「うん……ここは?」


「堂島病院よ、近いところで助かったわ」


 美琴は持っていた荷物をサイドテーブルに置くと、その中からペットボトルを取り出した。

 飲むでしょと言われて頷く。

 だが手渡された麦茶のキャップを唯人は開けることが出来なかった。


「あれ、ちょ……力が入らない」


「あ、ごめんごめん。開けてあげるね」


 震えた指先に悶える唯人からボトルを取り上げるとすぐに蓋を開けて、呆然と自分の手を眺めていた唯人に差し出す。


「どうしちゃったんだろ……」


 俯いた我が子の呟きに小さく息をついて美琴は、ペットボトルを持つ唯人の両手を、自らの両手で覆った。

 母のひんやりとした指先の温度を感じて唯人の肩は一瞬ビクリと揺れた。

 恐る恐る顔を上げると、優しく微笑む母親の顔があった。


「大丈夫、貧血で倒れただけよ。手に力が入らないのもそのせいだから」


「貧血?」


 きょとんとする唯人に美琴は頷く。


「そう……初めてで量も多かったし、精神的なショックもあったから気を失っちゃたのね」


「ふ、ふうん……?」


 母の言葉に唯人は釈然としないまま相槌をうつ。初めて?量が多い?何のことを言っているのかと頭上にクエスチョンが浮かぶ。

 もちろんそんな反応は予想済みだったのだろう、美琴はいったん区切って様子をうかがう。


「え……っと、それってどういう意味?」


 ストレートな問いかけに美琴は笑みを深くする。


「唯人、あなたは女の子だったのよ」


「……え?」


 普段あまり冗談を言わない母の口から、するりとこぼれた言葉はしかし、冗談にしては質が悪い。

 そしていつの間にか笑みを消し、真剣なまなざしを向けてくる母親の顔に息を呑む。


「それってどうい……」


「ごめんっ!」


 尋ねようとした言葉を遮るように突然、美琴が唯人を抱きしめた。

 驚いた唯人が身じろぎも出来ずにいると、傍らから小さな嗚咽が聞こえてくる。


「ごめんね唯人……ちゃんとした身体に産んであげられなくて」


 母はそう言うと黙った。

 静まり返った病室に、美琴が鼻をすすり上げる音だけが時々響いていた。

 思いのほか強い力が背中に回されていて、密着する身体に感じる母のぬくもりは温かかった。

 鼻先にかかった母親の髪の香りをなつかしく思いながら、唯人は先ほどの言葉を反芻する。

 ……おれが女の子?男じゃない?でもちゃんと付いてるのに……?

 考えてみてもきちんとした答えには辿りつかない。なにより母の言葉は断片的で、説明としては不十分だった。


「……えっと、母さん?」


「ぐすっ……ごめんね……」


 しばらくして声をかけると落ち着いたのか、美琴は唯人の身体を離した。

 涙を拭う様子は少女のようで、母親ながら可愛いと思ってしまう。


「その……おれが女の子って、どういうことなの?そりゃまぁ女っぽいとは言われてたけど、ちゃんと男だったんじゃないの?」


「そ、そうね……ちゃんと説明しないとね、うっかりしちゃったわ」


 恥ずかしそうに笑って美琴は、細かい説明をするのに医者と父親も呼んでくると言い、部屋から出て行った。



 しばらくして病室に初老の医師と看護師、そして両親が入ってきた。

 医師はこの病院の院長で、この堂島病院をかかりつけにしている唯人は、何度か姿を見かけたことがあった。


「やあ、唯人くんはじめまして。私がこの病院の院長の堂島です、気分はどうだい?」


 白いものが混じる顎髭を片手でさすりながら、堂島は見た目よりもずっとフランクに話しかけてきた。


「あ、だ……大丈夫です」


 野性味のある笑顔を向けられてしどろもどろになりながら唯人が応えると、看護師が人数分の椅子を部屋に運び入れて全員が座った。


「さて唯人くん、きみの身体のことはお母さんに聞いたね?」


 真正面に腰を下ろした堂島が単刀直入に問いかけた。


「……はい、でもどういうことだか……」


 戸惑いを素直に口にすると髭面の院長は小さく頷いて、看護師からカルテを受け取る。


「驚くのも無理はないよね。戸籍上は男性だし、これまでも男の子として育てられたんだから」


 ぺらぺらとめくりながら堂島は、でもねと言葉を区切る。


「ごく稀に、男性でありながら女性の形質をもって生まれたり、その逆で女性なのに男性のような身体で生まれたりすることがあるんだ。君の場合は後者だね」


 淡々と、それでいて色を喪わない声は唯人の胸にするりと入ってきた。


「そしてもしかしたら君は、自分の身体についての違和感を感じてはいなかったかい?」


 ハッとして顔を上げると目が合った。眼光は強いが、不快ではない。むしろ温かみのある目だと思った。


「え、ええ……まぁ」


 唯人は両親にちらりと視線を向けてから小さく頷いた。

 中学に入ったあたりからほとんど伸びなくなった身長や、どれだけ走り込んでも伸び悩んだタイムと、何よりも決定的なことは昨日の女装だろう。

 いわゆるオカマや男の娘と呼ばれる人種を目にしたことはないが、そこには恐らく何らかの違和感が見出されるのではないか。

 それが美鈴曰く「全く違和感ないよね」となれば、いくら自分を男だと思っていても疑問は出るだろう。

 ボソリと言った応えに堂島は、そうだろうねと笑った。


「さて、ではここからが本題だけど」


 堂島は笑みを浮かべたまま、しかし真っすぐに唯人の目を見据えた。


「君の身体はほぼ95パーセント程度女性と言っていい。今回気を失う原因になった出血は初経で間違いないよ」


「きゅ、きゅうじゅうご……」


「フム、何とも微妙な数値だと思うだろう?でもその理由は……わかるよね?」


 唯人は黙って頷く。

 堂島が言っているのは唯人の身体にある『男の子』の部分についてだと察する。

 しかし、ではなぜ『ソレ』が付いているのか。

 疑問が顔に出ていたのだろう、堂島はそのことについて、ごく稀に出生の過程でホルモンのバランス等によって身体の器官が本来とは異なる形成過程をたどることがあるのだと話した。

 それは例えばある指だけが異様に大きかったり、口蓋が裂け割れた状態であったりということもあるのだと。

 唯人は手だけが大きい、どこかのキャラクターのような姿を想像して身震いする。

 そう思えば自分はまだ運が良かったのか、なんて考えていやいや、そもそも女だったのに男として生きてきたのだから運が悪いのか……そんなとりとめのない思考に浸っていると、堂島がひとつ咳払いをした。


「オホン……それでこれからの事をご両親とよく話し合って考えてほしいんだ」


「これからのこと……ですか?」


「そう、君の身体はさっきも言ったとおりほぼ女性で間違いはない。でも君はこれまでの十五、六年を男性として育てられ生きてきたわけだよね」


 医師の言葉に唯人はコクリと頷く。


「そうなると、これからの性自認……つまり男性として生きていくのか、あるいは女性としての人生を送るのかを決める必要があるんだよ。月経があることから子宮の機能に問題はないようだし、このままならおそらく君の身体はどんどん女性的になっていくだろうね、その過程で完全な女性の姿になることは可能だ」


 唯人は両親のほうにちらりと視線を送った。

 父親の琢磨と目が合って、また正面に向き直る。


「またそれとは逆に、男性として生きる道を選ぶとする。そうなるとたぶん、ホルモン療法などを受けながら生活をしていくことになるだろうね。

 ちなみにこの場合は当然、子どもを作ることは出来ないし結婚も……まぁこれは今の世の中では何とも言えないか」


 後半はひとりごとのように言って堂島はカルテを看護師に返した。


「とにかく今日、明日でとは言わないけれど、自分がどうしたいのかを考えて欲しい。そのためにこちらも出来るだけのことはしてあげるよ」


「あ、あの……聞いてもいいですか?」


「なんだい?」


 ニッコリと笑う堂島に唯人は頭に浮かんだ疑問を投げかける。


「さっき男として生きるとしたら子どもは出来ないって、それだとお……女性としてなら可能ってことなんですか?」


「そうだね、先ほど話したとおり子宮に問題はないみたいだから妊娠は出来るだろうね。多少の外科的な処置が必要だろうし、仮にそうしたとしても絶対に大丈夫とは言えないが、可能性は高い……」


「あのう、私からも伺っていいですか?」


 そこで唯人の父がはじめて口を開いた。


「息子いや娘か……の身体についてのことはわかりましたが、お医者さんとしては今後どちらの方向でいくのが良いと考えますか?

 もちろん本人の意思は大切だと思います。ただ話し合うにしろ考えるにしろ、専門家としての意見を聞かせていただきたい」


 父の言葉に医師は鷹揚に頷く。


「そうですね、もちろん本人の意思が重要という前提でお話ししましょう。

 医学的な立場から言えばお子さんの身体は女性であり、これから第二次性徴を迎える段階にあります。 本格的な検査をしなければはっきりとしたことはわかりませんが、こうして見る限り骨格を含めた体型もほぼ思春期の女性と言って差し支えない……とすればあとは手術によって残りの5パーセントを作ってあげる。

 あとは普通の女子と何ら変わらない成長が期待できるでしょうね」


「……」


「もちろんこれは肉体的にベストと思う選択肢です。ただここには先ほどもお話したとおり精神的な条件も加味しなければいけません。

 肉体を作り変えたとしても性自認と異なってしまえばそれは本人にとって正常とは言えませんから、いわゆる性同一障害のようになって苦しむことになりかねません。

 だから少し時間をかけても良く考えて選ぶことをお勧めするわけです」


「なるほど……よくわかりました」


 琢磨は小さく何度か頷くと、何かを考えるかのように黙った。

 それから数秒の沈黙を経て医師は立ち上がると、また質問があれば看護師に伝えるようにと言い残して部屋から出て行った。

 看護師の説明によれば唯人は貧血で倒れた「だけ」の状態であり、意識さえ戻ればいつでも帰宅して良いということだった。

 今後のことも家族で相談して一週間後に外来に受診するということになり、三人は病院を後にしたのである。




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