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夏休みもあと数日で終わるという日に、明斗は駅前の広場にいた。
まだ午前10時を少しまわった時刻だが、日差しを遮るものがない状態では、長時間その場にいられないような気温になっている。
広場の中央には大量の水を噴き上げる噴水があり、いっそその中に飛び込みたいと思いつつスマートフォンの画面を見る。
そこには久しぶりに会う親友が、間もなく到着するというメッセージがつつましやかにしたためられていた。
夏休みに入ってから今日まで、明斗は唯人と一度も会っていない。
それは陸上部の練習が多く忙しかったことが大きな理由だったが、そのことを言い訳にしてファンタジーランドでの気まずい一件から、顔を合わせづらくなっていたのが本当のところだった。
とはいえ当初の話に、唯人が欲しがっていたランニングシューズを進呈するというものがあって、その約束を未だ果たしていなかった明斗は散々思い巡らせた挙句に、ようやく行動を起こしたのだった。
会っていない間もメールのやりとりはしていたが、唯人の方からも特に会うことを望む声がなかった。 それもあって、ずるずると一か月あまりを過ごしていたことになる。
今日の約束ですら当初は渋るそぶりが文面から感じられて、自分のことは棚に上げつつわずかな引っ掛かりを感じていた。
唯人曰く明斗の「彼女」として一日を過ごすという依頼は、途中で正体を知られてしまった以上は完遂したとは言えない。
またランドへの入場料や食事代などすべて明斗もちだったことで、依頼の報酬としては十分だということを、相変わらず子どものような声でボソボソと語った。
それでも明斗が、唯人が健から強い調子でなじられたり、体調不良をおして付き合ってくれたことなどの礼をしたいのだと伝えると、やはり渋々といった調子で頷いたのである。
「や、やぁ……待った?」
昨晩の電話でのやりとりをぼんやり思い返していると、不意に背後から声がかかった。
「おう、久しぶ……り」
振り向いて見るとそこには、いつものように自分を見上げる親友の姿があったのだが、明斗は返事の途中で言葉を失う。
「ど、どうした?」
挙動不審な明斗の様子に、唯人は思わずあとずさる。
「い、いや……その」
明斗は唾をごくりと飲み込んで言う。
「おまえさ、ちょっと太った?」
次の瞬間、明斗の右足のすねに激しい痛みがはしったのだった。
・・・・・・・・・・
「な、なぁ……悪かったよ」
傍らを歩きながら、そっぽを向いたままの親友に明斗はここまでの通算で七回目の侘びを入れる。
「久しぶりに会って言うことがひどすぎるし……そんなだから彼女が出来ないんだよ」
頬をふくらませてそう非難するが実はもう、そんなに怒っていないことが明斗にはわかっていた。
グレー地にネイビーとライムイエローのロゴが入ったTシャツに丈を折り上げたジーンズ、そしてクリームとライトブルーのボーダー柄のパーカーを羽織った唯人は、夏休み前と比べて少し伸びた髪も相まって「女の子っぽい少年」というよりは「ボーイッシュな格好をした少女」に見えた。
それは先ほど思わず口にしたように、前に会ったときより少しだけ全体的に丸みを帯びた身体つきがそう感じさせる。
それはそうだ、と明斗は思う。
中学時代に明斗と唯人は同じ陸上部に所属していたが、高校で唯人は部活動には入らなかった。
まだ早朝のトレーニングは続けている。とは本人の談だが、運動量が減ったことで元々細すぎるくらい華奢だった身体はわずかに肉付きが良くなってきていた。
とは言ってもいまだに痩せぎすなことに大きな変わりはなく、低い身長もあってとても高校生には見えない。
ちなみに明斗は短距離と走り高跳びのエースで、唯人は長距離の補欠メンバーだった。
天才肌の明斗に対して唯人はコツコツと走りこむ努力型で対照的な二人ではあったが、初めて会ったときから妙に馬が合った。
明斗が初見で唯人を女子と間違えたのは、まぁお約束である。
とりあえず二人は駅前にあるスポーツ用品店に入った。
店の中には制服姿の高校生グループや、父親に連れられて来ている小学生などが思い思いのウエアやシューズを見て回っていた。
二人もさっそくランニングシューズの売り場に向かうと、目についたものを手に取り合ってみる。
「これはどうだ?」
明斗は中学時代に唯人が好んで履いていたメーカーのシューズを、棚から取ってみせる。
「うん……そうだね、でも高いよ」
「何言ってるんだよ、値段より足に合っているか気に入ったかで選ばないと後悔するぞ」
「そうだけどさ……」
躊躇無くトップモデルを持ってくる明斗に唯人はためらいがちに頷く。
そんな俯きがちな唯人の背中を明斗はバンバンと叩いた。
「大丈夫だって!この夏は親父の病院でけっこうバイトもしたし、この店のポイントもけっこう貯まってるから」
明斗の父親は医師で、総合病院に勤務していた。
病院では休診日に廊下などの清掃業務が定期的にあり、そのアルバイトに明斗はときどき顔を出していた。
もともとは人手不足の時期に父から言われて出たのがきっかけだった。
肉体労働だが日給で割のいい仕事のため、明斗はけっこう気に入っている。
「いたいっ!わ、わかったよ……ちゃんと選ぶよ」
明斗の大きな手で叩かれた唯人は前につんのめりそうになる。かなり痛かったのだろう、目じりには涙まで浮かべていた。
「お、おうスマン、強すぎたか」
「バカ力なんだから少しは加減しろよ」
「あ、ああ……」
その後も明斗がいくつか候補を唯人に差し出して見せたが、気に入るかどうかよりも大きな問題がそこに生じた。
「ところでさ、お前足のサイズいくつ?」
「に……にじゅうに」
「……小学生か?」
「うるさいな……どうせ今までキッズサイズだよ」
「うそ?」
「嘘ついてもしょうがないだろ」
「……まぁ確かに」
真顔で呟いた明斗に唯人が噛みついていると、そこへ店員がやってきた。
「気になるものがあれば履いてみてね」
大学生くらいだろうか。背はさほど高くないが、がっちりとした体つきと日焼けした顔の青年は気さくな口調で二人に話しかける。
「ええ……じゃあこれとこれで22センチはありますか?」
店員の言葉に明斗は両手にそれぞれ持った2足のシューズを掲げて見せる。
「えっと、ああ……それなら色違いであるかな」
すぐに思いついたという感じで棚の奥から箱を取り出した。
「カノジョにプレゼントかい?いいなぁ」
そしてそんなことを言いながら開けた蓋にはピンクでレディースと書かれている。
「か、カノジョ……」
「れ、レディース……」
人懐っこそうな店員は二人が身じろぎするのも気にせず、唯人に試着用の椅子に座るようにと手招きした。
明斗にも促され、唯人はおずおずと腰を下ろして履いてきたスニーカーを脱ぐ。
「一応サイズをちゃんと確認してみようか?」
どこから持ってきたのか、表面に足型のサイズ表記がある道具を足の下に置いた。
「えっ……たしかに22センチだね、足の幅が細いからメーカーによっては0.5小さくてもいいかもしれない」
「そ、そうですか」
不意につま先をつかまれて一瞬、腰を浮かしかけるがサイズの確認をしているのだと思い直す。
「じゃあどうぞ」
「はい……」
用意されたシューズに足を入れ立ち上がる。
ホワイト地に濃いめのネイビーとピンクのストライプが入り、蛍光ピンクのシューレースが映えるデザインが、唯人の細い足首と白いソックスによく似合っていた。
両足とも履き何回か足踏みして感触を確かめて顔をあげると、明斗と目が合う。
「どうだ?」
「うんいいよ、しっくりくる……でもちょっと派手じゃない?」
「そうか、けっこう似合うぞ」
「そ、そうなんだ……」
少しだけ複雑だという顔をしつつも、これでいいかという明斗からの問いに唯人は、はにかんで頷いた。
会計を済ませて店から出たところで袋に入ったシューズを手渡すと、唯人はそれを胸に抱くようにして明斗を見上げた。
「あの……ありがとう、大事にするよ」
「あ、ああ……こっちこそ遅くなってごめん」
向けられた笑顔に思わず見とれて、明斗は一瞬返事を忘れそうになった。
「ううん、ホントに……ホントはよかったんだよ?」
「いや今回は俺のわがままにつき合わせちゃったし、嫌な思いもさせたからさ」
「だから、それはもういいんだって」
「じゃあさ、今回は俺のほうがプラスってことでまた頼みを聞いてくれるか?」
一瞬だけ顔を曇らせ、俯きかけた唯人に明斗が笑いかける。
「……?」
「そうだなぁ……この前は健や美鈴姉がいたから、次は二人だけのデートってことで」
「えっ?」
「たしかもう少しで唯人が好きだって言ってた映画の続編が始まるから、それを見に行くのもいいな」
「ええっ?」
突然の提案にのけ反るように見上げてみれば、明斗はニヤリと笑う。
「えっと……」
視線を泳がせて口ごもる唯人を見て、明斗はふっと息をついた。
「嘘だよ、もうあんなことは頼まないって」
「な、なんだよ……もう、焦ったじゃないか!」
からかわれたことに気づいて抗議するが明斗は笑ってごまかす。しかしその脳裏には、夏の初めに抱き寄せた少女の姿が明滅して離れなかった。
その後はCDショップや本屋を巡り、昼食はハンバーガーにしようということになった。
ここは自分のおごりだと言い張る唯人に引っ張られるように入った店はしゃれた雰囲気で、値段よりも味を売りにしているカフェスタイルの店だった。
昼時ということで混雑はしていたが、騒がしい様子はない。
「旨いなここ」
「でしょ?このまえ美鈴さんに連れてきてもらったんだよ」
ダブルチーズバーガーのラージセットを半分平らげたところで明斗が感心するように言うと、対面に座った唯人が顔を綻ばせた。
「へぇ……」
店内を見回すと、唯人が今度は少し声を落として言った。
「でもさ、今思ったんだけど……その、ここ……カップルばっかりだよね」
「……そうだな」
たしかに前後右左と見渡しても目に入ってくるのは、楽しそうに食べている男女の組み合わせばかりである。
そして視線を目の前に戻すと、恥ずかしそうに頬を染めた親友の顔がある。
ファンタジーランドのときのナチュラルメイクも輝かんばかりの美しさだったが、こうして改めて見るすっぴん?の顔もやはり並みの器量ではないと再認識する。
「大丈夫だろ、たぶん俺たちも同じように見えるから」
思わずそんな言葉が口から出てくる。目の前の唯人がはっと息を呑む音が聞こえた。
「な、何言って……」
見れば真っ赤な顔で目を見開いて絶句している。明斗は予想通りの反応に笑みをこぼす。
するとなぜかまわりの席からため息がもれた。
「だってさ気づいてないか?今日会ってからここに来るまでお前……どれだけ男にチラ見されていたと思う」
「へっ?」
「今だってあちこちから見られてるぞ」
「う、うそ!?」
明斗の言葉にあたりを見渡すと、慌てて顔をそらせる姿がちらほらとあった。
「……ほんとだ」
「だろ?」
ガックリと肩を落とす唯人に明斗は笑いかけるが、唯人はでもさ、と唇をとがらせる。
「それを言うなら明斗だって、道ゆくお姉さんはみんなお前のこと見てたよ。今もそうだろきっと」
「んーまあな」
「なんだよその余裕な反応はさ」
「人は慣れる生き物なのだよ、ワトソンくん」
「だれがワトソンだよ!まったく、なんで明斗ばっかりモテるんだよ……不公平だ」
可愛らしい唇をとがらせて拗ねた顔を向けると、明斗はため息をついた。
「そういう顔が男心をくすぐるんだよ……まったく、ホントにお前どうしちゃったんだ?この前もすごい可愛かったけど、今日はあの時の上をいってるぜ」
「なっ!……」
呆れたような訝しむような声に唯人は、一瞬だけ目を見開いて俯いた。
何となく気まずい雰囲気になり二人とも黙る。
BGMに流れるちょっと前の洋楽のメロディーだけがテーブルの上を転がっていった。
「あのさ」
「ん?」
やがて沈黙に耐えられなくなった明斗がジンジャーエールを飲み干したところで、唯人が口を開いた。
「おれって、そんなに女っぽい?そんなに男に見えない?」
「そ、それは……」
顔を上げて向き合った唯人の表情は真剣で、明斗は答えに詰まる。
そこで”Yes”と言えば唯人はきっと傷ついてしまうだろう。さりとて”No”というのは本心から離れる。
言いよどみ口を開けたままの明斗に、唯人はひとつ小さなため息をついた。
「明斗に……話しておきたいことがあるんだ」
まっすぐに明斗を見据えると唯人は呟くようにそう言った。
「は、話って?」
姿勢を正して真面目な顔を返すと、唯人は少しだけ表情を和らげた。
それからアイスティーをひと口だけ飲むと、小さく息を吸い込んでから言ったのである。
「……おれ、女だったみたい」と。