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「それで、そこのオカマを使って俺をからかったってわけか」
「ユイちゃんはオカマじゃないわ、それに悪いのは明斗よ」
嫌悪感をむき出しにした冷たい目で射すくめられて唯人は身震いする。
気温は高いのだが悪寒を感じて無意識に自分の両肩を抱く。
足の痛みと、治まっていたはずの腹痛もぶり返していて頭もクラクラするが、何かを言えるような雰囲気ではなかった。
四人は真実の館から少し離れたところにある、オープンカフェの一角にいた。
明斗と美鈴が医務室から車いすを借りて戻ってきたときに見たのは、少女の肩を両手で強くつかみ
激しく揺さぶる青年の姿だった。
その尋常でない様子に美鈴があわてて駆け寄り二人を引き離すと、唯人は崩れるようにベンチの上に倒れた。
緊迫した雰囲気から、事の真意を健が知るところとなったことを悟った明斗は、つかみかかってきた従兄弟にまっさきに頭を下げた。
それから立ち話で収まるものではないし、場所を移動しようということで現在のカフェにたどり着いたのである。
「男なのに女の格好をしてデートなんて、オカマどころか変態だろうが。あー気持ちわりぃ」
明斗からも弁明を受けて一応は落ち着いたものの、その矛先は唯人に向けられていた。
健は怒鳴らないまでも、鋭く強い言葉で俯いたままの唯人を罵倒する。
気持ち悪いという言葉にピクリと反応するが、反論はできなかった。
それはそうだと半ば納得もする。
自分だってもし目の前にクラスメートの男子が、ばっちり女装して現れたら引いてしまうだろう。
「あんたさぁ、何か言い返さないわけ?それともなに、まだ女のフリしてるとか……頭おかしいだろ」
「ちょっと、それ以上唯人くんにひどいこと言わないでよ!さっきも言ったでしょ、唯人くんは嫌がっていたのを無理やり頼んだんだから」
健の容赦ない言葉に美鈴が強い口調で唯人をかばうが、健はまだ納得しないという姿勢を崩さない。
「嫌だったら断ればいいだろ。それをほいほいとやって来て、人のことを騙して……さぞ楽しかっただろうよ。まったく……何か言えよ!」
まわりのテーブルにも客はいるので大声を出したりはしないが、刃物のような言葉は唯人の心を深くえぐる。
しかし同時に、ここまで感情的に怒りをぶつけられるだけのことをしてしまったのだと思い、健に申し訳なくなった。
「ごめん……なさい」
うつむいたまま発した声は思ったよりか細く、震えてしまった。
顔を上げると健と目が合う。
強い視線に気圧されそうになるが、意を決して再び口を開く。
「言っていることはその通りで、何も反論できないです。
最初に頼まれたときはホント……何言ってるんだろうって思ったし、きっと女装なんてすぐに見破られる……そもそも似合わなくてダメになるだろうって思ってたから……」
明斗のほうをみると、バツの悪そうな顔をしていた。
「でも、なぜかそうはならなくて……バレないならバレないで、そのまま今日が終わることを考えていました。だからおかしくならないように演技をしていたのも本当です。気持ち悪いですよねホント……」
「……」
話しているうちに、いつの間にか下を向いていた顔を上げて健の目を見つめ返すと、唯人はばっと立ち上がり頭を下げる。
「ホント、嫌な思いをさせてすいませんでした。その……お、おれを殴ってください!」
「……女を殴れるかよ」
少しの沈黙のあとで、ぼそりと健は呟いた。
「……えっ?」
おそるおそる顔を上げると健がため息をついて、椅子の背もたれに寄りかかっていた。
「いくら男って言っても今はそのカッコだからな。そんなのを殴れるわけないだろ。
それにあんた小さくて細いし、そんな弱そうなのをどうこうするつもりもないしな」
頭をポリポリとかく。
その表情は先ほどまでとは違い、穏やかさが戻っていた。
「まぁそれに最初から俺のことをからかおうとしていたわけじゃないのはわかったし、気づかなかった俺も悪いか……それにしても、ホントに男かよ」
「たしかに男の子にしておくのは勿体ないよね」
険悪なムードが和らいだからか、すかさず美鈴が合いの手を入れる。
明斗もこの埋め合わせはすると言って、どうにかこの場は収まったのだった。
・・・・・・・・・・
カフェを後にした一行は唯人を車いすに乗せて医務室に向かった。
毎日多くの来場者を呑み込む広大なファンタジーランドだけに医務室もちょっとしたクリニック並みの規模だった。
土日などは医師を含む2~5名程度が常駐し、大きなケガや重篤な急病の場合には最寄りの大学病院に搬送する仕組みになっているらしい。とは待合室に貼られたポスターに書かれていたことだった。
四人が医務室を訪ねると、事前に美鈴が話を通していたからだろう、ほとんど待つことなく診察室に通される。
看護師とのやりとりをしていた関係で美鈴が一緒に中へ入り、明斗と健は待合室で待つことになった。
「はい、これで良し……と」
「ありがとうございます」
「今日はデート?気合を入れすぎちゃったのかしら。ヒールの高い履き物は気をつけないとね」
三十歳台後半あたりの看護師が、湿布と包帯の処置を終えて微笑んだ。
「はい……」
唯人が小さく頷くとその顔をまじまじと見て、片付ける手を止める。
「あら、ずいぶん辛そうね。どこかまだ痛いところはある?顔色も悪いみたい」
「お、お腹が……ちょっと」
そう言って下腹部あたりを押さえると、合点がいった様子になる。
「そう……この前きた生理はいつ?」
「せ、セイリ?!」
思わず変な声が出てしまう。何しろ今はこんな姿をしてはいるが、れっきとした男性である。生理などくる筈はなかった。
もっとも、精通もまだの「お子ちゃま」だという自覚はあり、密かに気に病んではいるのだが。
だが看護師はすっとんきょんな声を上げた少女に不思議そうな顔をしつつも、生理前後の貧血や頭痛、腹痛などといった体調の変化について話してくれた。
痛み止めを出せるかということを医師に確認するというので、それは美鈴が持っているので大丈夫だと断った。
看護師はそれならもう出ていいと告げる。
それから帰りの足について尋ねてきた。
美鈴が自分の車で来たと話すと納得した様子で、車いすはファンタジーランドから退園するまで使っていいと言って出て行った。
その後ろ姿を見送った唯人と美鈴は顔を見合わせて、互いに微妙な笑みで頷き合ったのである。
・・・・・・・・・・
唯人と美鈴が処置を受けている間、明斗と健は待合室にいた。
「なぁ」
「ん?」
園内のカラフルな色合いとは異なる、落ち着いた雰囲気の長いすに腰を下ろして、最初に口を開いたのは健だった。
「なんで今回のことを……その、あの子に頼んだんだ?」
「……唯人のことか?」
「ああ」
健の問いに明斗は真面目な顔を向けたが、一旦口を開きかけてやめると肩をすくめた。
「さぁ、何でかな……たしかに中学のときに告白してきた女子に声をかければ協力してくれる子はいたかもしれないし、そしたら案外そのままホントに付き合うことになったかもな」
明斗の言葉に健は小さく頷く。
そもそも明斗と「ユイ」は中学のときのクラスメートで、卒業後からつき合いはじめたという説明だった。
「でもよぉ、そもそも中学のときに誰ともつき合わなかったのは、自分がしっくりくる子がいなかったからなんだって思ってさ……んーって考えたら、何だかんだ言ってもあいつが一番クラスで……いやたぶん学校で一番可愛かったんだよ」
本人が聞いたら顔を真っ赤にして抗議してきそうな言葉を明斗はこぼす。
「あいつの中学のときのウラのあだ名……なんだと思う?」
「裏のあだ名?」
不意にいたずらっぽい笑みを浮かべた明斗に、健は首を振る。それは言葉の意味がわからなかったのもある。
「……ユイ姫だよ、お姫様。
あいつのおばさんは地元旧家のお嬢さまだったらしくてさ、小さいころは本当に姫様扱いだったらしいんだ。
実際に会うとすんごい美人で若くて品があるっていうか……とにかくちょっと違うわけ。
んであいつはそのおばさんにそっくりであの顔だ。
しかも小さいころからなぜかお茶、お花、踊りをおばさんから教わっていたらしくて立ち居振る舞いも何となくオンナっぽい。というわけでいつからかみんな、あいつのことを指して言うときに姫って言ってたんだよ。あ、女子の一部は王子って言ってたっけ」
「なるほど……」
健は神妙な顔で腕を組む。
たしかにうなずける要素はいくつもある。
容姿の美しさに目を奪われたのもあったが、何より心惹かれたのは唯人の所作の美しさだった。
おそらく女装のことを気にかけて、より女の子らしく振る舞おうとしたのだろうが、それを差し引いても健の目に映った「ユイ」はしとやかで上品な可愛らしい少女だったのである。
「まぁそんなわけで、あいつと一緒にいると女に対する価値観が何というか……こう、ちょっと違っちゃうのかもなぁ。
俺はホモでもゲイでもないけど、女の子が告白してくれてもどうしたってあいつと比べちまうんだよ」
黙りこんだ健に明斗は苦笑して見せる。
「だから今回も、俺は案外あいつの女装姿を見たかっただけなのかもなぁ」
そしてぼやくように、そう言ったのだった。
医務室から出ると時刻は15時を少しまわっていた。
見たいと思っていたパレードまでは時間があるし、当初に予定していた帰りの時間もまだ先ではあったが唯人は先に帰りたいと美鈴に話していた。
看護師に生理痛だという誤診を受けることになった腹痛はしくしくと疼くし、何より正体を知られてもなお女装を続けるのは精神的な疲弊が大きかった。
そのようなことをたどたどしく告げると、美鈴は優しく笑って頷いてくれた。
二人は美鈴の家から彼女の車で来ていたので、家まで送ることを約束して帰路につくことにしたのである。
明斗と健もそのことには納得して、みやげなどを見るといった男二人とは別れたのだった。
・・・・・・・・・・
真っ暗な部屋に明かりをつける。
だいぶ痛みが引いた片足を少し引きずるようにして窓を開けると、網戸の向こうから夜の風が流れ込んでくる。
日中は暑かったが陽が落ちるとだいぶ過ごしやすい。
今年は冷夏だと言われたが案外そうかもしれないと思いつつ、唯人は靴下とチノパンを脱いで部屋着のハーフズボンに替えるとベッドに横たわった。
夕飯まではまだ時間がありいつもなら支度を手伝うのだが、帰宅した唯人の顔を見るなり母の美琴は、何も訊くことなく部屋で休むようにと命じたのだった。
蛍光灯がいつもよりまぶしく感じて腕で光をさえぎると、ぼんやりと今日のことを振り返った。
明斗に頼まれて女の子として過ごした一日……。
立ち居振る舞いや言葉づかいに気をつけたとはいえ、周囲から何の疑問もなく女性として扱われたことにまた複雑な気持ちになった。
そしてそれは、普段とはまったく違う親友の姿も大いに影響していた。
彼が望んだこととはいっても自分と手をつないだり、抱きかかえたりして気持ち悪くはなかったのだろうか。と思う。
うーんと一人うなってみるものの、唯人も最初のうちこそ恥ずかしさや、ばれたらどうしようという気持ちでぎこちなかったが、明斗が少しも照れたり戸惑ったりしなかったため落ち着くことができたのである。
可愛いと言われるのは微妙な心情だったが、女の子としてちやほやされたのは密かに楽しいと感じていた。
しかも初対面の健からは告白までされてしまった。
その時のことを思い出して、ああっと唯人はうつぶせになって枕に顔を埋めた。
思い返すと顔が熱くなるほどに恥ずかしい。悶えて掻きむしるようにシーツをつかんでいた。
だがそこでまた我に返り、健から浴びせられた言葉もフラッシュバックしてくる。
今度はおびえる子猫のように全身を丸めてタオルケットをかき抱く。
「……はぁ」
しばらくそうしていたが、ため息をつくと身体の力を抜いた。
健には悪いことをしてしまったと思っているが、きっともう二度とは会わないだろう。
別れ際にも謝ったが、その時には笑顔を返してくれたのでだいぶ気は楽になったが。
天井に目をやるとやはり眩しくて、思った以上に疲れているのだと実感する。
強く感じる明かりを落とそうと思い、立ち上がりかけたところ軽いめまいを感じて、ベッドに座り込む。
そこに部屋の外から声がかかった。母だった。
「どう、大丈夫?ごはん食べられそう?」
「うん……少しなら」
ドアを開けて入ってきた美琴は心配そうに唯人の頬や額に触れる。熱は無いようだと呟いた。
「今日は暑かったから軽い熱中症かもしれないわね、ちゃんと水分はとっていた?」
「……うん」
「お昼はちゃんと食べた?」
「いちおう食べたよ」
母親の顔を見ていたら少し気分が良くなってきた気がして、山盛りのパスタとピザを平らげてなお唯人が残したものも食べてしまった明斗の話をしたくなった。
けれどその様子を伝えるためにどこから描写をすればよいのか迷ってしまい、けっきょく言い出すことはできなかった。
話し出したらそのうちに、自分が女の子の格好をして過ごした事実をうっかりこぼしてしまいそうだと思ったからである。
ただ、おそらくそのことを母が知ったとしても、怒ったり呆れたりはしないだろう。
中学のときの体育祭や文化祭で「いやいや」やらされた女装姿には喜んでいたし、唯人のことをときどき若い頃の自分とそっくりだとこぼす美琴はきっと、その姿を見たかったと言い出すに違いなかった。
「……どうしたの?」
口を開きかけたままじっと母親の顔を見つめていた唯人に、ニコリと笑って訊いてくる。
そのまぶしい笑顔はとても高校生の子どもがいるとは思えないほどに若々しい。
しかも実はもうひとり、二十歳を過ぎた兄もいるのだがその兄と並んで歩いていると、親子ではなく恋人同士に間違われることが多かった。
要は兄が少し老成していて母が若づくりなのだと唯人は解釈しているが、小柄な唯人よりも高い身長と、衰えを見せないプロポーションに、美魔女という言葉はこの母のためにあるのだろうと思う。
魔女という言葉には顔をしかめるかもしれないが。
「ううん、なんでもない」
唯人も小さく笑って首をふる。
階下で玄関の鍵が開く音が聞こえた。父が帰ってきたのだろう。
母はおかえりなさいと声をかけて夕食の支度に戻りかけるが、不意に思い出したように唯人に向き直る。
「そういえばさっきお腹痛いって言ってたけど、それはどう?」
「まだちょっと痛いかも」
「トイレは行った?」
唯人は首を振った。
「何ていうか、そういう感じじゃないんだよね」
「そう……でも一応は行ってみたら?立てる?」
そう言って差し出してきた母の手をつかんで唯人はベッドから立ち上がる。すると美琴が驚いたような声を上げた。
「ゆ、ユイちゃんどうしたのその足?」
「足?」
目を見開いた母の視線を辿るように顔を下げると、左足の内側に真っ赤なすじが出来ていた。
「へっ……あ、な、何これ?」
赤いすじが血液であることはすぐにわかった。しかしまったく身に覚えがない。
とっさに悪い病気という言葉がよぎる。
得体の知れない恐怖に苛まれて顔から血の気が引くのがわかった。
きゅうっと下腹部に、締まるような震えるような感覚がよぎる。
それと同時に、先ほど感じたよりもずっと強いめまいが襲ってきて膝の力ががくりと抜けた。
自分の身体なのに、思うように力が入らない。母親の腕にすがりつくように倒れこむ。
母が何かを叫んでいた。
階下の父を呼んだのだろうか。
自分の名を繰り返す声に返事をしたいと思ったが、反して意識は急激に薄れていったのだった。