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君の微笑と僕の戸惑い  作者: 英雄
5/26

5


「ここは……?」


「ゴールの部屋……かな」


 肩口から発せられた問いに背の高い青年は応える。

 いくつかの分岐を経てたどり着いた扉を開けると、そこは二人掛けのソファが置かれただけの小さな部屋だった。


「何もないな」

 部屋の中ほどにあるソファのところまでやって来て、ぐるりと見まわしても奥にカーテンが引かれているだけで特にこれといった調度品もない殺風景な空間だった。


「ちょっと降りてもいい?重いだろ?」


「ん?ああ……」


 青年の耳元にまた声がかかる。彼の背中には転んだ拍子に足を痛めて背負わられている少女……の姿をした親友がいた。

 背後で身じろぎする気配が感じられて、後ろ手に支えていた腕の力を緩めると、唯人はぎこちない動作で地面に降りた。

 それまで首元に感じていた華奢な腕や、柔らかな太ももの感触が体温とともに離れる。

 よろける肩を支えてソファに座らせると、やはり足首に腫れが出ているのがわかった。

 明斗は大きな身体を折りたたむようにひざまづいて、文字通り腫れ物をさわるようにうやうやしく唯人のつま先を持ち上げた。


「腫れてきたな、痛いだろ」


「ちょっとね、でも大丈夫だよ」


「いや、大丈夫じゃないだろ」


 そっと触れてくる明斗の手は熱い、けれど鬱血して腫れてきた患部もそれ以上に熱を持っていた。

 ひねった足首はどのように動かそうとしても、鈍い痛みを伴って唯人の顔を曇らせる。

 そして目の前にある明斗の頭頂部あたりをぼんやり眺めていると、その先の光景にいつの間にか変化が起こっていることに気がついた。


「あれ……カーテン開けた?」


「えっ?」


 唯人の声に明斗も顔を上げて振り返る。

 二人が知らぬ間に部屋の奥にあった壁いっぱいのカーテンは開いていて、その先には楕円形で西洋風な鏡があった。

 鏡には明斗の後ろ姿と、彼に足先を預けて座る自分が映っていたが、その様子はまるで騎士にかしづかれている令嬢のように見えた。

 自分たちが映っているはずなのに、鏡の向こうにいる二人は紛れもなく男と女だった。

 鏡の中の自分と目が合う。

 薄化粧をした少女は上気した頬をそのままに、何か思いつめたような視線を返してくる。その違和感に思わず声を上げそうになったとき、鏡の向こうの人物はわずかに微笑んだのである。

 まるで恋する乙女のように。


 ドクン……。


 そのとき身体の奥底から、何かが飛び出してくるかのような鼓動が起こった。

 驚愕に目を見開き、身動きが出来ない唯人に明斗は首をかしげる。


「大丈夫か?ぼーっとして」


 はっとして我に返ると、目の前に覗き込むようにして見つめる瞳があった。


「へーき……」


 顔の近さに慄きつつ応えると、明斗は立ち上がって鏡のほうへ向き直る。


「これが真実の鏡ってやつかもな。まぁ特にこれといって何の変哲もない鏡だけど」


 ふたたび鏡のほうへ焦点を合わせたが、もうそこに先ほどの少女の姿はなかった。

 唯人が鏡の中に見たものを告げると、明斗は鏡に近づいて色々な角度から覗き込んだり、指で叩いたりして様子を窺ったがけっきょく何も見つけることはできなかった。


「とりあえずここから早く出ようよ……」


 鏡を前にして嘆息した明斗に、唯人は疲れた声で言った。


「そうだな」


 明斗がうなずいて振り返れば、ソファから両手を差し出して上目遣いに見つめる少女がそこにいた。



・・・・・・・・・・



「ほらお茶、温かいのでいいんだよな?」


「うん、ありがとう」


 手渡された紙コップを両手で受け取って笑顔を向けると健はぎこちなく視線をそらし、そのしぐさが精悍な顔を少し幼くさせた。

 唯人は膝の上にバッグを置いてベンチに座り、その前に健が立っている。

 なぜ二人でいるのかいうと、美鈴と明斗は足をくじいた唯人のために医務室の確認と車椅子の手配をしに行っているのだった。

 当初は館を出るのが遅くなったことをなじられるところだったが、明斗に支えられながら右足を引きずる唯人の姿は、けっこうな衝撃を与えたらしかった。

 美鈴はすぐに医務室を探して連れて行こうとしたが、恐怖体験による精神的な疲労と足首の痛み、それからまたやってきた腹部の鈍痛に青い顔をしながら、唯人は手近なベンチに座ることを切望した。

 明斗が先ほどのように、背負って運ぶと申し出るとさらに悲痛な顔をして恥ずかしがったので、車椅子を借りようという健の案に落ち着いたのである。

 ちなみに健がこの場に残っているのは、明斗とじゃんけんをして勝ったからに他ならない。

 勝利した健がやけに嬉しそうにしていたのを少し複雑な心境で眺めていた唯人だったが、二人きりになると余計に気まずさを感じてしまう。


 唯人はお茶を少し飲んで、ベンチ横のテーブルに置いた。

 温かいほうじ茶が喉を潤し、同時に身体の芯がほっとする。

 指先や肩に感じていた冷えも和らいで、真実の館の冷房が強かったのだと実感した。

 チラッと健のほうへ視線を向ければ、健は紙コップの中身を飲み干して近くのゴミ箱に捨てたところだった。

 そのがっしりとした背中を眺めながら、唯人は心持の複雑さが深まっていくのを否定できずにいた。

 

 暑い中でわざわざ温かい飲み物を買ってきてくれて、心配そうに見つめてくる人物は自分のことを女性と見て疑っていない。

 後ろめたさとくすぐったさと、そして深い罪悪感が唯人を苛む。

 それは真実の館に入る前の、化粧室で美鈴に告げられた言葉から端を発していた。

 健が自分に対して、異性に向ける好意を抱いているという告白が、唯人の薄い胸をきゅうと締めつける。

 明斗にも言えることだが、健もいわゆるイケメンというカテゴリーに属する一人だろう。

 どこか遠くを眺めるようにしている健の顔を、もう一度そっと窺う。

 180センチくらいある長身と、シャツの上からもはっきりとわかる鍛えられた肉体の上にあるのは、緩い天然パーマが嫌味にならない彫りの深いマスクである。

 黒髪に黒い瞳であるのに顔の造詣がどこかラテン系の民族を連想させて、ミステリアスな雰囲気があった。

 まわりを見渡しても、近くを通り過ぎる女性の視線が彼を幾度も捉えているのがわかった。

 逞しい肉体に男らしい顔つき、そのどちらも持たない唯人は、ワンピースと揃いのデニム生地で誂えられた手提げバッグを、知らず知らずのうちにぎゅっと抱きしめていた。

 それとなく見つめていたつもりが視線に気づいたのだろう、振り向いた健と目が合った。


「!」


 いつの間にか見惚れていたことに気がついてはっとなり、思わず俯いた。

 慌てて下を向いた唯人の仕草に初々しいものを感じて健はふっと微笑む。先ほどまで偶像のように見ていた美しい少女の素顔を覗いたような気がして嬉しくなった。


「あの……さ」


 そんな感情はすぐに口からこぼれる。


「明斗のどこが良かったの?」


「えっ……?」


 恥ずかしそうに見上げてきた顔が、問いに固まる。


「あいつと付き合うにあたって、どういうところが良かったのかなぁってさ」


 屈託のない笑顔を向けられてドキリとする。先ほども感じたが、笑うと途端に甘い顔になるのは困ると思った。


「えっと……その、そう……優しいところかな?」


「そこは疑問系なんだ」


「ふぇ?いやその……なんと言うか……」


 予想をしていなかった質問と、図らずも同性の笑顔に胸を高鳴らせてしまった失態にうろたえる。語尾はごにょごにょと言葉にならなかった。

 真っ赤な顔をした少女がバッグを抱きしめて、あたふたとしているのを見て健は目を細める。


「あのさ、明斗のカノジョって嘘でしょ?」


「……!」


「あ、やっぱり図星だった?」


 突然の詰問に目を見開いた反応に、健はいたずらぽっく笑ってしゃがみ込んだ。

 目線が合ってじっと見つめられると顔の温度がカッと上がった気がした。


「そ、それは……」


 否定も肯定もできないもどかしさに肩をすくめて縮こまる。その心境は獣に見つめられる小動物のようだった。


「実はずっと見ていたんだけどさ、なんとなくあいつとの距離が……そう、カノジョっていうより友だちっぽかったんだよね」


 健は少しだけ言葉を選ぶようにして言うと、満面の笑みを浮かべてよかったと小さく呟いた。

 唯人は何がよかったのだろうと思うが、健の観察眼に感心するやら「やっぱりね」と自らの演技力のなさに呆れるやらで、それ以上の思考には至らなかった。

 戸惑いの表情を浮かべたまま半ば放心状態になった唯人はしかし、次の瞬間に現実へと引き戻される。

 ふわりと甘い香りが鼻孔をかすめた瞬間に、健がその大きな手を、バッグを抱えた唯人の手の上に重ねてきたからである。


「!!」


 あれよいう間もなく両手をつかまれる。

 とっさに引き戻そうとするが、万力に挟まれたように動かない。力の差に愕然とするが痛みを感じるほど強く握られてはいなかった。


「は、離し……」


「なあ、あいつとじゃなくて俺にしろよ」


「……えっ」


 先ほどまでの浮ついたものでなく、真剣な声音に視線を上げるとまた目が合った。

 射抜かれるような強いまなざしに思わず息をのむ。


「じょ、冗談ですよ……ね?」


 震える声で問いかけても握られた手の力は緩まなかった。


「冗談を言っているように見えるか?」


 静かだが凄みのある返事を聞けば、見えるとはとても言えない。ふるふると小さく首を振るしかなかった。

 唯人が脱力するように肩を落とすと、健は握っていた手を離した。

 そしてぼそぼそと独白する。朝会ったときからずっと目が離せなかったこと、今までこんなことはなかったがどうやら一目ぼれらしいと自己分析していること。など。

 そして最後にまた、まっすぐ唯人の瞳を見つめて健は言った。

「会っていきなりだから難しいかもしれないけど、頼む。俺と付き合ってくれ!」と。


「え、えっと……」


 唯人が口を開くまで二人の間には永遠とも言える静寂があった。

 まわりの喧騒は相変わらずであるのに、まるで世界から隔離されたような沈黙。それを破った声はかすれていた。


「そのなんで……なんでお、私なんですか?私みたいなのに声をかけなくても、きっと女の子は放っておかないんじゃ……」


 それは本当に本心だった。それはそうだろう、明かしてはいないとはいえ唯人は一応男性であるし女装した男よりも可愛い本物の女の子はたくさんいるはずなのだから。


「俺にとってはいままで知り合った、誰より可愛いと思ってる」


 苦し紛れに投げた疑問を直球で返されてドキリとする。


「そ、そんなこと……ないです」


 なんでこんな照れちゃいそうな台詞を真顔で言えるんだと妙に感心してしまうが、視野を広げさせようとしたところでオンリーユーと言われて、かえって苦しい展開になってしまった。


 どうしよう。と唯人は思う。


 もちろん断るつもりだが、目の前の青年はすぐに諦めてはくれないかもしれない。

 おそらく自分は本当は男だ、と告白して今回の一件について説明すれば断る断らないという話どころではなくなる。

 きっと健をひどく怒らせてしまうことになるだろうし、何発か殴られるくらいの覚悟をしなければならないだろう。

 しかしそれ以上に健を傷つけてしまうだろうことが気がかりでならなかった。

 朝から一緒に園内を回る中で、唯人は健のことを実は気に入っていた。もちろん同性として、だが。

 最初はその風貌からとっつきにくい印象を抱いたが、明斗や美鈴との会話の中で時おり見せる博識な面や、先ほどの飲み物のような気遣いなど、同い年というより少し大人びた姿が素直に格好いいと思ったのである。


 健のことを傷つけたくはない。

 それに今回の件において彼は、一方的な被害者でもある。

 偽者のカップルを紹介されて、女装した男に惚れて、そして振られようとしている。

 今さらながら唯人は自分の行いの罪深さを思い知って打ちのめされていた。

 だが、あとはせめてもの良心で、最後までだまし続けるしかないだろうと思い直す。

 知らぬ間に俯いていた顔を上げると、変わらずに見つめてくる健の姿がある。


「あの……」


 まっすぐな眼差しに気圧されそうになりながら、ここでは”ユイ”として気持ちに応え、断るべきだと決心する。

 ごくりとつばを飲み込んで顎をひく、すると僅かに上目遣いのようになって、大きな瞳がより魅惑的に映る。

 潤んだ瞳と長い睫毛にドキリとしつつも健は、目の前の少女が真剣な面差しを向けてきたことに息をのんだ。


「……ごめんなさい」


 不意にぺこりと頭を下げて、ただそれだけを唯人は言った。


「……」


 健からの返事はない。

 頭を下げているため彼がどのような表情をしているのかはわからない。

 沈黙だけがそこにはあった。


「……理由わけを聞いてもいいか?」


 ややあって、絞り出すような声で問われて顔を上げる。


「それは……あっ!」


 切ない問いに答えようとしたそのとき、ベンチの後ろを通り過ぎたカップルの持つ大きめのカバンが唯人の背中にぶつかった。そのはずみで膝に抱えていたバッグが地面へと落ちた。


「大丈夫か……と」


 中からスマートフォンやハンカチといったものと一緒に、浅黄色のパスケースがばらばらと散らばる。

 それを健が拾いあげた。


「あっ、それは!」


 健の手の中にあるものに気がついた唯人は慌てて手を伸ばすが、とっさに健はそれをよけた。


「おっと……ちゃんと返すけど何、見られたら困るもの?」


 狼狽する唯人の様子にかえって興味をひかれた健がパスケースをぺらりと開く。

 それを見た唯人は思わずぎゅっと目をつぶって身体を縮こませた。


「えっと定期券と生徒証か。シノザキユイ……ト?」


 その先に何が待っているのか、はっきりと予想がついたからである。

 パサリと何かが足元に舞い落ちてきた音がした。

 唯人は顔を上げることが出来なかった。



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