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君の微笑と僕の戸惑い  作者: 英雄
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「ユイちゃん、大丈夫?」


「……うん」


 一時限の授業が終わったところで、椅子ごと振り向いた成美が尋ねると唯は小さく頷いた。

 朝からぼんやりとした様子で、気になっていたのだと言い、成美は小さく嘆息する。


「ぜんぜん大丈夫じゃなさそうだよ?顔色も悪いし」


「……うん、頭痛くて」


 今にもうずくまりそうな雰囲気に、成美は自分の手を唯のおでこに当ててみる。


「熱は、なさそうだね。もしかしてアノ日?」


 少し考えてから声をひそめて訊くと、唯は申し訳なさそうに首を縦に動かした。


「あーっ、痛み止めは持ってきてる?」


「うん、さっき飲んだ」


「そう……いつも、こんなに酷いの?」


「ううん、頭は痛くなるけど……今回は一番きついかな」


 ふるふると頭を振れば、頭痛がひどくなったのか小さく顔を歪めた。

 その様子が小動物を思わせて、成美は思わず唯の頭を撫でていた。


「痛いのは頭だけ?」


 頭に触れられたら痛いのだろうかと慄きつつ、特に抵抗もなかったので、そのまま髪を梳くように手を動かせば唯は目を閉じてひとつ息をついた。

 目を伏せれば長い睫がばさりと下りるようで、普段とは違う物憂げな雰囲気にどきりとする。

 いつもは掛けている黒ぶちの眼鏡は鬱陶しいらしく、外して机の脇に置かれていた。


「お腹も……少し」


 ぼそりと呟くような言葉がいじらしい。 

 貧血もあるのだろう、ただでさえ白い肌が今日は病的なほどで、しかしそれすらも少女の端正な容姿を、儚げな美しさに昇華させていることに成美はため息をついた。

 そしてふと視線を感じて周りを見回せば、数人の生徒と目が合い慌てて逸らされる。

 クラスメイトたちも唯の様子が登校時からおかしかったことに気づいていたのだろう。

 不意に、唯の頭を撫でていた手が掴まれて振り返れば、当人が腕を抱きこむようにして机に突っ伏していた。


「ちょ、ちょっとユイちゃん大丈夫!?」


「ナミちゃんの手、温かくて気持ちいい……」


 焦って声をかけるが、うっとりとした返事にそれ以上のことは言えなくなってしまった。

 痛み止めに眠気を促す成分が入っているのだろう、うとうとと目を閉じたその様子に、掴まれた腕を振りほどくことはためらわれた。

 そして抱え込まれた先の、柔らかさと弾力に同性ながらドキリとする。


「なあ、篠崎さん具合悪いんでしょ?保健室に連れて行ってあげたら?」


 固まっていた成美に、そう声をかけてきたのは二人のななめ後ろに座っている男子生徒だった。


「そ、そうだね……ほらユイちゃん、立てる?保健室に行こう?」


「……うん」


「少し横になったほうがいいよ、昨日は眠れた?」


「う……うん」


「早く行こう、次の授業が始まっちゃうよ」


「……うん」


 気を取り直して声をかければ返事はあるものの、なかなか唯は顔を上げようとしない。

 まるで幼子がイヤイヤとぐずっているようで、しかしそんな姿ですら愛らしく感じることに成美は苦笑した。

 美人は得だよね。なんてことを内心で思いながらも、普段はしっかりしている彼女の介抱を独占していることに優越感を覚えていることも確かだった。

 成美は唯を抱えるようにして立たせると、教室中の視線を集めながら廊下に出て保健室に向かったのだった。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 どこか遠くに聞こえるチャイムの音が、泥のように眠っていた唯の意識をゆっくりと引き戻す。

 横向きに寝ていた身体を仰向けにすると、教室と同じ模様の天井が見えた。

 唯がいるベッドの周囲はカーテンが引かれていて、まわりに誰か人がいるのかはわからない。

 ベッドの上にある蛍光灯が消されているのは、眠っていた唯に配慮したのだろう。


「知らない天井……」


 ぼんやりとして頭をそのままに呟いて、フッと笑う。


「なんてね」


 思いのほか柔らかい枕に後頭部を沈めて深く息をすれば、カーテン越しに動く人影があった。

 パタパタとサンダルのような音が近づいてきて、カーテンがそっと開けられる。


「目が覚めた?調子はどう?」


 覗きこむように声をかけてきたのは養護教員の上杉だった。

 ショートカットにフレームレスレンズの眼鏡をかけており、袖をまくった白衣と相まって、いわゆる保健室の先生と言うよりは科学者に近い印象があった。

 年齢は四十代半ばらしいが、長身でスラリとした体型に、実際よりも若い印象を受ける。

 女子バレーボール部のコーチをしており、現役時代は日本代表候補にも選ばれたのだとは成美からの情報だった。


「はい、大丈夫……と思います」


「そう、なら良かった。けっこう寝ていたからね」


「どのくらい眠っていましたか?」


 唯が起き上がろうとしたので、上杉は掛け布団を外して唯の背中を支えてくれた。


「そうね、二時間目が始まる頃に来て、もうすぐ四時間目が終わるところよ」


「そう……ですか」


 単純計算して眠っていた時間の長さに、唯は小さくため息をつく。


「いつもこんな感じなの?」


 上杉が一応の確認と言いながら体温計を渡してきて、唯は首を振りながら受け取る。


「いえ、こんなにひどいのは初めてです」


 ブラウスのボタンを外して脇に体温計を差し込みながら、唯は首をかしげた。


「そうなんだ、でもまだ一年だっけ?周期は安定している?」


「はい……えっ?」


 上杉が何でもない風に尋ねてきたので唯もするりと答えるが、そこで唯はピシリと固まった。

 検温完了を知らせる電子音が鳴っても、身じろぎひとつしない唯に上杉は訝しむ。

 それが、今しがた自分のかけた言葉によるものであることに気づくと、にっこりと笑顔を向けて手を差し出した。


「大丈夫、今ここには私以外は誰もいないから」


「えっと……」


「体温計を出してね」


「は、はい」


 唯は取り出した体温計を上杉に渡した。


「んー熱は無いみたいね。顔色も来たときよりは良いわ」


 上杉は体温計を白衣の胸ポケットにしまうと、両手を唯の頬に当ててそのまま首すじに触れた。

 ひやりとした柔らかさに一瞬だけ肩が跳ねる。


「あ、ごめんね。さっきまで水仕事をしていたから、ちょっと冷たいかも」


「いえ……平気です」


「さっきの話ね、私を含めて何人かはあなたの事を聞いているの。もちろん漏らさないことを前提に。

 だからまた今日のように体調が悪くなったり、他にも何かわからないことがあったら言って、ね?」 


 上杉はそう言って唯の触診を終えると、緩めてあったタイやブラウスのボタンを丁寧に直してくれた。

 それから思い出したように、成美が昼休みに来ると言い残していたことを告げたのだった。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「いやあ、さっきは焦ったよ」


 はははと笑いながら成美は、自分の弁当箱から鶏の唐揚げをつまみ上げた。


「ごめんね、迷惑かけちゃった」


 しゅんとして唯が謝ると、唐揚げを頬張った顔をブンブンと振る。


「ううん、女同士だしああいう時はお互いさまだって」


「……ありがとう」


「お、おう……」


 唯がほっとしたように笑顔を向けると、なぜか成美は目を丸くして赤面し、目を逸らした。

 その様子を目に留めながら、唯は成美が口にした「女同士」という言葉に身のすくむ思いがよぎっていた。

 知り合ってからまだ2ヶ月ほどとは言え、屈託のない成美と過ごす時間は楽しかった。

 表裏のない彼女の言動は好ましく安心するのと同時に、言いようのない罪悪感に駆られるのである。

 唯は未だに、自らの生い立ちについて成美にも萌にも話せずにいた。

 それはなかなか二人だけ、あるいは三人だけで話をする機会がないこともあったが、唯自身の踏ん切りがつかないことも理由になっていた。

 おそらく二人には自分が男性として育てられたことを伝えたとしても、嫌忌されることはないだろう。

 ここまでのつき合いで唯はそう感じていた。

 だからこそ最近は今日こそは、明日こそはと小さな決意と挫折を繰り返していたのだった。


「えっとさユイちゃん」


 そんな唯の内心を知るはずもなく、先に弁当箱を空にした成美が、不意に改まった声で唯のことを呼んだ。


「うん?」


 まだ半分以上が手付かずの小ぶりな弁当箱と、ぼんやり向き合っていた唯は我に返って視線を向ける。


「今度の土曜日って空いてない?授業のあと、私と何人かで買い物に行くんだけど」


「買い物?」


 おうむ返しに尋ねれば成美は小刻みに頷いた。


「うんうん、みんなでお昼を食べに行って、そのまま買い物するの。私はスパイクとジャージを見たいんだけどね」


「へぇ……」


 成美の買い物内容が、一般的にイメージするような女子高生の買い物とはほど遠い気がしておかしくなる。


「あと来月に宿泊学習があるじゃない?そのときの服も見ようかなって話しているんだけど……一緒に行かない?」


 おずおずと尋ねる言葉に、そういえば新入学オリエンテーションの中で一泊二日の宿泊学習があったと思い出した。

 

「そ、そうだね……えっと今度の土曜日はだい……」


 予定を答えようとしてハッとする。大丈夫と言いかけて、その日は明斗との約束があったことを思い出した。


「あ、ダメだった……ごめんね、予定が入ってたんだ」


「そっか、じゃあ仕方ないね」


 唯の返事に成美は少し残念そうな顔をしたが、それ以上強引に誘うつもりはないらしかった。


「ごめんね、その日は前の学校の友だちと会う約束をしちゃったから」


「えっと……それって彼氏?」


 気まずさに言い訳を告げれば、成美は何を思ったのかそんなことを尋ねてきた。


「「「「「「「「「「えっ?」」」」」」」」」」


 唯が思わず聞き返したその瞬間、教室内の声は一斉に揃って発せられた。


「え、ええっ?」


 周囲の声の大きさに思わず二人がまわりを見回せば、クラスメイトのほとんどが、わざとらしいくらいに他方向へ顔を向けていた。

 唯と成美はお互いの顔を見合わせる。


「ちょっとナミちゃん、変なこと言わないでよ」


 声のトーンを下げて抗議すれば、成美もばつが悪そうに肩をすくめる。

 しかしすぐに意地悪そうな笑みを浮かべて「でもさ」と口を開く。


「ユイちゃん可愛いから彼氏の一人や二人、三人くらい、いそうじゃん?」


「一人や二人、三人って……」


 からかわれていることはわかるが、少し悪意を感じる物言いに唯は絶句する。

 しかし成美はそんなことは構わずに話を続ける。


「だってこの一か月で、どれだけ告白されてる?しかもみんな断ってるし、誰だって彼氏持ちだと思うでしょ?」


「そ、そりゃ……その、そうかもしれないけど……」


 わりと正論のように言い切られてしまえば頷かざるを得ない。

 それでも実際は誰とも交際をしているわけではなく、しかしその理由を成美や萌には話せていない後ろめたさが戻ってくる。

 何だか身体の調子も今ひとつで鬱屈とするし、もともと秘密を抱えるのが得意ではない。

 どうせいつかは言おうと思っていたのだと自分に言い聞かせると、不思議なくらいに心が軽くなるのを感じた。


「あ……あのねナミちゃん」


 唯は椅子にきちんと座り直すと、少し身体を乗り出してナミの耳元で囁くように呼びかける。


「んん、なに?」


 成美は唯の不意の行動に内心ドキリとしつつ、最小限のリアクションで応える。

 唯の整いすぎるほど端正な顔がスッと近づいて、柔らかそうな唇を間近で視野に捉える。

 一瞬、キスをされるのではないかと思ったが、耳朶にかかる吐息まじりの声にそうではないと我に返る。


「ねえ、ナル~」


 だが唯の小さな声は明確な言葉となる前に、廊下から成美を呼ぶ声にかき消されたのだった。




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