20
唯が家族に就寝の声をかけて自室に戻ると、勉強机のわきに置いてあったスマートフォンが、着信を知らせるランプを明滅させていた。
手に取ってみればやはり相手は健で、2通のメールが時間を開けて届いていた。
一通目は帰り道から送ったのだろう、唯を送り届けてからさほど時間を空けずに、今日逢えたことを純粋に喜んでいる内容だった。
もう一通は、つい先ほどの時刻になっていて、唯からこの一年の話を聞いたことについての感謝と感想、そして話しづらいこともあったのではないかと慮る文章がしたためられていた。
また最後に、もっと話したかった、また逢いたいという言葉が添えられていて、別れ際に寄せられた熱い眼差しがじんわりと思い出される。
唯はベッドに仰向けに横たわって、何度もそのメールを読んだ。
文面から伝わってくる健のまっすぐな気持ちに、唯はどう返して良いのかわからなかった。
それとともに、先ほど頭をもたげた考えが蘇ってくる。
”今日は危ないところを助けてくれて、ありがとうございました。
話をすることも出来て良かったです。”
とりあえずそこまで書いて、しかしそれ以上は先に進まない。
書きたいことは多くあるようで実は些少なのだと思い至る。
何より、健と唯は知り合った日を含めてもまだ、二日しか逢っていないのである。
つい先ほど連絡先は交換したものの、およそ一年に近い日数を、互いに名前だけしか知らないままに過ごしていた。
そのことに気づいて、唯は少しおかしくなった。
”あれからずっと、君だけを探していた”
返信の手を止めて今一度、健からのメールを開けば鮮烈な言葉が目に飛び込んでくる。
目の前にいるわけではないのに、声が聞こえてくるような気がして頬が熱くなるのを感じる。
こんなこと書いて恥ずかしくないのかなぁ……なんて照れ隠しにひとりごちるが、でも嬉しいとは思った。
再び返信の画面を起動する。
”実は私もずっと”
熱に浮されたようにそう書きかけて、慌てて消した。
いけないいけない、これじゃあまるで「男の子」だった唯人が恋焦がれていたみたいじゃないか。
それに、たとえ二度目の告白だとしても、健が見ているのはあくまで外見を仕立てた「ユイ」という少女であって、「篠崎 唯」という「篠崎 唯人」でもあった人物の内面を見ているわけではないのだ。
そう言い訳じみた自問自答をしている中で、ふと、それならば小学校からずっと一緒にいた明斗はどうなのかと思い至る。
夏の終わりに告げられた言葉が思い出されて、彼の息づかいと抱きしめられた腕の強さも蘇る。
明斗は、唯が男であっても良かったという表現でもって、秘めていた恋情を吐露してきた。
思い返せばあの時はまだ、その言葉の尊さに気づけずにいて、覆いかぶさってくるような好意から怯えて逃げ出したのだとわかる。
最近はメールのやりとりも減っていた明斗と久しぶりに話がしたくなって、時計を見れば23時になるところだった。
”夜分にごめん、電話しても大丈夫?”
短く、用件だけを送ればすぐに着信があった。
「もしもし?」
『どうした?』
起き上がりベッドに座りなおせば、携帯電話から聞こえてきたのは心配げな声だった。
「ごめんね、寝てた?」
『いや大丈夫だけど、どうかしたのか?』
「うん……ちょっとね」
声が聞きたくなったのだと言いかけて、辛うじて飲み込んだ。
ずっと疎遠にしてきたのに、突然すり寄るようなことを言うのはためらわれて、本心は少し隅に追いやって言葉をつなぐ。
学校のこと、部活のことなどをひとつふたつ尋ねれば、唯人であったときに親しかった同級生のことや、明斗が自分の種目以外にも学校対抗リレーの代表メンバーに、2年生ながら選ばれたことなどを話してくれた。
『そっちは、どうなんだ?』
ひととおり話して、今度は明斗が尋ねてくる。
唯はわずかに逡巡して、しかし今日の出来事を話した。
「今日ね、健くん……と会ったんだよ」
『……健と?』
「うん、実は同じ学校だったんだ」
『へえ……それで、健にまた何か言われたのか?』
「ううん、そんなことない。優しかったよ、驚いていたけど」
『だろうな』
「それでね、明斗に聞きたいことがあって」
『……なんだ?』
居住まいを正したことが伝わったのだろうか、電話の向こうの声も少し硬くなった気がする。
「明斗は私の……どこが好きだった?」
『……』
「……」
思い切って尋ねた返答は、沈黙だった。
「……明斗?」
『もう、オレって言わないんだな』
「うん……まあね」
『……健から、何か言われたのか?』
「質問に質問で返すのはさ、ダメなんだよ」
『……言われたんだな』
「……」
沈黙は金と言われるが、この場合はただ肯定しているだけである。
けれど、わかっていても上手くごまかす自信はなかった。
電話口から、ため息がひとつこぼれ落ちた。
『……なあ』
「な、なに?」
『なんで”好きだった?”って過去形なんだ?』
「え?」
『なんかさ、勝手に終わった。みたいな言われようだけど、俺はそうは思ってないから」
「……」
淡々と、しかし熱意をまとった言葉に唯は返す言葉がなかった。
明斗はその様子を感じ取ったのか、ふっと息を吐いた。
『……ところでさ、来週の土曜か日曜に、逢わないか?』
「……えっ?」
『そしたらその時、さっきのこと話すから」
「えっと……」
『予定、あるのか?』
「土曜日の午前中は授業あるから……それ以外なら」
明斗に色々と追求されるのかと思いきや、急な話題転換に唯は困惑する。
頭に浮かんだカレンダーには何の用事も書かれていなかった。
はたして明斗が何を考えているのか今ひとつ掴みきれないが、唯の返答に彼の声は明るくなる。。
『土曜日は何時に終わるんだ?』
「……12時半くらい」
『じゃ、それに合うくらいに駅前で決まりな』
「え、ちょっと待ってよ、それじゃ制服のままじゃん!?」
『だから、いいんだろ?』
「むう……」
『だって制服姿の画像を送ってくれって頼んでも、いつもダメだって言うだろ?』
「そ、それはだって……恥ずかしいよ」
『だから、もう直接見に行くしかないだろ?』
「ううっ……」
明斗の独自理論に返す言葉がなく、さりとて電話をかけたのは唯のほうで断るわけにもいかない。
ここまで少なからず会うのを避けてきた手前、これ以上邪険にするのは悪いとも思った。
「……もう、わかったよ」
不承不承に頷けば、電話の向こうは夜中だというのに『よっしゃあ!!』と叫ぶ。
「ちょっと明斗、うるさいよ!もう遅いんだから」
『あ?ああ……ついな』
「ついじゃないよ、もう」
『スマン、本当に久しぶりに話したからさ』
「……うん」
『ま、そんなわけで来週の土曜日、楽しみにしてるから。可愛くしておくんだぞ』
「え、なにそれ?」
最後の不穏な一言に疑問を呈するも、明斗はじゃあ、おやすみと言って一方的に電話を切る。
もはや彼の意識はすでに来週へ飛んでしまったようだ。
唯が慌てて呼びかけるも、既に画面は通話終了を告げていて、断続的な電子音だけが残されていた。
「……もう、相変わらず勝手なんだから」
こちらも終了のボタンを押して、ため息をつく。
無音の携帯電話に小さな悪態をこぼすが、何となく気持ちはすっきりしていた。
突然の電話、いきなりの問いに明斗は答えをくれると言っていた。
来週まではやや遠い気がするものの、これまで遠ざけようとしていた親友に逢うことが楽しみに思えてくるから不思議だった。
明かりを消したところで、唯は健からのメールに返信をしていないことに気づいた。
ベッドに横たわり、書きかけのメールを呼び出す。
当たり前だが、先ほどのまま一文字も増えていない文面が暗闇に浮かび上がる。
再び何かを書こうと頭をひねるが、そのうちに眠気が襲ってきて諦めざるを得なくなった。
”短くてごめんなさい”
それだけを付け足して、送信ボタンを押す。
小さな電子音とともに送信完了のイラストと文字が表示されたのを確認すると、画面を消してひとつ息をついた。
目を閉じればすぐに意識は遠のいていって、今日あった様々なことも夢の中へ溶けていった。




