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君の微笑と僕の戸惑い  作者: 英雄
17/26

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 4月当初の体育の授業は体力測定になっており、いくつかの種目を数時限にわけて行われる。

 唯は出席番号が後ろの女子とペアになってお互いに記録をつけたり、結果に一喜一憂したりした。

 スケジュールの大半を消化して気がついたことは、瞬発力が必要な走り幅跳びや短距離走などは、同年代の女子平均よりも少し良いくらいだったことだろう。

 むしろ後で聞いた成美や萌のほうがよほど好成績だったことに、少なからず衝撃を受けたのは言っていない。

 中学までは男子として過ごし、部活動も当然のことながら男子と一緒の練習を積んできたという自負があったため、ブランクはあれどそれなりの結果を上げられるのではないかという期待は、見事に裏切られたのである。


 そして今日は最後の種目である長距離走に挑もうとしていた。

 男子が1500メートル、女子は1000メートルを走りタイムを計測するのだが、もうこの頃になると自分の能力を過信することもなくなっており、自分のペースで走ればいいや。という諦観すら抱いていた。


「やっと最後だね」


 男子の計測が終わり、唯がすっかり勝負靴となった、明斗に買ってもらったシューズの靴ひもを結びなおしながらスタートを待っていると、後ろから声をかけられた。


「そうだね」


 声で誰なのかはすぐにわかって、立ち上がると振り返りつつ頷く。

 案の定そこには萌が手足をブラブラと動かしながら立っていた。


「唯ちゃん陸上部だったんでしょ?どのくらいで走れるの?」


「うーん、しばらくちゃんと走っていないからわからないよ……萌ちゃんはバスケ部だし、速いよね。きっと」


 早朝のランニングは欠かしていないが、タイムを出す走りからはずいぶん遠ざかっていた。

 唯は正直に答えて、自分も軽く手足を伸ばしてみる。


「そんなことないけど、中三のときは陸上部の子に負けたから今年は勝ちたいかな」


 萌はアキレス腱を伸ばしたり、肩を回したりしながら気負いなく呟く。

 それからすぐに教師からの指示があって、長距離走はスタートしたのだった。

 




・・・・・・・・・・



「はぁ、唯ちゃんあんなに速いなんて反則だよ」


「ご、ごめん……」


「いや、謝られてもツライけどね」


「ううっ……」


 体育が終わり着替えをしていた更衣室で、萌は唯の横でブラウスのボタンを留めながら拗ねたように唇をとがらせた。

 怒っているわけではないことは明らかではあるが、少し気まずい思いを感じながら唯はのろのろと体操服を脱ぐ。


「それにしてもダントツだったし、現役の頃はもっと速かったんでしょ?中学のときはけっこう良いところまでいったんじゃない?」


 すでにスカートまで身につけて、裾のシワを取りながら萌は尋ねる。


「えっ?……ううん、そんなことなかったよ。いつも補欠で記録係だったし」


 ようやくブラウスの袖に腕を通しながら問いに応えれば、萌はええっと驚く。


「えっ!?嘘でしょ、だってさっきのメンバーに一年だけど陸上部の長距離エースの子だっていたんだよ?」


「そ、そうなの?」


「そうだよ」


 唯の声に応えたのは、二人の背後にいた人物だった。

 身長は唯と同じくらいで、よく日焼けした顔とショートボブの髪型が似合う細身の少女だった。


「えっ……」


「あ、美佳ちゃん」


「篠崎……さんだっけ、中学はどこだったの?」

 

 少女はすでに制服に着替え終わっており、体操服が入った手提げを抱えながら唯の正面に向き直る。

 切れ長の瞳をやや鋭くして問われたところで、そういえば最後の周に入るところでこの少女を追い抜いたと唯は思い出した。


「え、えっとぉ……」


 とっさに答えそうになるが、当時は男子生徒として通っていたこともあり、校名を口にするのは憚られた。

 他県ではあるものの、母校の陸上部はそれなりの強豪として名前が知れていたはずだった。

 たとえ万年補欠の半マネージャーであったとしても、ふとした時に名前が挙がらないとも限らないのである。


「……まぁ、いいか。どうせ聞いても、知らないところかもしれないしね」


 言いよどむ唯の様子から、何を思ったのかを伺い知ることはできなかった。だが、とりあえず追求はされないようで唯は内心ホッと息をつく。


「……で」


 美佳という少女はそのまま二人のもとから離れるのかと思いきや、顎を少し前に突き出すようにして再び唯を強い目線で見据えた。


「で……?」


 何となくオウム返しに訊けば、少女はこほんとひとつ咳払いをした。


「いつ練習に来るの?」


「……え?」「……は?」


 一瞬、何を言われたのか理解が出来ずに唯と萌はポカンと口を開けて絶句する。

 だが美佳は、そんな二人のことなど気にも留めずに続ける。


「あんなに速いんだから、もちろん陸上部に入るよね」


「……」


「……」


 唯と萌は互いに顔を見合わせて、どう返せばよいかと途方に暮れた。

 しかし美佳は困惑する二人の様子もなんのそのである。


「入部届はあとで渡すから、放課後グラウンドの西側倉庫前で集合ね」


「え……っと、その、ちょっといいですか?」


「なによ」


 自分の世界に入ってしまった少女に慄きつつも、唯がためらいがちに尋ねれば案の定、美佳はちょっと気分を害したようだった。


「せっかくのお誘いですが、私は陸上部に入るつもりはないんです」


「なんですって」


「陸上……走るのは好きですけど、競技をしようとは思っていないので」


「……だったら、なんで私を抜いていったのよ」


「それは……」


 美佳に言われて唯は答えに窮する。

 1000メートルはトラック競技としては中距離と言っていいだろう。しかし3分少々の時間の中でもペース配分や他走者との駆け引きなどがあり、しかも現役陸上部員もいる中での一位フィニッシュである。

 それは競技の心得と競争心がなければ困難な結果と言えるだろう。

 少なくとも走るのが好きで、自分のペースで走っていたら一番速かったみたい……といった言い訳は(本当のところであったが)通じないと直感する。

 

「……まあ、いいか。とにかくやる気になったら、さっき言った場所に来て」


「……はい」


 何だか年上みたいな調子に乗せられて、もやもやとする内心を隠して唯は頷いた。

 すると気が済んだのか美佳はくるりと振り向いて、そのまま更衣室から出て行ったのだった。

 


・・・・・・・・・・



 時間は少し遡り、唯や美佳がトラックを走っていたちょうどその頃、数名の生徒がその様子を教室から眺めていた。

 二学年のその教室は控えめながらも騒がしく、その原因は授業担当教員の欠勤だった。

 急な体調不良だったため与えられた課題のプリントは一枚きりで、多くの者は授業時間の開始早々にやり終えてしまった。

 他のクラスは授業を行っているために廊下に出ることは憚られて、さりとて出来ることは多くない。

 真面目な数人は塾のためのテキストを開いたり、本来なら受けるはずだった教科書をペラペラとめくったりしていたが、大多数はスマートフォンを取り出してゲームやメールを始めていた。

 中西智也はそんなクラスメートを横目にグラウンドを走る少女たちについて、前の座席に座る陸上部員の友人と話の肴にしていた。

 ちなみに友人の名は中田一樹という。中学からの仲で、一文字違いの苗字により近くにいることが多かった。


「いま走っているのって一年だよな」


「ああ……そうだな、うちのエースが先頭だわ」


 智也の呟きに、一樹は少し誇らしげに応える。

 トラックを何周しているのかはわからないが、先頭を走る美佳は軽快なストライドで走っていた。


「エースって、女子の長距離は一年がエースなのか」


「そう、あの子は中学では県1位になって、関東大会にも出たんだよ」


「へぇ……」


「それに女子の場合は年下のほうが身体が軽くて有利だって聞いたことがあるな」


「ふうん、じゃあさ……後ろにいる子は?」


「へっ?」


 智也に言われて見れば、独走かと思われた美佳の背後に、いつの間にか一人の走者が迫っていた。


「あれは?」


「いや、知らないな」


 最初に見たときは気づかなかったが、栗色の髪と豊かな胸を揺らしながらの追走は、細い手足に似合わず力強い。


「一年生……かな」


「……だな」


「けっこう速い、追い上げてるな」


「……っていうか、すげえ可愛くない?」


「あ、それ俺も思った。遠目で見ても美少女っているんだな」


 二人は顔を見合わせて頷きあう。

 そう話している間に、栗毛の少女は陸上部エースに肉薄していた。


「あっ、もう抜く!」


 並んで間もなく前に出ると、ぐん、と加速する。まるでギアが切り替わったかのようだ。


「ラスト一周に入るところで抜いてスパートって、男子みたいな走り方だなぁ」


 智也と一樹が盛り上がっていると、その声を聞きつけて近くにいた数人の男子も観戦の輪に入ってきた。


「なになに、どうしたん?」


「1年女子の持久走がアツイんだよ!」


 一樹が即答すると、皆一斉にグラウンドへ視線を向ける。


「今トップって誰?陸上部?バスケ部?」


「なんか女子の持久走って、ちょっとエロいよな」


「あ、それ俺も思った」


「トップは……知らない子だけど、美少女」


「2位は陸上部だろ」


「たしかに可愛いな、胸もでかい」


「いや、あれは胸が大きいんじゃなくて、細いからでかく見えるんだろ」


「出たなおっぱい星人め」


「でもホントに、アイドル?」


「誰か検索してみろよ」


「名前知らねーし、芸名かもよ」


「そもそも芸能人じゃないだろ……たぶん」


 人数が集まれば、途端に会話が迷走していく。そして野次馬たちの関心はタイムや走法よりも、少女たちの顔かたちやスタイルに向けられていった。ある意味正しいとも言えるが、わりと真剣に見ていた智也と一樹はやや顔をしかめる。


「あーあの子知ってるよ。たしか四月からの入学組で、めっちゃ綺麗でスタイル抜群の子が入ってきたって弟が言ってた」


 突然思い出したように言ったのは、年子の弟が1年生にいる同級生である。


「「「「「へぇ」」」」」


 見事に反応がそろい、一瞬顔を見合わせて沈黙する。もちろん智也と一樹もである。

 グラウンドを見ればトップを快走した件の少女がゴールしたところで、両膝に手をついて息を整える姿がやけに艶めかしい。

 後続のランナーも次々とやってきて、すぐにその姿は紛れて見えなくなった。



「たしか名前はユイ……篠崎唯って、言ってたかな」





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