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君の微笑と僕の戸惑い  作者: 英雄
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「どうしよう……」


 五月の連休でごった返した駅のホームで、少女は呟いた。

 この四月に中学校へ入学して、迷わずバスケットボール部に入部した滝本 成美にとって最初の遠征試合は、ひとりボールバッグを抱えたまま呆然と立ち尽くす状況に陥っていた。

 事の発端は満員に近い電車の中で、ちょっと怖い先輩や、小学校から一緒だった親友の岩崎 萌と離れてしまったことにある。

 行楽客たちにもみくちゃにされながら、気がつけば車中には同じジャージを着ているチームのメンバーは誰もおらず、しかもそれがいつの時点からであったかもわからなかった。


「……どうしよう」

 

 はぐれたと知ってすぐに次の駅で降りたものの、連絡を取りたくてもジャージのポケットにはICカードとハンカチだけ。

 顧問から渡されていたプリントが入った自分の荷物は、ボールバッグを持つからと萌に預けてあった。

 冷静であったなら、乗ってきた反対方向の電車に乗って戻れば、成美がはぐれたことに気がついたメンバーの誰かが待っていてくれるだろうと、考えることも出来ただろう。

 しかし成美は生まれてこのかた一人で電車に乗ったのは、実はこのはぐれてからの数区間なのである。自慢にはならないが。

 混乱した頭にはなぜか『ドナドナ』が流れ、先ほどから同じ言葉を繰り返すしかなかった。  


「最悪……」


 ほとほと困って視界がぼやけてきた、その時だった。背後から声をかけられたのである。


「あれ、ウチの女バスの子じゃん?どうしたの、こんなところで」


 俯いていた顔を上げて振り返れば、そこには同じ学校の制服を着た背の高い少年が立っていた。

 逆側のホームに止まった電車から降りてきたのだろう。改札に向かう人の波から外れて来たらしい。

 日焼けした顔と制服姿でもわかる、しっかりとした体格に彼が運動部に所属しているのがわかった。


「あ、俺は誰かって?そうだよね、急に声かけられたら困るよな。俺は二年サッカー部の山岸 健っていうんだけど、君は?」


 ニカっと向けられた笑顔に胸がドキリとする。

 見上げたその顔は少し外国の血が入っているのだろうか、ややウェーブがかった短い黒髪と彫りの深いマスクは、美術室で見た彫像のように整っている。

 ちょっと趣味のいい私服だったらきっと、芸能人かモデルかと思っただろう。

 しかしサッカー部という言葉に妙な現実感を覚えて、自分が知るバスケ部やバレー部などの男子たちとは違う、土の香りが感じられた気がした。 


「え……と、一年の滝本……成美です」


「ふーん、今日は大会?」


「そうなんですけど……」


 成美は思い切って、女子バスケ部の部員たちとはぐれたことを話した。

 すると健はまた笑って「今日はどこも混んでるからな」と呟く。


「大会だったらたぶん、ここから三つ戻った駅から行く総合体育館だと思うよ」


 少年はそう言って、近くにあった路線図のところに成美を案内した。


「三つ……ですか」


「そう、ここから反対側のホームに行って、来た電車に乗れば大丈夫……だったかな。たしか快速とかでも止まるはずだけど」


 しかし説明を聞いてもまだ成美の表情は暗いままだった。

 そんな様子を見て健は少しだけ困った顔をしたが、すぐにまた笑顔になり、口を開く。


「電車……あまり乗ったことないの?」


 健の優しい問いに、成美は黙って頷いた。


「じゃあさ、俺と一緒に行こうか。ちょうど同じほうに行こうと思ってたから」


「えっ……」


 思いがけない言葉に成美は顔を上げる。

 いくら察しの悪い成美でも、健が何かの用事でこの駅に降り立ったことはわかる。

 彼の提案が成美を案じての方便だということは明らかだった。


「そ……そんな、悪いです!」


 慌てて両手を振って断るが、健は気にする様子もなく成美が傍らに置いていたボールバッグをひょいと持ち上げた。


「いいって。それより今、電車来たから乗らないと」


 そしてそのまま、成美を促すようにホームへ滑り込んできた電車のほうへと歩き出す。


「えっ……あ、ちょっ……」

 

 考えをまとめる時間もないままに、一抱えもあったはずの大きなボールバッグを、まるで通学カバンのように下げる背中を追いかける。

 今度ははぐれないようにドアまで近づくと、発車を知らせるメロディがホームに流れたのだった。



・・・・・・・・・・



「……と、いうわけ」


「はぁ……」


 真っ赤な顔を両手で押さえながら、それでも当時の状況を詳しく説明してくれた成美に、唯は息を止めるように聞いていた。

 話が終わり、とりあえずホッと吐息を漏らせば、目の前の少女はまだ追憶の中にいるようだった。


 結論から言うと、健の言っていたことは正しかった。

 二人で乗った電車が三つ目の駅にたどり着いてみると、そこには数人の女子バスケットボール部のメンバーがホームにいて、その中には成美のカバンを持った萌も待っていた。

 先輩部員からははぐれたことを叱られて、萌からは心配をかけたことをなじられたが、それより意外だったのは健のことを自分以外の全員が知っていたことだった。

 健は成美を萌たちと引き合わせると、そのまま多くは語らずにホームの人波の中へと消えていった。

 その後ろ姿を見送ったところで、成美はその場にいた全員から一斉に健とのことを訊かれる羽目になったのである。

 特に先輩部員たちは目を血走らせて二人の関係を問いただしてきたので、成美は慄きつつも事実をほとんどそのまま話した。

 成美の説明で二人が初対面であることがわかると、全員が一斉に安堵のため息をついたのはおかしかった。


 その時はまだ、成美にとって山岸 健という人物は背の高い、ちょっとお節介なほど優しい先輩という程度の認識でしかなかった。

 たしかに混血のモデルのような容姿に強い光を湛えた瞳は、見つめられれば体温はうなぎ登りに上昇しそうだった。

 けれど、それもどこか空想の人物みたいで、去り際のさり気なさも手伝って白昼夢のただ中にいるような気さえしていたのである。

 それが大きく変わることになったのは、それからしばらく経った後のことだった。



・・・・・・・・・・



 ある休日の昼下がり、部活の練習が終わって帰宅すると、ちょうど昼食の用意が出来たところだった。


「ただいま」


「おお、おかえり」


「おかえりなさい。遅かったわね」


「うん、コーチの話が長くて」


 リビングルームのテーブルについてテレビのサッカー中継を見る父と、キッチンからフォークを持ってきた母が成美を迎えた。

 成美はとりあえずカバンを自分の部屋に置くと、両親が待つ部屋に戻る。


「あーお腹すいた!いただきまーす」


「はいはい、今日はいい焼き豚を頂いたから特製チャーハンよ」


「わーおいしそう!」


 自分の席につけばスープとサラダも並んでいる。

 スープは中華な定番のわかめではなく、野菜がふんだんに入ったトマトスープだった。



「アナタ、お昼だからテレビを消しましょう」


「ああ……でも、これはちょっと見たいんだ」


 モソモソと食べ始めた夫に成美の母が注意すると、視線はそのままに応える。

 普段は行儀が悪いと言ってすぐに消すのに、そういえば自分が帰って来てからずっと真剣に画面を見つめていたことを思い出した。

 成美の父、和久はスポーツ系大手出版社の雑誌編集部に勤務しており、自身も大学までバスケットボールをやっていた。

 根っからのスポーツマンで、四十を過ぎた今でも仲間たちと身体を動かしており、仕事柄もあってスポーツ全般に詳しかった。

 成美がバスケットボールを始めたのも父の影響が大きかったし、母の千晶はフィットネスクラブのインストラクターをしている。

 また成美には小学5年生の弟がいるが、今日は少年野球の合宿に出かけていた。

 つまり滝本家は生粋のスポーツ一家と言えるだろう。


「これ、何の試合なの?高校生?」


 父が目を離せないサッカーの試合というのが気になって、成美もテレビ画面に目を向けつつ尋ねる。

 体格やユニフォームのデザインから、高校生の試合のように見えて素直に聞いてみた。


「いや、これは中学生だし……成美の学校のサッカー部だぞ」


「えっ?」


 父の意外な返答に、思わず口元に運んでいたレンゲが止まる。

 聞けばチャンネルは地元のローカル局で、生中継は県大会の決勝戦だった。対戦している相手は全国クラスの強豪校らしかったが、母校の選手たちも善戦して一進一退の試合模様らしい。

 画面に映る選手たちの中に見知った人物がいないかと目を凝らせばちょうどオフサイドになったらしく、ホイッスルが鳴り響く。


「へえ……」


 感嘆の声を上げる娘に、和久は担当している雑誌の特集で近々、いろいろな競技の中高生プレーヤーを紹介する記事を書く予定だと言った。

 対象は関東・関西大会以上だが、個人を取り上げるのはその限りではないらしい。

 つまり話題性があれば取材を考えるということである。


「じゃあさ、ウチのサッカー部にも、もしかしたらインタビューに来るの?」


 成美はチャーハンをモグモグと食べながら尋ねた。

 傍らで母がはしたないと窘めるが、いつものことである。


「そうだなぁ……たしかまだ二年生のストライカーがいたよね、背の高い10番をつけてる……」


 訊かれて和久は、ほら今もここに映っているだろう。と画面を指さした。

 その選手はボールを保持すると、前方にいる仲間に何やら叫んでいた。どうやら指示をしているらしい。


「たしか名前は山岸くんって言ったかな」


「ええっ?」


 父の言葉に成美は飲みかけのトマトスープを吹き出しかける。

 よく見ればそこにはたしかに、先日駅で会った健の姿があった。

 健は横から突進してきた相手をするりとかわし、さほど力が入っていないようなキックで長いパスを出した。

 そのボールは緩やかな弧を描いて飛び、サイドライン際を走っていた仲間の足先に届く。

 パスの正確さに息を呑むが、健は既に前へ走り出しており、あっという間にゴール間際に迫っていた。

 守備を二人かわして飛び込んだところに、大きな弓なりのパスが上げられる。

 そこへ踏み切って跳んだ健が合わせて、長い滞空時間のままにヘディングシュートを放った。

 追いすがってきた相手選手よりも頭一つ抜き出た、高い位置からのそのシュートは、バレーボールのスパイクのような角度でキーパーの脇をすり抜け、ゴールネットを揺らしたのである。


「おっこれは……いいね」


「ほ、ホントだ……すごい」


 競技場が歓声に揺れて、ピッチの上では背番号10の少年が両手を天に突き出して喜びを表していた。


「知り合いなのかい?」


 娘の反応に興味深いものを感じたのか、和久は画面から身体ごと向き直る。

 成美はすでに母親には話してある、先日の出来事を説明した。



・・・・・・・・・・


  

「へえ、そんなことがあったんだ」


 健が、迷子になった成美を仲間のいる駅まで連れていってくれた話を聞いて、和久は素直に感心したようだった。


「ええ、今時珍しいくらい優しい子よね」


 母の千晶も健のことを気に入っている様子で、実際には会ったのこともないのにまるで知っているかのように頷いている。


「……なるほど、今も見たけど彼の存在が今年の快進撃につながっているんだろうね」


「……どういうこと?」


 少し考えて口を開いた和久の言葉に、成美は尋ねる。

 父曰く、成美の学校のサッカー部はたしかに県内でもトップクラスの一角ではあった。

 しかし他にも強豪校がいくつかある中で、どうしても勝ちきれずにいたのだと言う。

 それが現在のメンバー構成になった昨年の夏あたりから、じわじわと実力を増してきているらしかった。

 現にこの決勝戦へと進む道程では、今の対戦相手と同じ全国レベルで、前年の県大会王者を倒してトーナメントを上ってきていた。

 上位大会の下馬評としては早くもダークホースと目されているのだということだった。


「これは聞いた話なんだけど、その原動力になっているのがこの山岸くんらしいんだよ。スピード、パワー、フィジカルとすべて抜きんでていて、2年生ながら全国でもトップクラスのストライカーなんだって」


「へええぇ」


「そして彼のすごいところは、エースなのに仲間を使って得点をするのが巧いらしいんだ」


「仲間を使って?」


 父の言葉はまるで謎掛けのようで、オウム返しに問わずにはいられない。


「言葉のままだよ。今みたいに自分がシュートを決めることもあるけれど、それよりもアシストをしたりフォーメーションの基点になったりして仲間のシュートを演出するんだね」


 そうするとどうなるか……ただでさえ得点源になるエースストライカーが、他の選手も使って多角的に攻めてくるとなれば、相手としては守りにくいことこの上ないだろう。

 飄々として優しいという印象が出来上がっていた健が、サッカーでは実にクレバーで強い選手だということを成美は父の解説で理解した。

 それとともに、なぜか画面の中で躍動するエースナンバーが、やけに現実的な実感を伴って山岸健という人物を少女の胸に刻み込んだのである。

 それから成美は思い立ったが吉日とばかりに、その日のうちに父の情報網を伝って女子サッカーのクラブチームに入ることにした。

 もともとバスケットボールでも運動能力の高さを発揮していたため、程なくしてチームの主力選手の一人となり、現在に至るのである。




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