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君の微笑と僕の戸惑い  作者: 英雄
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 4月当初はオリエンテーションがほとんどで、授業は始まってはいるものの、教師の自己紹介やカリキュラムの説明などが多い。

 昼前の4時限目は日本史で、今日が最初ということで流れは他と同様だった。

 唯は真新しい教科書をぺらぺらとめくりながら、板書された教師の名前と授業計画を眺めていた。

 するとまだ開始15分ほどであるにもかかわらず、前に座る成美が半身に振り返って、ひそやかに声をかけてきた。

 ここ数日のなかですっかり気安くなった成美は、休み時間はおろか授業中にも時折こうやって唯に話しかけてくるようになっており、本格的に授業が始まってもこのままだったら、どうしようと内心は考えている。


「ねえ、お昼食べたら午後は部活説明会と見学解禁だよね」


 言われて、そういえばそうだったと頷く。


「やっぱり陸上部に入るの?」


「うーん、考え中」


 唯もこそこそっと応える。そこで板書を終えて、生徒の方に向き直った教師と目が合う。

 慌てて身振りで成美に前を向くように告げるが、二人のやりとりを咎める声の方が早かった。


「そこ、楽しそうにしているのはいいが授業中は前を向きなさい」


「はーい」


 成美はくるっと前向きに身体を戻して、ちょっとばつが悪そうに返事をする。

 後頭部をかくその姿は本当に少年のようだと思う。

 

「……スイマセン」


 唯も肩を落として、四十台半ばの教師に謝る。

 注意をすれば気がすんだのか、それ以上は何も言ってはこなかった。

 再び板書を始めた教師のチョークを握った手先を目で追いながら唯は、先ほど成美から聞かれた問いを反芻する。

 部活動については入学の前から迷っていた。

 たしかに陸上をもう一度やりたいという気持ちはある。

 早朝のランニングは今でも続けていて、荒天や体調不良でない限り毎日走っている。

 いっぽうで母親の美琴からは陸上部に入ることを良しとは言われていない。

 それは唯の肌が陽光に強くないため、中学の時にもあった日焼けによる肌のトラブルを危惧しているからだった。

 唯が女性として生きることになってから、美琴はそれまでの時間を取り戻すかのように女の子としての「あり方」を口にすることが多くなった。

 身だしなみや立ち居振る舞いはもちろんのこと、こういった日焼け対策についても「将来のシミ、ソバカス、シワ、タルミにつながるわ!」と言って、帽子やら日傘やらをいくつも用意してきた程であった。


 また、中学時代は努力を重ねたもののタイムは伸び悩んで、どんどんと下級生に抜かれてしまった経緯があり、その記憶はひそかに、だが確かに唯の胸中で黒く沈んだ滓のようになっていた。

 どれほど頑張っても、どんなに速く走っても周りがそれ以上のスピードを得ていく過程は、当時の唯人に絶望と恐怖を植え付けていった。

 それが足かせとなって、大会前に何度かは訪れた出場メンバーの選考レースでも思うような結果を残すことは出来なかったのである。


 今となってみれば男女差の違いであり、女子として見れば相当に高水準のタイムであったのだが、唯はまだそのことに気づいていなかった。

 ともかくも、いま再び走ることを自分の中心に据えたとして、もしまた中学の時と同じような状況に陥ってしまったとしたら、怖い。


「……ちゃん、ユイちゃん……」

 

 名前を呼ばれていることに気が付いて我に返れば、先ほどと同じように振り向いた格好の成美が、唯の顔をのぞき込んでいた。


「あ、え……っと、何?」


「何じゃないよ、もう授業終わったしお昼食べよ」


 ぼんやりしていた唯の様子に呆れた顔で、成美は自分の弁当箱を唯の机に載せる。


「あ、うん、そうだね」


 パチパチと瞬きをして先ほどの落ち込みかけた思考を振り払うと、唯も机の横から小さな手提げを取り上げた。


「相変わらず少食だね、それで足りるの?」


「うん、食べすぎると眠くなるし……それよりナミちゃんのお弁当は、よく食べきれるよね」


 成美が二人の昼食を見比べてそう尋ねるのは、もういつものことだった。

 そして唯も自分の倍以上ある大きさに、ご飯やおかずがぎっしり詰まった成美の弁当箱を眺めてそう返すのもまた最近は定番になっている。

 ちなみに唯が成美を「ナミ」と呼ぶのは『「ナル」だとナルシストみたいで嫌だから』という理由からである。


「まあね、今日はクラブの練習あるし。何より育ちざかりですから!」


「そうだね」


 唯は皮肉を言っているわけではないし、成美もあっけらかんと応える。

 裏表のない少女の態度に唯は入学当初の緊張が、だいぶ薄れていると感じていた。


「だけどさ、不公平だよ」


 不意に、成美が眉間にしわを寄せて難しい顔をする。

 食べはじめてまだ10分ほどだが、大きな弁当箱の中身はすでに半分以上が消えていた。


「……なにが?」


 ミニトマトを口に入れかけた唯が尋ねる。


「だって、なんでユイちゃんはあまり食べないのに、私より胸が大きいんだろうって」


「えっ」


 不意打ちな言葉に、箸からすべり落ちた赤い果実が成美の弁当箱に転がって入った。


「おっ、いただき!」


「あ、ひどい」


 つるりとした闖入者を黒塗りの箸でブスリと刺して、成美は迷わず自分の口に入れた。

 思わず唯が声を上げると、もきゅもきゅと咀嚼する口を余計に嬉しそうに動かした。


「んとに、もう……」


「んーごめんごめん、代わりに何か取っていいからさ?機嫌直してよ」


 ため息をついて唇を尖らせば、笑って大きな自分の弁当箱を差し出してくる。だが、もうほとんど残っていなかった。


「ミニトマト好きだったのに……」


「あーもう、ごめんって!わかった、今度一緒に帰るときにアイスおごるからさ!許して?」


 ジト目で非難すれば少しは悪いと思ったのか、成美はそう詫びて両手を合わせる。

 実際にはさほど怒ってはいないのだが、唯はツンとした顔のまま腕を組む。


「そーだね、あとはもう胸のことは言わないでよ。恥ずかしいから」


「えーっ」


「えーじゃないよ、ホントに恥ずかしいんだもの」


 渋る成美にお願いだからと念を押せば、わかったよとの返事。

 だがホッとして気が緩んだのがいけなかった。


「そんなに大きい方がいいのかなぁ……」


「あーそのセリフ、持ってるものの上から目線だよね」


 ぼそりと呟けばグサリと返された。

 唯自身が男として生活していたときも、友人同士で女性の好みや理想についての話題を振られたことはあった。

 まわりの男友達、同級生の多くにはいわゆる「巨乳」というものにあこがれがあったみたいだが、大きさよりも形や色味にこだわったり、あえて小さいほうがいいと言う者も一定数はいたと記憶していた。

 そんなことからこぼれた失言だった。

 思わず息を呑んで顔を上げれば、ちょっと意地悪そうな顔があった。


「ご、ごめん……そういう意味じゃ……」


 とっさに謝るが、成美は大きなため息をつく。


「……はぁ、初めて会った時から思ってたけど、ユイちゃんって慣れてないよね」


「慣れてない?」


「そう、正直に言ってユイちゃんくらい可愛くてスタイルもいいと小さいころから周りに『かわいい、かわいい』って言われて育つから、顔やスタイルのことを褒められても『そうでしょ?』くらいのドヤ顔でいてもおかしくないわけよ」


「そ、そんな……」


 成美の生真面目な分析に、唯は頬がかあっと熱くなるのがわかった。


「そう、その反応!初々しさ全開でごちそうさまって感じなんだけどね。でもやっぱり、なんでかなって思うわけ」


「……」


 素直で率直で、鋭い問いに唯は言葉を失った。

 まさか半年前まで男でしたなんて言えないし、成美の分析は半分正解で、残り半分は間違いだった。

 たしかに唯は小さい頃から「可愛い」という形容でもって評されることが多かった。

 幼いときはほめ言葉と認識して素直に喜んでいたし、女装とまでいかなくても周りの勧めで「可愛らしい」格好をすることに抵抗感をもってはいなかった。


 それが小学校に上がってからは男女がはっきりとしはじめて、ランドセルや服装の色の違いなどから性差を意識するようになり、自分の容姿が決して「かっこいい」部類でないことに気づく。

 やがて「可愛い」が男子からのからかい、女子からは皮肉とやっかみに変わり、しだいに抵抗感と嫌悪感すら抱くようになっていったのである。


 中学生になってからは同級生も少し大人になって、唯人の容姿は「個性」の一部として受け入れられるようになり、唯人自身も多少おおらかに自分を見られるようになった。

それでも高校進学にあたって男子校を選んだのは、少しでも男らしくなりたいという願望からだった。

 まぁそれで同性の級友、また上級生から告白を受けるとは思ってもいなかったのだが。


「えっとね……私はナミちゃんみたいなカッコいい女の子って好きだよ」


 何と言って申し開きをすればいいかと戸惑い結局、唯は思ったことをそのまま口にした。


「……どうしたの、突然?」


 俯いたまま小さく放った言葉は、しっかりと届いたようで返ってきたのは訝しむ声だった。

 顔を上げると成美が顔を真っ赤にして目を見開いていた。


「いや、その、あの……だから、もともと可愛いって言われるよりカッコいいって言われたいと思ってたから……ナミちゃんにみたいに明るくてカッコいい人に憧れるなぁって……」


 頬を朱に染めた成美と目が合い、可愛いなって思う。だがそう思った自分に恥ずかしくなって体温が上がるのがわかった。

そうなると余計に羞恥心が煽られて、しどろもどろに弁明をすることになったのである。


「……はぁ、ユイちゃんはタラシのケもあるのか……」


 再び俯いた唯には、成美の嘆息と呟きは届くことはなかった。 


  

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