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君の微笑と僕の戸惑い  作者: 英雄
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 入学式は1時間ほどで終わった。

 学校長、PTA会長、生徒会長それから来賓のあいさつを経て、在校生からは新入生を歓迎する校歌の合唱披露があった。

それに応えるかたちで新入生の代表が挨拶を述べて、閉会となった。

 入学式が終わると保護者は体育館で学校生活に関する説明があり、新入生はクラスにて最初のホームルームである。

 唯は受付で亜紀とは離れて、同じ新入生たちと行動していた。

 幼稚園から大学まである私立学校のため中学からの持ち上がりが多く、すでにいくつかのグループが出来上がっていた。

 そんな中にぽっと入った唯は、本人は気づいていないが、その他にもいるはずの新入生たちの中でもひときわ目立つ存在になっている。


 その大きな理由はやはり唯の人目を惹く容姿にあった。

 眼鏡をかけていても、いや眼鏡をかけているからこそ薄いレンズ越しにのぞく大きな瞳が気になるし、すっきりとした鼻梁と薄紅を差したような小ぶりの唇がバランスよく配置された美貌は、まだ残る幼さゆえの愛らしさも備えていた。

 そんなわけで、出来るだけ目立たないようにしようという唯の目論見はものの見事に外れていた。

 ついでに言えば亜紀も十分に美少女と言えるし、母親の美琴に至っては保護者席で周囲の視線を独占するほどの美女である。

 電車から学校への道すがらもけっこうな注目を浴びていたのだが、それも唯は緊張のためにスルーしていたのだった。


 ざわめく教室に入り自席についてホッとしたところ、前に座っていた女の子が不意に振り向いてニコリと笑いかけてきた。


「やあ、新入生だよね?」


「え、はい……そうデス」


 唐突に問われて思わずどもる。


「やっぱり、君みたいに可愛い子って今までいなかったからさ、近くになれて嬉しいよ。滝本 成美、よろしくね」


 戸惑い隠せない唯にクスリと笑って少女は名乗り、右手を差し出してきた。


「……篠崎 唯です」


 ショートカットに日焼けした顔で笑う成美に、唯は男の子のようだと思いながら手を握り返す。

 小麦色の理由を尋ねると、女子サッカーのクラブチームに所属していることがわかった。

 反対にスポーツの経験を訊かれて陸上の長距離だと答えると、少し驚いた顔をした。


「へぇ……陸上をやっていたわりに日焼けしていないね、それに……」


 成美はそう言って目線をちょっと下げる。

 彼女が何を言いたいのか、唯は何となく察して赤くなる。無意識に両腕を交差して胸を隠すと、まわりでゴクリと唾を飲み込むような音がした。


「やっていたといっても、少しだから……」


 もともと肌が白く日差しに弱かった唯は、中学時代も美琴の言いつけで日焼け対策は怠らなかった。

 それが引退してからの半年と、今日までの一年ですっかりと透けるような白い色調を取り戻していたのである。

 また適合手術とホルモン剤の投薬治療を行った半年あまりの期間で、もともと華奢だった唯の身体は細身ながらも女性としてメリハリのある体型に成長していた。とくに胸のあたりは今も戸惑うことが多いが、美琴からは遺伝だろうと言われていた。


「えっと……いやいや、うん!とにかくよろしくね」


 頬を朱に染めて俯いた唯が成美のうろたえたような言葉に顔を上げると、唯以上に顔を真っ赤にした少女は唯の両手をつかんだ。

それからブンブンと振って離すと、ごまかすようにトイレに行ってくると言い残して席を立った。

 慌しく教室から出て行った成美の後ろ姿をぼんやりと見送り、少し脱力してひとつため息をつく。するとこれまで気にならなかった周囲からの視線に気づく。

 何気なくまわりを見渡せば次々と目が合い、そして即座にそらされる。その様子に疎外感を覚えて唯は少し悲しくなった。

 やはり中学からの持ち上がりでない自分は部外者扱いなのだろう。

 そう推測してみるが実際は、女優かアイドルかというほどの美貌の少女に、視線を送ったら目が合ってしまい慌てて逸らしたというのが本当のところであったが。


 しばらくして平静を取り戻した成美が戻ってくると同時に、このクラスの担任だという教師が教室にやってきてホームルームが始まった。

 三十代半ばほどの男性教師は小嶋誠司と言った。身長は高くないが、がっしりとした体格をしている。

 教科は数学で、バスケットボール部の顧問だということは入学式の職員紹介で言っていた。

 小嶋は本日以降の日程が書かれたプリントと、いくつかの冊子を全員に配ると淡々とした調子でスケジュールや校内での諸注意について説明した。

 十五分程度の説明の後は自己紹介の時間となり、緊張したものの割とあっさり終わった。

 ホームルームが終わると今日は午前日程のため下校となる。

 体育館では保護者が説明を受けており、それも同時刻に終了することになっていたため、唯は美琴と待ち合わせをしていた。



「お母さん」


「ああユイちゃん、もういいの?」


「うん」


 昇降口から校門に向かう途中にある小さな庭園の脇で待っていた美琴に声をかけると、ベンチから顔を上げてにっこり笑う。

 その仕草はあまりにも優雅で、唯は思わず見とれた。

 来る道すがら亜紀の言葉にもあったとおり、我が母ながら美琴は本当に若々しく美しいと思った。


「どうしたの、ぼんやりして?」


 立ち上がった姿に言葉もなく見つめていると、問いかけられて我に返る。


「あ、ううん……なんでもない」


「そう、じゃあ帰ろうか」


 見慣れているはずの母の、正装した容姿に見惚れていたなどということはとても言えず、小さく頭を振った。

 そんな様子をわずかに訝しむも、美琴は笑みを浮かべると、最近娘になったばかりの少女の華奢な手を掴んで小さい子を引くようにして歩きはじめる。


「えっ、ちょっと……母さん!」


「もう、お母さんと呼びなさい。ママかお母様でもいいわ!」


 突然のことに声を上げる唯だが、美琴は意に介さず校門へと向かう。

 まわりにいる、同じように帰ろうとしていた生徒や保護者から注目を浴びて手を離そうとするも、思いのほか強い力は振りほどくことが出来ない。


「いやそこじゃなくて!恥ずかしいってば」


「大丈夫よ女同士だし、唯ちゃんはカワイイ系だからね!うん、やっぱり女の子っていいわ!制服でも華があって!」


「だから、そうじゃなくてぇ……」


 引きずられるように校門を出て、駅へ向かう道の端でようやく美琴は唯の手を離した。

 周りからしてみれば、美琴が言うように見目麗しい母娘が手を取りあって歩く姿は微笑ましいものだったが、息子であったときの意識が残る唯にしてみれば、マザコンの公開処刑に晒されている気分だった。

 手を離して立ち止まった母親の横顔を見上げると、目が合ってうふふと笑われた。

 ちなみに美琴と唯では美琴のほうが背が高い。

 美琴はいわゆるモデル体型で身長も170センチ以上あり、細身だが出るところは出ている。

 対して唯は160センチに満たない上背のためどうしても視線を上げる必要があった。


「ごめんね、つい嬉しくて」


 不満げな視線を投げかける娘に笑顔のまま詫びれば、唯は余計に訝しんだ。

 美琴はちょっとだけ笑顔を真面目なものに変えて、左手で唯の後ろ髪をさらりと撫でた。


「娘の入学式に出ることができて……もちろん息子だった唯人くんのことも大事だったけどね」


 先ほどまでの高揚した調子から打って変わって、穏やかで静かに笑う母に唯は顔をこわばらせる。

 母の言葉の裏側には、幼稚園に小学校、中学校も今日のように迎えたかったという思いが潜んでいる。

 夏のあの日から、美琴は幾度となく今のようなことを言ったり態度を取ったりすることがあったが、正直なところそんな母のことを唯は歯がゆく思っていた。


 娘を気づかずに息子として育ててしまったことへの後悔と贖罪は、いつしか天真爛漫なはずの母にわずかな翳りと歪みを植えつけていた。

 朗らかに笑顔を浮かべていると思えばちょっと目を離すとため息を吐いていたり、ひとりでアルバムを眺めてはうなだれる後ろ姿を見かけたりするたびに唯は、叫び声を上げて逃げ出したくなった。


「ねえ……母さん」


 唯が身じろぎして話しかけると、美琴の肩がピクリと反応した。


「……なあに」


 視線を上げればそこには探るような表情があった。唯は、唯人であった時のように母を呼んだのである。


「ぼくはね、全然気にしていないんだよ。男として生きてきた15年間は楽しかったし、それなりに充実してた」


 そして唯人として、話しかけた。

 あごを引いてゆっくりと言葉を紡ぎ、もともと高かった声を努めて低く抑える。それはいつまで経っても声変わりをしなかった唯人の、自分を男として保つためのすべのひとつだった。

 美琴はキュッと唇を結んで、かつての息子を見つめ返す。


「最初から女の子だったらって思ったこともあるけど、今はかえって良かったと思ってる。だってひとつの人生で男と女の両方を体験するなんて普通は出来ないもんね?」


「ゆい……ちゃん……」


「だからさ……母さんもあまり気にしないでよ?うーんと、気にしないのは難しいかもしれないけど、少なくとも悪くはなかったってわかって?ね?それに今はこうして……ちょっと恥ずかしいけど女の子だし、これからもお母さんに色々教えてもらわなくちゃって思ってるんだから……ね」


 最後まで言い切るかどうかというところで唯は美琴に抱きしめられた。

 強い力と胸の圧迫に苦しかったが、何とか自分も腕を回してみると一瞬、母が息を呑む気配があった。


「ごめん……ありがと」


 美琴は腕の力を抜くとそれだけ言って、しばらく動かなかった。

 唯も同じ格好のまま母の胸に顔を埋めていた。

 トクントクンという心音と柔らかなぬくもりを感じながら、話せて良かったと思った。

 後に身体を離したふたりがまわりの視線に気がついて、お互いちょっと気まずくなるなんてことは全く思い至らなかったのである。


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