韜晦亭奇譚 其の弐
これは俺がまだ三流の科学雑誌で、名ばかりのサイエンスライターという胡散臭いことをやり始めたばかりの頃の話だ。
同僚の紹介で怪しげな科学者の集う韜晦亭というバーを知り、なにか、ネタなど無いかと暇を見ては顔を出していた時だった。
あまり客のいない店内で安酒を飲んでいると、一人の初老とおぼしき男が声を掛けてきた。
「よう元気か?」
なれなれしくまるで旧知の間柄のような雰囲気を出すその男に、俺は全く見覚えなどないのだが。
なぜか他人とも思えないものもあった。
「失礼ですが。どちらの方か分からないのですが。
どこかで会ったことがありましたか」
訝しながらも尋ねてみると、男は芝居掛かったしぐさで
「おいおい、無粋な質問をするんじゃないぜ。お前は文明人に『鏡を知っているか?』と尋ねるか」
といい、ずいと俺に顔をよせる。
「まあ、鏡じゃあ左右反転しているし、見てくれも随分と歳をくってしまったしな…
簡潔に言うと俺は未来から来たお前だよ。」
と胡乱な極まりないことをいった。
「色々突っ込み処もありますけど…とりあえずどうやって?」
俺の問いはあまりにも当たり前のことだったろう、俺本人を騙る男は続く言葉を制するように軽く手のひらをあげて
「お前が何を訊きたいのかは言わずもがなだ。だから先に言っておく。
時間移動の方法はタイムマシーンを使ってだ、もちろんそれは俺のものではない借り物だ。
未来だからといってタイムマシーンはありふれた物ではないし、そもそも惑星上でのタイムマシーンの使用は禁止されているからな。
たまたま開発者が俺の知り合いだったというだけで、今回は用事を頼まれてしまってな」
「開発者が知り合いにいるのか…」
果たして俺はそんなに将来有望な人間だろうか?と人を騙すにしても信憑性のないことだと、やや自虐な感慨を覚えていると
自称未来俺は軽く頷いて見せる
「ああ、タイムマシーンを造ったのは、企業でも国家でもなく、一人の天才だ。
この時代では才能の片鱗も見せていないが過去と未来の俺、共通の知己だ。
もちろん名前を教えることは出来ないがな。」
「一人の天才が造るとか、胡散臭さが更にましたな。」
「大体…」俺が予てからのタイムマシーンに関する疑問を口にする前に、未来俺は手をかざして言葉を続ける
「云わんとすることは全て分かっている、タイムパラドクスだな。
それについては、過去は変えられないと答えるしかない。」
「俺が実験した訳ではなく開発者の受け売りだが、個人的に出来ることは未来からの知識を含めても予定調和の範囲内だそうだ」
「そんな顔をされても俺だって理解しているわけじゃないんだから分からないものは分からない。
さて次に惑星上での使用禁止と言ったが、気になっているのだろう?」
「未来ではタイムマシーンは、10億年前のまだ海の在った火星と、
10億年後の太陽が熱量を失い始め、表面温度の下がった金星のテラホーミングの為に使われているんだ。」
「スケール壮大だな!おい」驚きのあまり言葉づかいが乱暴になった俺を気にもせずに、未来俺はにやりと笑う
「基本的に人類文明以前と以後の時間移動のみをおこなうことで人類史に対するタイムパラドクスを回避する狙いらしい
まあ国家が絡んでくるとそうなるわな。」
「やっぱり個人所有という訳ではないんだな」
俺のつぶやきに未来俺は頷き
「燃費悪いからな、今回俺は特別措置なんだ。」
という、そう云えばなんだか用事があるとかいっていたな。改めて尋ねてみると
「開発者がいま行き詰っているらしいから、そのまま研究を続けろと発破をかけてやらなきゃならん」
「凄い個人的な理由だな!国家どこいった」
「そうゆうわけで、俺はそろそろいくぜ。」
未来俺は、言いたいことだけ言ってそのまま店の扉から出て行ってしまった。
結局あいつは何のために俺の前に現れたんだ、そう思っていると、マスターがそっと一枚の伝票を差し出してきた。
それは自称未来の俺の飲み代だった。
「しまった。オレオレ詐欺だったか!?」