二の四 山賊退治――馬に乗った花嫁
絹の花嫁衣装に、顔をすっぽり隠す頭巾のついた被布を被った花嫁が馬に揺られ、その前後を男衆や父親がつく。
なお、馬とはこの土地原産の爬虫類を飼い馴らしたもので、正確には馬竜という。足は速いが、少々知能が低いのが欠点である。物覚えが悪く、なかなか主人を覚えてくれない。草食性で、気性はおとなしい。
後ろには長持や祝いの品々をもった男衆に母親や女衆が続いた。村長の跡取り息子に嫁入りするに相応しい格式で行列は進んでいく。やがて、山道は険しい峠に差しかかろうとしていた。
そこへ、朱貴達が急ぎ足でやってくる。
花嫁の行列は、しかし、真っ先に峠の道に現れた趙翼の狼姿を見ると、「出たあ!」と叫んで、崩れ乱れた。
花嫁は脅える馬竜のたずなを引くと、はっと掛け声勇ましく、峠のほうへ先に走り出す。
他のものは荷物を放り出し、女衆を囲い守るように固まって、元来た道を逃げ出す。
一瞬あっけに取られた朱貴と趙翼はどちらを止めるべきか迷って、立ち往生。
結局、趙翼が行列の人々を追い、朱貴が花嫁を追った。猿喜と果門は放られた荷物の番をする。
「待てっ! 待ってくれ!」
朱貴が叫びながら駆けて行くと、花嫁が慌てたように馬を止めた。
被っていた被布を外し、驚いたように朱貴を見る。
朱貴は花嫁の美しさに、しばらく言葉も忘れて見惚れた。
さらりとした紫の髪を花簪で結い上げた気品に満ちた美女は、急いで馬篭を降りる。
「朱貴殿!」
名を呼ばれて、朱貴が目をしばたいた。声に聞き覚えがある。
「え? れ、玲爽先生か?」
先日は質素な娘姿であったものが、今日は刺繍の縫い取りも華やかな花嫁衣裳で、すっかり見違えるほどの豪華な美しさであった。
「私としたことが、とんだ勘違いをしたものです。てっきり山賊の一味かと。それでは戻って、行列を呼び戻さなければなりません」
ついつい見惚れてぼおっとしている朱貴の手を、玲爽がそっと取る。我に返った朱貴は赤面し、間近の美貌に柄にもなくおどおどと視線を逸らした。
「先生は俺を不気味だとは思わないのですか? 手にも鱗があるのに」
口を開くと先が二股に裂けた蛇のような舌が赤くちろりと覗く。
玲爽はふわりと微笑んだ。その大輪の花が咲き開くような艶やかさに、朱貴はまぶしげに目を細めた。
自分の姿を見て逃げ出すどころか顔をそむけもしない玲爽に、正直驚きを感じている。大の男達でさえ、この容貌には恐怖するというのに。
「貴方が信頼できる人だとわかっています。それで十分ではありませんか。さあ、参りましょう。こうしているうちにも、行列のほうが襲われては、せっかくの策も叶いません」
被布を取り上げ身も軽く馬竜にまたがる。朱貴が笑って訊いた。
「また、身代わりですか?」
玲爽が苦笑する。
「ええ。花嫁行列を山賊が襲う心配があったので、私が囮になったのです。本物の花嫁は行列の中に守られています。目当ての花嫁が逃げれば、賊も放り出された品々と花嫁に気を取られて、行列には気を払わないでしょう。しかし、こうなっては、それも無駄になりました。早く戻らねばなりません」
話しながらも馬竜を急かして、来た道を走り出す。朱貴も慌てて追って駆ける。
たった一人で山賊と渡り合おうという玲爽の相変わらずの豪胆と無鉄砲さに呆れ、馬竜を颯爽と駆る彼を横目で見やる。その美しい横顔に、男とわかってもやはり胸がどきどきと高鳴った。
荷物の番をしていた猿喜と果門は、突然やぶを掻き分け真っ赤な鱗の大きなとかげ族の男が、手下十数人と現れたのを見てぎょっと立ち上がった。
「へっ。都合よくお宝が待っていてくれてたぜ」
とかげが首をしゃくり、手下どもが武器を手に猿喜達を取り囲む。圧倒的数の差に青ざめながらも猿喜らはめいめい剣を抜き、果敢に応戦しようとした。
「待てっ」
朱貴が大声を発し、剣を抜いて突入。それを赤火は矛で受けながら、彼の背後に馬竜に乗った花嫁の姿を見た。
「花嫁を奪え」
赤火が手下らに命じる。朱貴はあっと振り返った。
後ろを見せた朱貴に隙を見たか、赤火は手下と一緒に、激しい勢いで突いて出た。朱貴はそれをすばやくかわし、右に来た手下の胴を払う。
ばらばらと襲ってくる山賊らに、玲爽は被布を投げつけ、頭から覆われて動きの止まったところを馬竜で蹴飛ばす。猿喜がそばに駆け寄っていく。
朱貴はそれを尻目に、再び斬りつけてきた赤火を頭から真っ二つにした。
残りの山賊は、彼らのボスである赤火が倒されたのをみて、ばたばたと逃げ出してしまった。そこへ、趙翼が行列を連れて戻ってきた。
***
朱貴らが胡村長の屋敷に花嫁の行列を率いて戻ってくると、赤火の襲撃を警戒していた龍蘭らが大喜びで出迎えた。虎勇は朱貴の隣にいる美女に目を見張る。
「あれ? ひょっとして玲爽先生か? 今日も娘姿が様になってるなあ」
頓狂な声を挙げて感心する彼に、趙翼が、
「高名な道士先生だぞ。失礼を申すな」
と叱る。
「そんなこたあ、知ってらあ。俺達のほうが先に知り合ってるんだぞ」
虎勇が口を尖らせて抗議していた。
近辺を荒らし回っていた山賊はこうして退治されたので、朱貴は葵花村を発つことにした。村人や胡録は、朱貴達にこのまま村にいてくれと勧めてくれたが、山賊に苦しむ村はここばかりではないので丁寧に辞し、翌日村を出る。
虎勇がちょっと浮かない顔で逡巡するので龍蘭が不思議がって問い詰めると、村長の娘と仲良くなっていると白状する。
男女の仲を裂くのも悪いから虎勇は残れというと、彼は猛然と自分も兄貴達と行くと言い張った。
村長の娘は、梅の木下で彼らの姿が見えなくなるまで見送ったという。