二の一 山賊退治――おびえる胡旦
二、山賊退治
深い山奥の道を山賊も道を譲りそうな男達が歩いていた。春早い天蓋山脈を北へ向かってのんきな足取りである。
だが、熊など一ひねりと豪語する自身がよっぽど熊のような虎勇は、とうとう地べたに座り込んでしまった。
「兄貴い、腹減ったあ。もう、一歩も歩けねえよお」
兄貴と呼ばれた龍蘭と朱貴は、困ったように顔を見合わせた。
先の蜘蛛使いの一味を共に退治した彼らは意気投合し、義兄弟の誓いを交わしたのである。
賊の砦から金目の物を全部引っ張り出し仲間みんなで分け合って、酒や食べ物を広げて宴会をやった席でのこと。
「竜人の血を引く者がいるとは聞いたことがあったが、それは、貴方ではないのか?」
龍蘭が遠慮がちに訊いた。朱貴は恥ずかしそうに眼を伏せる。
「昔のことだ。俺の血には、もう殆ど含まれてはいない」
かつて、ある狂科学者が最強の覇者であった竜族とソル族との怪物を作ったという。
その怪物は不死で、絶対的な力によって世界を支配し、恐怖と破壊の王国を築いた。歴史の始まる前のことである。
だが、その王国も遥かな昔に滅び、時の流れの中に埋もれていった。今では竜王という伝説が残っているばかり。だが、時折、こうして先祖がえりのように人竜の特色を現す子孫が生まれることがある。
「龍蘭殿、貴方は小沛に立派な屋敷があるはず。どうして、放浪なんかしているのだ?」
酒を注ぎながら朱貴が聞いてきた。龍蘭は苦しそうに盃の酒を飲み干して云った。
「佑県に新しく来た県吏の郭崔が、龍家の鉱山を欲しがったのだ。接待していた親父を謀り殺し、なおかつ俺を罪人に仕立てやがった。県都へ引っ張られていかれるところを、虎勇が助けてくれ、こうして故郷を遠く離れたってわけだ」
虎勇が酒で赤くなった顔で、元気に続けた。
「俺はさ、喧嘩っ早くて、間違って人を一人殺しちまって、親父から勘当されたんだ。無銭飲食やって、困っていたところを、兄貴に助けてもらったからさ」
それ以来義兄弟になったんだというと、朱貴が私も是非混ぜてくれと言い出し、大いに賛同した彼らは、義兄弟の契りを交わす。
朱貴は二十五で、龍蘭二十四、虎勇は二十二であった。それで、龍蘭と虎勇はこれ以後朱貴を兄と呼ぶことになった。
青い毛並みの鼻面を猛禽属の爪でぼりぼり掻きながら、龍蘭はもう一人の連れ朱貴と同じほどの7尺ある巨体を相棒の方へ屈ませた。
「だから、あの飯屋で少しは残して持って行けと言ったろう。それを全部食っちまうからだ」
ガルド族の龍蘭は、外見に反して穏やかな口調でたしなめる。
「だけれど、あん時は腹が減ってたまらなかったんだ」
「それにしても、あれからまだ半日も経ってないんだぞ。あんなに食ったやつはどこに行ったんだ?」
口を尖らせて訴える義理の弟に、朱貴は呆れた視線を向ける。
そうはいっても山の真ん中で、飯屋どころか、家一軒ありそうにない。
暮れかけてきているし、このまま野宿するにしても飯がなくては、いよいよ虎勇がうるさいだろう。獣でも出てくれば腹の足しにもなるのに、彼らに恐れをなしているのか、トカゲ一匹現れない。
困り果てていると、来た道を眺めていた猿喜が、
「誰か来やすぜ」
と、言ってきた。伯石、果門もともにみんなで眺めていると、とっとと急ぎ足で荷物を背負ったソル族の若者がくる。
一心に駆けてきた男は、道端にいる男達の姿を目にすると、
「ぎゃあ、出たあ!」
と叫んで逃げ出した。龍蘭が慌ててその若者を捕まえた。
「荷物はみんな差し上げますから、どうか命ばかりはお助けください」
若者は生きた心地もないように怯えて懇願する。
「かん違いするな。俺たちは盗賊じゃない。善良な旅人だ」
手を離すとまた逃げ出しそうなので、若者の襟首を掴まえたまま龍蘭が言った。
なんだか、最近、似たような場面があったなあと思いだす。
うんうんと頷く虎髭の大男も、自分を掴まえている見上げるような恐ろしい虎のような怪物も、その横にいる不気味な化け物みたいな男も、おびえる若者にはとても善良そうな旅人には見えない。
「あ、あなたがたは、山賊金猛のお仲間でしょう?」
見た目まだ二十歳に届いてなさそうな若者が恐る恐る訊いてきた。
「なんだ? その金猛ってのは?この辺りに山賊が出るのか?」
「あの、ほんとうに、山賊ではないので?」
半信半疑でなおも訊く若者に、短気な虎勇が噛み付いた。
「当たり前だ。俺たちのどこが山賊にみえるってんだ。失敬だぞ」
ひゃあ! と、縮こまる若者をかばいながら、
「脅えさせるな。お前の風体は、確かに山賊に見えんこともないかもしれないぞ」
と、龍蘭は笑った。わははと開いた口に恐ろしげな牙が覗くのを見て、虎勇も笑った。
「そういう兄貴達だって、結構いい線いってるぞ。俺よりよっぽど恐ろしいぜ」
「まあ、とにかく俺達は山賊じゃない。俺は小沛の龍蘭、こちらが斉県の朱貴。これは郎県の虎勇だ。向こうにいるのも仲間で、俺達は義勇団を組んでいるんだ」
龍蘭が改まって名乗った。朱貴は一歩下がっている。自分の容姿が人に不快な警戒心を呼ぶのをよく承知していた。折衝は虎族の龍蘭の役回りだった。
「山賊が怖いなら、俺達がついて行ってやってもよいぞ。家は近いのか? できたら、飯なんか食わせてくれたらありがたいんだがなあ」
虎勇が図々しい提案をする。
「お願いします。私はこの先の胡の家の者で、胡旦といいます」
男がやっと愁眉を開いて丁寧に挨拶し、同道することになった。虎勇も飯が食えるとあって、がぜん元気になっている。
道々、金猛なる山賊のことを聞くと、この辺一帯を荒らし回っている大きな山賊で、旅人は無論、村や町まで出てきて家屋敷を襲う。家財は根こそぎ、女はさらい、一家全員皆殺しで、近隣の村々は恐ろしさに夜も眠れないという。
役人に助けを求めても、山賊の頭領金猛は硬い鱗に覆われた怪物で、その手下の五人衆も何れも劣らぬ怪物揃い、役人達も怖がって手出しができない。
「この道を通るのも、命がけなんです」
と、溜め息をつく。
そこへ、ざざっと赤と緑の大きな体躯のとかげ族二人が手下を連れて道を塞いだ。胡旦は飛び上がって、龍蘭の背中に隠れる。緑色のほうが凶暴な顔を突き出してわめいた。
「俺は緑火だ。命が惜しかったら、有り金残らず置いていけ!」
答えも聞かず、手に手に剣やら斧などを振り上げて六人の手下と共に襲ってきた。
虎勇が緑とかげの振り下ろす剣の下をかいくぐって、その巨体にどしんと体当たりしていく。とかげが体制を崩して身体がよろめいたところを、太い腕でその首を抱え込んだ。
龍蘭は手下どもの武器などものともせず、手にした重い槍で片っ端から払いあげ、叩き伏せ、突き通す。虎勇が緑火の首をぼきりと落とした時には、手下の六人はみんな倒されていた。
朱貴や猿喜は手出しもしないで見物し、さすがさすがと手を打っていた。
「胡録の息子胡旦だな。せいぜい今のうちだ。貴様らも首を洗って待ってろ」
赤い鱗の赤火は憎々しげに捨て台詞を残して、森の木立に消えてしまった。
不審を覚えた龍蘭が、まだ息のある手下を引きずり上げ、どういうことだと詰問した。まだら模様のとかげの男は、近く胡録の屋敷を襲う計画なのだと白状する。胡旦が青ざめた。
「兄が近々婚礼をあげるんです。今日もその使いでした。きっと、金猛はそれを襲うつもりに違いない」
婚礼の席ならば、大勢の客がお祝いの金品を持ってやってくる。日頃表に出さない金銀宝物も、祝いの席に集まって披露されよう。
おまけに花嫁まで手に入る。なるほど一挙に手間要らずだと、虎勇が感心して首を振った。
それどころではない胡旦は、必死の顔で
「どうか、助けてください」
と、泣きついた。