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竜人朱貴伝  作者: 霜月 幽
第2部 山賊討伐
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九の七 北部遠征――朱貴と玲爽の不和

 寺本堂の奥部屋に卓を挟んで、朱貴と玲爽が向かい合った。玲爽の顔は不健康に青く、疲労が濃かったが、戦闘を終えてきたばかりの朱貴は猛々しい興奮からまだ冷めず、それには気づいていなかった。


「そなたの言う通り、多くの捕虜と首領を殺さずに引いてきたが、どうするつもりだ? あれだけの口数、留め置くだけでも我等の口糧にすぐ響いてくるだろう。やつらのこれまでやってきたことを思えば、あの場ですぐ殺されても文句はいえない。冬場は食料の調達は困難だ。さっさと首を刎ねてしまうべきではないのか」

 

 修羅しゅらの中で生きてきた朱貴は、凄惨せいさんな言葉を平然と放った。


「食料事情は苦しくなりますが、彼等は素晴らしい戦力です。いたずらに処分するのは、得策とはいえません。彼等の処分は、私にお任せください」


 こびを含まぬ涼しい眼できっぱりと言われると、朱貴は反論できない。彼は玲爽の頭脳にとことん惚れていた。


「わかった。そなたの良いようにしろ」

「ありがとうございます、朱貴様。さて、この度、氷白山の制圧がなったからには、続いて、北氷湿原ほっぴょうしつげんの賊を平らげください。雲仙うんぜん一味を押さえれば、北部一帯の賊の掃討は完了いたします。明日から、その準備にかかってくださるよう」


 詳細を続けようとする軍師を、彼は慌てて止める。


「待て。賊の討伐を急ぐ気持ちはわからぬでもないが、龍蘭りゅうらんのことが気がかりだ。彼の無事を確認してからでもいいだろう」


 玲爽の、男にしては優美すぎる眉が曇った。


「私も案じております。しかし、……」

「これまでは、とにかく氷白山の賊を退治しなくては、捜索もままならぬと我慢してきた。だが、もう何の遠慮もなく大々的に掛かれるのだ。冬山の恐ろしさを説いたのはそなたではないか。明日には、もう手遅れかもしれぬ。今、この時にも、龍蘭は危機にひんしているかもしれない。一刻も早く助けたいのだ。せめて、二日、一日でもいい。全軍で山を捜索するわけにはいかんのか?」


 朱貴は必死の顔で、哀願するように言い募った。


「今も猿喜えんき殿達が必死の捜索を続けております。彼等を信じて待つしかありません」


 表情を変えず答える玲爽を、朱貴は睨みつけた。


「玲爽っ! そなたには龍蘭は単なる武将の一人かもしれぬ。だが、俺には掛け替えのない義弟なのだ。そなたにとっても、ずっと行動を共にしてきた仲間ではないかっ。それを、そんなに簡単に切り捨てるのか? それほど戦果のほうが大事か? 龍蘭の命よりも? 何も何週間もやれと云ってるんじゃない。たった一日か二日じゃないか! そなたには人の情というものがないのか? その頭には本に著された兵法しかないのか!」


 激して怒鳴る主君の顔を、彼は静かに見上げる。


「例え一日の捜索でも、準備と後処理に幾日も必要となります。将兵は疲弊ひへいし、新たな準備に取り掛かるのも手間取ることになりましょう。その結果、大幅な遅れを招きます。遺憾いかんではありますが、できません。朱貴様、湿原が凍るこの好機を外すわけにはいかないのです。どうぞ、明日から湿原制覇のご準備に掛かってください」


 朱貴はぎっと怒りを込めて、軍師の端麗な顔を凝視した。玲爽はその刺すようなきつい視線を泰然たいぜんと受け止めて返す。

 いつも見慣れているはずの愛しい美貌が、今初めて見るもののように感じた。眉を険しくひそめて視線を外す。がたっと乱暴に席を立った。


「そなたが、軍師だ。任せる」


 抑揚を欠いた冷ややかな口調で言い捨てると、寝室への扉を開いた。

 その背を、玲爽は哀しげに見守っていたが、やがて大儀そうに身を上げる。瞬間くらりときたが、辛うじて堪えて部屋を出た。彼にはまだまだ、やるべきことがあった。

 


 玲爽が行ったのは、捕虜を収容している一画であった。彼が姿を現すと、氷白山の主羊斉(ようさい)は両手を逆手に縛られているにもかかわらず、からからと笑った。


「見ろよ。これが軍師様だとさ。てっきり女っ子かと思ったぜ。わしらの女達のほうがよっぽどたくましいぜ」


 吠えるようながさがさした声でわめいて嘲笑あざわらった。

 だが、玲爽は取り合わず、後ろに従えた兵士等に彼等の戒めを解かせる。自由になった首領は、そのまま玲爽に飛びかかろうとした。だが、脇に控えた虎勇こゆうが重い鉄棒をぶるんと振るって、その動きを止める。背後の屈強の兵士等が武器をさっと構えた。


「無駄な事はしないがよろしい。そなた達がここを破ることは不可能です。例え、私を倒したとしても、朱貴殿がそなたの体を八つ裂きになさるでしょう。そなた達は完全に敗北したのです。その事実を認めねばなりません」


 獰猛どうもうな手長熊の首領は、巨体を憤怒ふんぬにわなわなと震わせて唸る。玲爽は顔色を変えることもなく、淡々と告げた。


「朱貴殿はその首を即、切り落とすおつもりでした。そなた達のこれまでの所業は、それに値します。今、命のある幸運を感謝するのです。我等のところに在れば、飢える心配も、寒さに震えることもなく、安心して家族を養えます。とくと、頭を冷やして考えることです」


 玲爽が合図を送ると、別室に監禁されていた手長熊賊の女子供がどたどたと走り込んできた。驚きに目を丸くしている彼等に、更に食事の手配をして彼は虎勇とその場を後にした。


「軍師殿、これではあんまり手ぬるいのではないのか? 家族を取り戻した連中は、今夜にでも脱走を試みるだろう。それなのに、ご丁寧に飯まで食わせて。俺はあんたの考えがわからない」


 虎勇は自身、熊のような硬い虎髭をぶるぶる震わせて噛み付いた。軍師に請われて同伴したが、こんな用事とは思わなかった。慈悲だの理性だのが通用する相手とは、とても思えない。


「これでよいのです。虎勇殿。明日になれば、何もかもうまくいくようになるでしょう」


 自信たっぷりに言い切る軍師は、どうみてもまだ若干十七歳だ。虎勇はまだ懐疑的に首を振りつつ、ほっそりと華奢な少年の後に続いた。


***


 寝室に先に入った朱貴は、寝床で苛々していた。いつまで待っても、玲爽はやってこない。ついに腹を立てたまま夜具を被って寝てしまう。

 夜半を過ぎた頃、傍らに玲爽が戻ってきた気配を感じたが、知らん振りをしていると、こちらに背を向けて横になるやたちまち寝息が聞こえ出した。

 身を起こして覗くと、息が荒く疲労の色も濃い。怪我も完治しないのに、乏しい体力の細い身を酷使して、必死に睡眠を貪る顔をみているうちに、彼に冷たくしたことをちょっと後悔しないでもなかった。が、龍蘭の件で業腹の朱貴は、彼を許す気になれず、とうとう頑固に背を向けたまま一夜を過ごした。

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