八の五 山賊桂獰討伐遠征――『朝』の伏軍
砦の倉庫を開き、広場に宴を張った。倉から財宝を残らず運び出して、各将軍達に分け与えた。厳牙や投降した冷舟にも財宝を分けてやる。
朱貴は、蓄財には関心がないので、潔いほどに気前がいい。県兵達にも漏れなく与える。感激した将兵達は、以後、朱貴への忠誠を篤くした。
その宴席に、韋駄天の果門が駆けて来た。来たか、と朱貴は身を乗り出す。その前に膝を折り、果門は報告した。
嶽山の桂峨の恐竜部隊は、果たして、朱貴らが偏梯山に出発して間もなく、山裾の影のほうから現れた。恐竜の数は二十。それが地響きを上げて、本陣向けて走ってきた。巻き上がる土煙で、空まで暗く曇るほどである。程杜は、それを目にしただけで、腰が抜けて立てなくなってしまった。果門は手筈通り、兵を率いて丘の後ろに潜む。
突然、地面が消えた。恐竜隊が深い陥没に落ち込んだのである。恐竜の咆哮と悲鳴が辺りの大気と地盤を震わせた。桂峨達が混乱し逆上する恐竜を何とか操り、穴から脱出させようと骨を折っているところへ、果門の隊が現れた。
兵士らは手に手に松明を持っている。それを恐竜と人とがひしめく落とし穴に投げ込んだ。穴の底には、原油が引いてあった。
ぼんっと爆発音を発して、それが一斉に燃え上がったのだからたまらない。凄惨な火炎地獄が現出した。人も恐竜も悲鳴を上げながら火に包まれ燃えていく。地獄の穴から辛うじて這い出して来た者達は、果門達の弓矢に射たてられ降伏した。恐竜隊は桂峨もろとも全滅したのである。
果門が捕虜を引っ立てて本陣に戻ると、程杜は膝を打って喜び迎え酒宴を張った。陣屋の酒を残らず出して、将兵に振舞う。
あらかじめ玲爽に耳打ちされていた果門は、用心して、酒を飲む振りをしてみんな地面に捨ててしまった。そのうち、酒を飲んでいた連中が、一人二人と酔い潰れだし、たちまち全員眠り込んでしまった。果門も一緒に寝る振りをする。
程杜は鋭い目で全員が眠り込んだのを確かめると、本陣の外に出て、筒を地面に置くと、火をつけた。ぽーんと高く火の玉が空に上がった。三つ上げて、本陣とは反対のほうへ逃げ出そうとする所を、果門に捕まった。
腹心の一人を蹴飛ばして起こし、縛り上げた程杜を見張らせると、自身は朱貴に報せるために、急ぎ馳せて来たのである。
「程杜が合図を上げ次第、報せるようにと言われていましたので」
果門は、朱貴の横に大儀そうにしている玲爽に頷いて、言葉を結んだ。朱貴に抱えられるようにして座っている軍師の顔色は青く、辛そうだった。朱貴が玲爽を見下ろす。これを察していたから、彼は重傷の身を押して酒宴に出たのだ。
「軍師が言っていたのは、このことか?」
「はい。事は迅速を要します。戦闘に疲弊した我が軍の背後を叩かれてはたまりません。一足早く、此方から手を打たねばなりません。今は、『朝』府と戦う時期ではないのです」
後の言葉は、血気にはやる虎勇達へ向けたものだった。
玲爽は朱貴に一通の書状を渡した。それを改めた朱貴はちょっと目を見張ったが、何も言わず、体裁を整え直して果門に渡した。
「済まぬが、これから直ぐに『朝』府の密使の元へ走ってこれを届けてくれ。密使の居場所は、程杜に訊けば判るだろう。場合によっては、少々手荒にしてもいいぞ」
「俺も行こう」
龍蘭が名乗り出た。
「おぬしが行ってくれれば、心強い。頼む」
龍蘭は一つ頷くと、果門と一緒にすぐ山を下った。
「明日早朝、ここを引き払って、本陣に戻る」
朱貴は皆に告げた。酒宴は終わりということ。将兵らは、おのおの割り当てられた部屋に引き上げた。
そして、朱貴は私室に虎勇、趙翼、伯石らを呼んだ。虎勇は厳牙を連れてきた。彼らが中に入ると、玲爽は既に来ていて、椅子の背に身を預けている。辛そうな様子をみせまいと頑張っているのだが、肩で継ぐ息は荒かった。虎勇はふと、玲爽は最初からこの部屋に、朱貴と一緒に居るのではないかと思った。
一同、席が定まると、もう一人、冷舟がやってきた。投降したばかりで、まだ意中の知れない男である。みんな不審もあらわに冷舟を見る。
「私が呼びました」
みんなが驚く中で玲爽が静かに言った。
「軍師、こいつは、まだ、桂獰とつるんでいるかもしれないんですぜ」
何事も隠しておくのが苦手な虎勇は、はっきりと不審を表明する。
「それはいずれ、判ることです」
玲爽は曖昧な言い方をして、にっこりと笑った。朱貴が手招きして、冷舟に座を勧め、一同の者も緊張を解く。玲爽の笑みは時として言葉よりも雄弁だった。
「恐れながら、一つの事実を打ち明けたい」
毛深い顔の奥から、冷舟が言った。朱貴は許し、先を続けるよう促した。
「実は、事前に『朝』都の使いが桂獰を訪れ、俳県の県主朱貴を殺害せよと、密書を届けてきた。それで、桂獰は時機到来と、我々に檄を送り、共同して宿敵を叩かんと言ってきたのだ。我々にも、竜人朱貴の噂は届いており、単独で当たるのは不利であると思っていた矢先の誘いだったので、話に乗ったわけだ。厳牙も同じだと思うが」
厳牙は首肯した。
「桂獰は詳しくは打ち明けなかったが、成功の暁には、『朝』都での栄達が待っていること、さらに援軍が来ているから、絶対負けることはないと、言っていた。しかし、こうして、今思うと、その援軍は、勝利した桂獰を叩き伏せる為の軍ではないかと。或いは……」
「我々を討伐するための軍か」
朱貴の言葉に、冷舟は頷く。
「なぜ、不利とわかっている我々についたのだ?」
「『朝』につくくらいなら、何も山賊などにはならぬ。それに、どんな理由にしろ、山賊を『朝』府が見逃しておくはずもない」
冷舟は、苦々しげに吐き捨てた。
「案ずることはない。我らは疾うに、『朝』府の出方を読んでいた。さっき、果門と龍蘭が山を下りたのも、そのためだ。二人の目的は、『朝』府の出鼻を挫くことにある。そこでだ……」
朱貴は、趙翼に軍勢の殆どを率いて、県府に向かえと命じた。着いたら、早々に再出陣の準備にかかれと言う。
「それじゃ……」と、目を輝かせる虎勇に、
「勘違いするな。北部遠征の準備だ」と、にべもなく言った。
「せっかく、朝都から出張ってきた軍だ。北部の山賊平定に一役買ってもらおうと言うのが、軍師殿の策だ。表向きは、治安の平定と在る以上、この申し出には嫌とは言えまいよ。果門と龍蘭には、連中の動きを見張ってもらう。勿論、我々も準備が整い次第、平定に向かう。厳牙、冷舟、協力してくれるな?」
二人は、何の迷いもなく誓った。
「我々への『朝』の風当たりは、ますます強くなろう。北部平定は、近隣の部族を吸収して、我々の力を増大させることが目的だ。みんな、そのつもりでかかってくれ」
朱貴がはじめて明かす大局の方針だった。『朝』があからさまに敵対してきた以上は、受けて立つしかないのである。勇猛な好漢たちは、不敵な笑みを浮かべて頷いた。




