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竜人朱貴伝  作者: 霜月 幽
第2部 山賊討伐
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八の四 山賊桂獰討伐遠征――砦総攻撃

 砦の薄暗い石牢の中で、玲爽は呻きながら意識を取り戻した。桂獰に抉り取られた深い傷は、手当が施され、白い布で巻かれていた。頭領の大切なご馳走だから、死なぬように手厚く扱われている。見張りが気づいて、水と食料を差し入れた。お祝い用の羊と同じである。皮肉な状況に、玲爽は苦笑した。

 だが、取り合えず、今はこの状況を活用するしかない。彼は這い寄ると、水を飲んで喉の焼け付くような渇きを癒す。傷は深かった。片肺の一部をこそげ取られている。咳き込むと、血が混じった。包帯は、既に血でぐっしょりと濡れて重い。


 玲爽が案じるのは、この為に朱貴が無茶をするのではないかという危惧であった。桂獰の砦に入ってみると、山賊といえど、高度な防衛設備と兵力を蓄えている。宗怨も健在だし、冷舟の弩兵も残っている。猪突猛進ちょとつもうしんは自滅を誘発しかねなかった。

 玲爽は、二、三度、息を整えると、体調整能力を駆使して立ち上がる。壁を伝って、小さく開いている窓に寄った。彼が入れられている牢は、谷を覗く側面にあった。

 彼の頼みは猿喜えんきである。猿喜には、桂獰から目を離すなと言ってある。彼が捕らわれ、ここに閉じ込められた事も知っているはずだった。

 衣服を細く裂くと長い紐にして、窓から垂らす。端を持って待つと、果たして、つんと引かれた。紐に動きが伝わる。やがて、再度引かれたので、玲爽はそれを手繰り寄せた。先端を見ると、紐の先に紙が結ばれ、猿喜と記されてあった。玲爽は床に座ると、紙を広げ、細かい字で書き始めた。墨の代わりは血である。幸い、たっぷりあった。


 桂獰の砦を前にして、朱貴は猿喜から玲爽の文を受け取った。しわになった小さな紙片に書かれた文字は、赤黒い。血だ、と顔色を変える。


「玲爽はっ?」と、訊くのを、猿喜は、

「急ぎますので」


と、返事を避けて、樹上へ消える。それを舌を鳴らして見送り、朱貴は食い入るように紙片を読んだ。小さな文字でぎっしりと書かれている。

 まず、自分は無事だから救出を急ぐ必要はないと、朱貴の軽率な行動を戒めていた。次いで、砦の見取りと装備、手配を簡潔に記述し、冷舟の弩兵を警戒するように注意し、宗怨の術を破る方法を記していた。


「虎勇殿や龍蘭殿たちと連絡を取り合うように」


と、諌言かんげんして結んである。

 朱貴は改めて自分の周りを見回し、思いのほか兵士の数が少数であることに気づいた。それに疲労困憊している。沼地からずっと駆け続け、戦い続けてきたのだ。彼は斥候を立てて、兵達に休息を取らせた。

 そして、もう一度、玲爽の文を読む。乱れがちな、それでも流麗な文字の姿に、玲瓏な彼の顔が浮かぶ。彼が無事で居るはずがない。血文字が何よりの証拠であった。


「玲爽……」


 想いを振り切るように頭を振ると、内容に集中する。

 宗怨の妖術を破らねばならぬ。


 梯渓坡ていけいはでの戦闘は延々と続いていたが、賊には際立った大将がいないので、訓練を受け、趙翼に指揮される軍勢に殲滅せんめつされるのは、時間だけの問題だった。

 それと見て、龍蘭は先行した朱貴を追って、手勢を率いて戦場を突破した。他に伏兵がないところを見ると、桂獰自身は、砦で迎え撃つ腹らしい。その砦を望む手前で、朱貴に呼び止められた。玲爽の文を見、龍蘭も自身の兵を休ませて、宗怨の対策に掛かる。


 その背後から、やぶを掻き分けて、虎勇こゆうがぬっと姿を現した。間道を外し、山の中を急ぎ上がってきたものだった。その後ろに、巨大なわに族の厳牙げんがの姿を見て、朱貴達はぎょっとする。

 片目を傷つけた偉丈夫の怪物を、虎勇は味方だと紹介した。朱貴は玲爽の文にあった賊の内部からの呼応の意味を悟った。それは厳牙を指していたのだ。だが、どうして玲爽は、捕虜の身でそれを知ることができたのだろう。


 厳牙は朱貴から策を受けると、ひとり砦に向かった。準備が整う頃猿喜が来て伯石らが位置に着いたと報告する。

 朱貴は立ち上がり、兵士らに準備の確認を取ると、


「掛かれ!」


 と叫び、自らときの声を上げて、砦へと突き進んだ。直ぐ後に、虎勇、龍蘭が続く。軍は怒涛のように、要塞の関門へ押しかけた。


 氷白山の弩兵が櫓の上から、弩で射掛けてきた。だが、同時に、砦の前の木立ちの間から、矢があられと彼らに降り注いだ。伯石・李弦りげんの弓隊である。数は伯石等のほうが、圧倒的に勝っている。冷舟の弩兵は眼下の兵どころではなくなった。


 宗怨が砦門の上に姿を現した。視界が乳白色に包まれ始める。宗怨は敵を錯乱させ、同士討ちを謀った。だが、混乱は一部に生じただけで、術が効かない。

 宗怨は目を見張った。県兵らは、左腕を巻いていた布を解き、開いた傷から流れる血をすすっていた。

 宗怨の術は、催眠術による暗示だった。玲爽はそれを見破ったのである。暗示に対抗するためには、さらに強い暗示を自らに掛ければよい。

 まず、自ら傷つけることによって、その苦痛の自覚で宗怨の暗示に掛かりにくくした。そして、自分の血を啜れば、術は効かないと、兵士等に思い込ませた。自傷行為は兵士等に異常な興奮とトランス状態を作り出し、その上での思い込みが完全な自己暗示を生み出したのである。血という小道具も効果を倍増した。これでは、いくら宗怨が能力者でも、歯が立たない。


「だから、早く始末をと……」


 ぎりぎりと歯軋りする宗怨の頭部に、槍が埋まった。槍の先端は黒い体毛の体を付きぬけ、紫の体液が噴出した。しばし、何が起こったか判らないように立ち尽くしていた宗怨は、そのままどうっと倒れていく。即死であった。

 槍を投げたのは、龍蘭だった。


「見事だ」


 相変わらず冴えた腕に、朱貴は感嘆する。


 そのうちにも、虎勇は要塞の門へ突進していた。中からひと騒動あったらしい物音が伝わってくる。と、門が開いた。

 開けたのは、厳牙である。全身に返り血を浴びながら、豪胆な笑いを顔一杯に浮かべている。本人には、かすり傷もないと知れた。

 砦の高台からこれを見て、桂獰は憤怒に身をわななかせた。


「どいつもこいつも、役にたたん!」


 あっと言う間もなかった。桂獰は怒りの余りに、傍らの冷舟を鋭い爪で引き裂いたのだ。血煙を上げる首領を見て、冷舟の部下達は戦意を失った。弩を放り投げ、倒れた首領の側へ駆けて行く。

 桂獰はそんな様も振り返りもせずに、高台の階段を降りる。扉の門では、わあっと鬨を上げて、虎勇達が雪崩れ込んできた。方々で激しい戦闘が繰り広げられていく。


 中庭に入った朱貴はそこで足を止めた。桂獰が待ち構えていた。身の丈二メートル五十、ガルド族をこれ以上はないほどに凶暴化した具現。


「よくぞ、此処まで来たな。誉めてやる。だが、此処までだ。お前どもなど、わしひとりで充分だ」


 口がにやりと裂かれた。鋼鉄の刃物のような牙が剥き出す。手が開く。爪が異常に伸びた。


「玲爽は、何処だっ?」朱貴が怒鳴った。


「あやつは、美味い。あんな美味い肉は、わしも初めてよ。腹を割いて、湯気のたつ内臓を喰らってやろう。溢れる血を盃に受けて飲み干そう。最後まで意識があるように。断末魔の苦痛に歪む、あの美しい顔を眺めてな」


 桂獰はたまらぬように、舌なめずりをして言った。考えただけでも、唾液が口腔いっぱいに溢れてくる。


「させるかっ!」


 朱貴は激しい怒りに、頭の中がばっと赤く染まった。何も考えられなくなる。桂獰の生々しい言葉は、朱貴に恐ろしい変化を生じさせた。

 まなじりがぎりぎりと裂けていく。口も耳のほうへ大きく開いていき、歯が伸び、牙に変わった。竜触角が伸びて硬くなり、角のように突出する。髪が逆立ち刃物のように鋭くなる。肩や脚の筋肉が盛り上がり膨れ上がって鋼鉄のようになった。

 しゃあ! 舌が伸び青白い息を吐いた。

 桂獰がぎょっとして、後ずさる。


「何だ? お前はっ? 化け物かっ?」


 体全体が青白い炎を吹いていた。裂けた口裂の端から唾液が滴り落ちている。それが地面に触れると煙を上げた。酸であった。


「お前、など、には、やらん。あれ、を、喰う、のは、俺だ」


 ぽつりぽつりと言葉が漏れた。人の言葉を語るのが困難であるかのように。

 桂獰は初めて恐怖を覚えた。彼が目にしているのは人ではなかった。恐怖の代名詞を持つ怪物だった。

 桂獰は後退り、石壁にぶつかった。そこで、彼は気力を奮い起こす。自分は山賊頭の桂獰ではないか! こんな訳の判らぬ若造に舐められてたまるか!


 自慢の巨大な槍を持ち直すと、激しい勢いで突いて出た。硬い岩をも貫き通る突きである。それが若者の胸に弾き返されるとは!

 槍は、朱貴の鎧を突き破っただけだった。筋肉が鋼鉄のようになった胸板ひとつ傷もつかない。朱貴の手が、槍を握った。桂獰は引こうとしたが、びくともしない。汗を噴き出す彼の目の前で、朱貴は鉄の槍を片手で曲げていく。桂獰の目が皿のようになった 。槍はついに、ばきっと音を立てて折れた。


「ひいっ!」


 桂獰は、折れた槍を朱貴に投げつけると、身を翻して逃げ出した。

 それを追おうとした時、足音が駆けてきて、虎勇の声が背後から降ってきた。


「兄貴! 無事か!」


 朱貴の身体から、青白い炎が素早く消える。桂獰の姿はもうなかった。


「逃げ足の速い奴だ」


 歯軋りすると、虎勇に振り向いて言う。


「玲爽が何処かに居るはず。手分けして捜してくれ」


 虎勇は大きく頷くと、また駆け去った。一時もじっとしていられない男である。

 

朱貴は自分も玲爽を捜しに向かいながら、今しがたの事を考えていた。自分が自分でない別のものになっていた気がする。覚えているのは、理性を押し流す激しい怒りと、なぜか淫らな印象の食欲だった。この凶暴な感触はこれまでも何度か経験している。

 そう、玲爽に会ってからだ。いつも、玲爽に関係していた。朱貴は自分に対し、漠然とした不安を覚えた。


 ほどなく、玲爽が牢から助け出されてきた。猿喜が虎勇を案内したのだ。虎勇は牢の扉を難なくよいしょとばかりに外し、床にぐったりしていた玲爽を救いだしてきたのである。

 裂かれた衣服から覗く胸に巻いた布は大量の血を吸って重く濡れている。朱貴は、彼の血の匂いを嗅いだ時、その甘い芳しさに、ふと、思いがけないほどの竜人の血の昂ぶりを強く感じて、はっとした。

 

 ――喰いたい。


 凶暴な激しい欲望だった。朱貴は頭を振って、それを無理やり押さえつける。在ってはならない感情だった。

 氷白山の冷舟が、龍蘭に伴われて朱貴の前に膝をついた。肩から腹にかけて、包帯が巻かれている。桂獰に裂かれたものである。


「桂獰に愛想をつかし、朱貴殿のもとに帰順したいと言っております」


 龍蘭の取り成しの言葉に、冷舟は頭を地面に擦り付けた。


「おぬしらの弩兵の力、感服している。力を貸していただければありがたい」


 朱貴は快く冷舟を幕下に加えた。桂獰の手下どもは、あらかた投降し、そうでないものは殺されていた。趙翼も梯渓坡の戦闘を終えて、多くの捕虜とともに参じてきていた。桂獰の砦は、朱貴らの前に落ちたのである。

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