一の一 化け物退治――長持ちから美女
一、化け物退治
まだ新芽も固く、気の早い山梅が咲き始めた山道を、荷物を担いだ一団が登ってくる。人の行き交いも少ない険しい山の中だった。大きな長持ち、ニワトリ、角つきイノシシなどの荷を運ぶ村人は怯えた顔で、雪の残る中を黙々と歩く。
山道の角を曲がったところで、大きな男の二人組がのそっと現れた。
「うわあ! 出たあ!」
村人は一声叫ぶと荷物を放り出し、来た道を駆け下ろうとする。
「待て!」
丸い顔中に髭が生えている熊のような大男が、逃げる男達を慌てて追いかけた。やっと一人だけ逃げ遅れた男の襟首を掴んで引き摺ってくる。
「命ばかりは助けてくだせえ」
怯えて泣く痩せた二十代後半の男を、熊男がぎょろりとした目で覗き込む。
「俺達は善良な旅人だぞ。取って食ったりはせんぞ」
「荷物を放り出されて行かれても、困るのだが」
もう一人の相棒が落ち着いた声で話しかけてきた。
村人が目を上げてみると、頭部に青いたてがみがふさふさと伸びる別名虎族とも呼ばれるガルド族である。
両肩の張ったがっしりした背丈は、人並み越えて大きい連れよりさらに頭二つ分大きい。虎に似ていなくもない、しなやかな体躯を簡素な長袍の上に革の胴着をつけた男を見上げた村人は、ぎゃっと叫んで逃げ出そうと暴れた。
それを、熊が逃がすまいと襟首に力を込めたので、村人は息が詰まって目を白黒させた。
「やれやれ、あてにならないことだ」
突然、涼やかな声がした。熊と虎がきょろきょろ声の主を探すと、放り出されていた長持ちの蓋が持ち上がって中から若い娘が出てきた。麻の質素な衣を身に着けた娘は紫のさらりとした髪を結いあげ、目を見張るほどに美しい。年の頃、十五、六。その娘は驚く大男達には目もくれず、怯える村人に冷たい視線を向けた。
「初めから置いて逃げる気でいたな」
「も、申し訳ねえことで。怖ぐて、怖ぐて」
「だから、私が身代わりを買って出たのではないか」
「すんません。すんません」
貧相な男は、米つきバッタのように何度も謝るばかりだった。娘はため息をついて、びっくりしている大男二人組の方を向いた。
「驚かせてしまって申し訳ありません。こんなに見境なく怯えるとは思いませんでした。一目見れば、賊か善人かわかりそうなものを」
そう言って頭を下げる。
「いや、俺らも人相がいいとは言えないからなあ。兄貴だって、ほとんど怪物だしなあ」
熊が遠慮もない事を言って、わはははと豪快に笑った。声がまだ若い。二十歳そこそこのようだ。
「何か事情がありそうだが。場合によっては助力するぞ」
虎が頼もしく申し出る。娘の顔がぱっと明るくなった。
「ありがたい。あなた方がついてくだされば、百人力です。申し遅れました。私は幽厳山の玲爽と申す旅の者。お見知りおきください」
丁寧に挨拶され、虎が慌てて頭を下げる。
「俺は佑県の龍蘭と言う。こっちは義弟で郎県の虎勇だ。」
玲爽と名乗った娘が、おどおどと怯える村人に顔を向けた。
「こちらは、この先にある梨村の利作と言う者。梨村に怪文が届きまして」
ここは東を天水山、西を天雲山に挟まれた山岳地帯の中。天を突くような山々が連なることから、天蓋山脈と呼ばれ、『朝』の国土を南北に分けていた。
東は大海に臨み、海沿いの道はところどころ険しい崖に寸断される。西には天蓋山脈を水源とする大きな蓋青江が流れる。
蓋青江を越えた西には河川流域の肥えた大地と森林が広がり、琢県などの『朝』の県や『宋』国が支配する。そのさらに西は広大な砂漠が広がり、越えていくのは不可能だと伝えられていた。その砂漠は毒の砂で蟻一匹いない死の世界であるとか、巨大な陥没が地の底まで続いているなどの噂もある。
天蓋山脈に隔てられた北部は『朝』の威光も届きにくい上に、山地が多い。産業も乏しいために貧しく、天然の要害を根城にした山賊夜盗の横行する荒れた土地が広がっているばかりであった。
その山間に開いた里の一つが梨村である。梨村は寒暖のはっきりした気候を利用して水梨の栽培が盛んであり、佑県へ出荷していた。水梨とは、梨に似た瓢箪型の果物で、生で食べても漬物にしてもおいしい。
谷川に沿って開けているこうした里々は、南の佑県に近く山道も便利に通っているので、果物やお茶などを生産し、比較的豊かであった。
そこを狙われたのか、最近、この辺りに化け物が出始めた。梨村の山一つ越えた隣の山桃村の庄屋の軒下に矢が刺さった。文が結ばれ、翌日の酉の刻までに書いてある通りのものを、山の中腹にあるお堂の中に納めろとあったと言う。なんの悪戯かと無視を決め込んだら、翌々日の夜に化け物が現れて、村が散々に荒らされ死傷者もでたらしい。
この噂が近隣一帯にたちまち広まり、矢文の出た山茶村も、東村も、文の通りに納めたと聞く。
「そして、ついに、おらの梨村の番がきまして」
利作がめそめそ泣いた。
「ちょうど、私が来合わせまして。何か動物を使っての卑怯な脅しです。退治するから、協力しなさいと申し出て、かような支度になったわけです。ですが、村人がこのようではとても退治などできません」
と、玲爽が冷ややかに言った。
「よし! 俺達に任せておけ! どんな化け物でも退治してやらあ!」
熊――虎勇が、頼もしげに自分の胸をどんと叩いて請け合った。が、
「でも、その前に、何か食い物ないかなあ。そのニワトリでもいいや。腹減って、腹減って……」
熊が情けない声を出した。