七の二 『朝』の画策――勅命
俳県では、思いがけずも『朝』の使者を迎えた。使者は横柄な態度で関都や臨水府の有様を見回して、侮蔑の色を露骨に示した。カルタス族で、名を程杜という。朱貴が勧めた上段の賓客の席にふんぞり返って、『朝』からの勅書と口上を伝えた。『朝』府からの使者ということで、龍蘭、虎勇、趙翼、玲爽も臨席している。
じっと勅書を読む朱貴の顔を盗み見し、額の竜触角にぎくりとした。執政官吏の碩鳳の額にあるものと同じように見える。
「見よ」
朱貴が玲爽に書を渡した。今度は宰相の美貌に目を見張る。女かなと見つめていると、顔を上げた玲爽と目が合い、慌てて目を逸らす。
玲爽は書面を龍蘭達に回した。ぎろりと恐ろしげな巨体のガルド族が睨んでくる。地球の虎に少し似ている。県警ら吏長の龍蘭である。県令司令官の虎勇がもじゃもじゃした眉の下から、目をぎょろつかせた。治安司令官の狼人の趙翼が牙の並んだ口を大きく開けて、わざとらしく欠伸をしてみせる。
程杜は不安になってきた。このまま、この怪物どもに食われてしまいそうな気がしてくる。
「玲爽、どうする?」
朱貴が意見を求めてきた。
「桂獰の噂は前から耳にし、憂えていたところです。『朝』府からの勅も下されたことですし、叩くべきではないかと」
「士気は十分だぞ」
と、虎勇は張り切る。朱貴はうなずき、使者に向かって告げた。
「では、勅に従って、桂獰の討伐を進めましょう」
「程杜殿は、戦の首尾もお見届けなさりたいでしょうから、是非、此方へお留まりあって、行軍にご参加ください」
玲爽が程杜にぴしっと視線を当てて言った。程杜は顔を強張らせる。一同の視線を浴び、嫌とは言えない。
「は、はは、ぜ、ぜひにも、お願いいたす」
ぴくぴくと口を引きつらせて答える。その様子を朱貴は冷笑を浮かべて見ていた。
***
質素な官舎のここだけは居心地のいい寝室に、朱貴は部屋着で寛いでいた。調度類は全て朱貴の好みのものである。朱貴のために整えられた部屋であった。数少ないほかの部屋は呆れるほどに殺風景で、余計な装飾物は一切なく、住む人の人柄が判る。
簡素な漆黒の卓に、陶器の酒器と揃いの盃。隣室を隔てる帳を揺らして、部屋の主が酒のお代わりを持って入ってきた。
美女である。華美ではないが、上品な単衣に裳を重ね、帯をゆったりと締めていた。裳の裾を流れるように引いて卓の上に酒器を置くと、優雅な仕草で身を寄せるように座った。盃に酒を注ぐ手つきにさえ、彼に寄せる恋情が匂いこぼれてくるようであった。
さらりとした紫色の髪に、対の髪飾りが慎ましげに揺れる。朱貴はやっぱりうっとりと見蕩れてしまう。美女は玲爽であった。日頃の厳しく毅然とした軍師からは想像もできない艶姿に、朱貴は毎回陶然と見蕩れた。
なぜか玲爽は朱貴と二人の時は、女装を好んでする。自分が女でないことに引け目を感じているらしい。朱貴はそんなことなど、別に気にしてもいないのだが、玲爽がそうしたいのならそれでもいいだろうと、好きにさせていた。
玲爽が酒を注ぎながら、訊いてきた。
「朱貴様、程杜が事、どう見られました?」
「あれは、俺達を害せん為の使者だろうが。武興は確か、『朝』府に身内が居たはず。おそらくそのあたりの画策であろうよ。『朝』府も、なかなか味をやる」
「『朝』府にも、切れる者が在るとみえます。油断はなりません」
「軍師のそなたが居てくれれば、なんの『朝』府ごとき、恐れるに足らずだ。そなたが、奴に軍への同行を迫ったので、程杜め、青くなっておったな」
「いよいよ危なくなれば、彼は命惜しさに、我らに協力しないではいられなくなりましょう。既に、『朝』の企みは、破れたも同然です」
玲爽は、優美な仕草で嫣然と笑った。その身体に、朱貴は鱗のある腕を伸ばした。
「酒はもう、よい。俺は、そなたが欲しい」
玲爽は幸せそうに、その胸に身を預けた。
***
虎勇や趙翼らが着々と軍備を整え、士気を高めたので、やがて程なく、山賊桂獰討伐に出兵することになった。留守は副県吏に委託し、朱貴は自ら総大将として指揮をとり、大将軍龍蘭、県安鎮政将軍虎勇、治安警護将軍趙翼、軍師玲爽、そして、中郎将の猿喜、伯石、果門、県尉の毘宣、圓備、李弦、丙郁、監尉として程杜を、それぞれ配軍した。総勢七千。山賊を平らげるには、物々しい兵力であった。一国を賭ける戦にこそ相応しい軍備である。
この規模を提案したのは玲爽であり、朱貴が採用したものである。虎勇などは、これに不満で、
「山賊など、俺一人で蹴散らしてやるってのに、玲爽先生は臆病者だから。朱貴兄貴も、先生の言う事なら、なんでも真に受けて。まったくいい笑いものだ」
と、公言して憚らない。
***
さて、県主朱貴が、総力を挙げて迫ってくるとの報に、俳県西の偏梯山に居城を構える桂獰は色めきたった。『朝』都から密使が来て、朱貴らの一派を捕らえるか、殺してしまえば、特別な恩賞で中央の官吏に取り立ててやると言って来たのである。
野心も欲も人一倍強い桂獰には、大きなチャンスであった。まして、相手は、近頃名を馳せてきた小生意気なこわっぱである。こいつを叩き伏せて、一挙に名を上げてやろう。
彼はさっそく方々の山賊に親書を送り、共同してこの正義を騙る偽善者をやっつけてやろうと持ちかけた。勝利の報酬には、いろいろ恩典があるぞとくすぐり、その一方で、今協力して当たらねば、きっと近いうちに朱貴らの一派は、我々の災いになってくると説得する。
この一帯で最も大きな勢力を張っている桂獰の誘いである。名だたる山賊達は、続々と呼応して偏梯山に終結してきた。
東の方で一勢力を張っている怨霊山の周怨は、周囲の山賊も引き連れて二千余りを率いて参画してきた。怪しげな呪術を使うと恐れられている。体全身を覆う黒い体毛は長く、目鼻立ちはその体毛に隠れてみえない。あるかどうかすらも定かではない。だが、黒い毛の奥から赤い光が輝くとき、不思議な恐ろしい事が生じるのである。
南の南蔽山からは、金猛の代わりに勢力を伸ばしてきた厳牙が同様に代表として手下と併せて千五百を率いてやってきた。金猛に劣らぬ怪物で、身の丈八尺、巨大な牙と鋭い爪を持った鰐族で、獰猛なことは金猛以上、気にいらぬと手下さえも生きたまま食べてしまう乱暴者と言われている。
北からは、頂上に常に雪が降るという氷白山から、冷舟が毛深くて無口な兵を二百従えてきた。兵の数は最も少なかったが、その兵の弓は冷徹に正確無比で、しかも厚い氷の壁すらも貫くという強弩で、その威力には官軍さえも脅えるほどであった。
そして、桂獰の親類で、隣県の一帯で勢を張っている嶽山の桂峨が応援に駆けつけた。桂峨は別名竜導士と言われ、竜即ち巨大爬虫類を良く使う。ケイガは、千の兵力のほかに恐竜隊を連れてきた。雷竜ほど巨体ではないが、いづれも凶暴な肉食竜であった。
そして桂獰自身の集めた兵力は、総勢三千。どれも勇猛なつわものぞろい。彼自身も巨体の豪傑である。彼はガルド族なのである。龍蘭の一族とは別系統の野蛮なガルド族であった。彼は、偏梯山から下界を見下ろして、吠えた。
「朱貴がどれほどの官軍を率いてきても、恐れるに足らず。返り討ちにしてくれるわ」




